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「げ、幻夢剣」
「そうだ」
レオンハルトはシャムシールを腰に差し、後ろの小岩に座った。
「敵に自身や霧などの幻影を見せて、一瞬にできた隙をつく剣術だ。今見せてやったのは、突撃する幻影を見せて、お前の注意が前に向いている隙に後ろから斬りつける、アウトサイダーという初歩の技だ」
「あ、あれが初歩……?」
リロイは立ちつくしたまま生唾を呑みこむ。まっ白になった思考の奥底から、レオンハルトと初めて対面した記憶が沸き起こってくる。リロイが怒って飛びこんだとき、レオンハルトはふわっと消えて後ろにまわりこんでいた。
「前にあたしがレオンに飛びかかったときも、同じことをした……?」
「お? よく気づいたな。あれは途中から幻術でお前らにおれの幻を見せて、その隙に後ろにまわりこんだんだよ。……ま、あんなに見事にはまってくれるとは思わなかったけどなあ」
レオンハルトは腕組みを解いて、子供のように笑った。
「幻夢剣は曲刀とともに遠い異国から伝来し、両手剣ができる前、片手剣が主流だった一世紀から五世紀にかけて使われていたらしい。確実に相手を仕留める剣術だから、暗殺者や傭兵に広まっていたみたいだがな」
「そんな剣術をどうやって見つけたの?」
「そんなことは別にどうでもいいだろ。大事なのは、おれが習得した幻夢剣を、お前も習得するかどうかだ」
レオンハルトはのっそりと起き上がり、身体をリロイに向ける。
「おれは力がないから、王国最強の白帝剣を習得することができなかった。しかも、幻夢剣は幻を見せるだけで、絶対的な破壊力を生み出す剣術ではない。そのおれが、どうやって剣聖になれたと思う?」
「どうやって……?」
リロイは腕組みして考える。幻術に秘密がないとすれば、技に何か秘密があるのか。しかし、片手でふり回せる曲刀で両手剣に匹敵する重量と破壊力を生み出すことができるのか。
レオンハルトが静かに目をつむった。
「リロイ。お前は人を殺したことがあるか」
「……いいえ」
「じゃあ、人を殺す方法は知ってるか」
「人を、殺す方法……?」
「何でもいい。絞殺でも毒殺でも、思いつくものをあげてみろ」
レオンハルトが細い双眸で見つめる。いつにもなく真剣な表情に、リロイの背中が凍りつく。こちらの回答を待っているレオンハルトの顔が、かなり怖い。
――レオンはどうして、こんな怖いことをあたしに聞くの……?
リロイは背中を流れる冷や汗を感じながら、くだけそうになる腰に力をこめて耐えた。
「た、たとえば剣で斬り殺すとか」
「ほう。どんな剣で、どいつのどこを斬って殺すんだ?」
「ど……え、えっと、レオンが持ってるような曲刀で、その、敵の身体を……」
「おどおどするな。今すぐ実演してみせろとか、そんなことを言いたいわけじゃねえ」
「う、うん」
レオンハルトの言葉に少し安心して、リロイはまた思考をめぐらせる。リロイは右手を伸ばして、レオンハルトの心臓へと向けた。
「たとえば、相手の心臓をひと突きとか――」
「ほほう。他には?」
レオンハルトの口もとがゆるむ。彼が言おうとしていることが、少しずつわかりはじめた。リロイは右手で手刀をつくり、自分の首筋にあてた。
「剣で首を斬り落とすとか」
「上等だ」
レオンハルトは顎を突き出してにやりと笑った。
「精神論はともかくとして、方法だけを考えれば人を殺すのはわりと簡単だ。ロープで首を絞めれば殺せるし、お前が言うように剣で胸や首を斬ったりすれば、やはり人を殺すことができる。こんな話をするのはおれも好きじゃないが、剣の世界においてはとても重要なことなんだ」
「でも、人を殺すなんて……」
「そうだ。人殺しなんていいもんじゃねえし、お前に人殺しを勧めようと思って言ってるわけでもねえ。……おれが言いたいのはな、リロイ。バスタードソードやクレイモアが使えなくても、人を倒す方法はたくさんあるということだ」
レオンハルトはくるりと回り、リロイに背を向けた。
「人を倒すのに大きな力は必要ない。重たい両手剣を無理してふらなくても、小さな果物ナイフで相手の頚動脈をかっ切れば倒すことができる。――つまり、幻夢剣は相手の急所を狙って一撃で倒す、言わば柔の剣。幻術をつかうのは、お前が秘めた一撃を確実にするためのカモフラージュ。相手をだますためならば、別に幻術じゃなくてもかまわないのさ」
レオンハルトはふり返って、きょとんとするリロイの目を見つめた。
「どうだ、リロイ。習いたくなったか?」
「えっ」
「それとも怖いか?」
レオンハルトは口もとをゆるめて、にこやかに笑った。
「正直に言ってもかまわねえよ。お前が想像していた剣聖の姿と、今のおれの話はかなりかけ離れていたはずだ。それに暗殺剣なんて習得したら、王国でやってるちんけな武術大会なんかには出られなくなっちまう。幻夢剣は相手を殺すための剣だからな。……だが、身体が小さいお前なら、幻夢剣は必ず習得できる。そして、お前は短期間で絶対に強くなれる」
レオンハルトの強い言葉がとても嬉しかった。リロイはレオンハルトの足もとを見下ろして、両手をかたくにぎった。
「あ、あたしは、剣をふるしか能がない女だから、エメラウス様に負けても剣に生きるしかないと思った。……あたしのお父様は迅雷なんていう名前で呼ばれてる人だけど、お父様は優しいから、あたしに本当の剣は教えてくれない。だから、あたしは家出してここまで来た」
リロイは顔をあげて、レオンハルトを決然と見つめ返す。
「暗殺剣でも、武術大会に出れなくなってもあたしはかまわない。あたしもレオンと同じように、剣の世界で一番になりたい。……だから、レオン。教えて。あたしにその剣を。絶対に習得してみせるから」
「わかった。これからはもう泣き言は許さねえからな。覚悟しておけよ」
レオンハルトは目を細めて、額に伸びた三本の皺を深くした。