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 その日の早朝、リロイとサムソンは頭に寝ぐせをつけながら、水汲み用の桶を持って外の山道を歩いた。日はあがったばかりで、空はまだうす暗い。


「あの野郎。いい気になりやがって……。今日こそ、うんって言わせてやる」


 雨上がりの濡れた地面を踏みしめながら、サムソンが前をずんずん歩く。その背中を見つめて、リロイはうつむいた。


 サムソンはわきの小道に入り、木が茂る山の中を歩く。大きな石がごろごろしている悪路を降りると、川の流れる音が聞こえてきた。


 川の畔に着くと、サムソンは桶を川の中に入れて水を汲んだ。リロイもそれに習って、桶を川の中に入れる。がばっと水を掬うと、桶がずしりと重くなった。


「サム。あ、あのさ」

「ん? どした」


 重くなった桶を両手でかつぎながら、サムソンがこちらにふり向く。その柔和な表情に、いつもの意地悪い姿はない。


 ――今のサムに夢のことなんて話したら、余計に気を遣わせちゃうよね。


 リロイは膝を抱えたまま、川をじっと見つめる。上流に位置する川は、流れがとても早い。上から下に向かって、押し出されるように水が流れている。


「ううん。ごめん、何でもない」

「そっか。……具合悪いんだったら、無理しなくていいからな。お前の分もおれがやっとくから」


 優しい言葉が、胸にぐさりと突き刺さった。


 水が入った桶を両手で持ちながら、リロイとサムソンはあばら家に帰った。レオンハルトは奥の自室でごろごろと寝返りを打っている。首だけを起こして、「水はそこに入れておけ」と言った。


 サムソンは貯水用の桶に水を入れると、部屋を闊歩する。レオンハルトの足もとで腰を下ろして、両手を地面にあてた。


 レオンハルトはむくりと起き上がって、ひざまずくサムソンをねめつけた。


「おっさん」

「……ったく、お前もしつけー野郎だな。何度頭を下げたって、だめだって言ってんだろ」

「あんたが何て言おうと、おれはあきらめないぜ。ロイを弟子にするまで、何度でも頭を下げてやる」


 眉根を寄せてにらみ返すサムソンに、レオンハルトははげ頭を右手でなでた。


「あーあ。こんなにしつけー野郎は生まれて初めてだぜ。大抵のやつは、一、二回断れば帰ってったのによー。おれは、しつけー野郎が嫌いなんだよ」

「おれだって、しつけー野郎は嫌いだよ。けど、あんたがロイを弟子にしてくれないから、おれだってしつこくなるしかないんだ。なあ、おっさん。もういいだろ。ロイを弟子にしてくれよ」

「けっ。頼みこむときだけ神妙にしたって無駄だぜ。……お前、おれのことが憎たらしくて仕方ねえんだろ。素直に言っちまってもいいんだぜ」


 レオンハルトははげ頭を光らせながら、にやりと笑う。サムソンが少し後ずさりする。


「そ、そんなこと、おれは別に――」

「昨日の夜、そこの小娘とこそこそとしゃべってたンだろ? うちはあばら家だからよ。もっと小せえ声でしゃべんねえと、話してることが外まで漏れちゃうぜ」

「だ、だから、違うって……」

「おれはただの嫌味で頑固なだけのくそじじいだからよ。お前らに剣なんて教えられねえんだ。ほれ、あんなに降ってた雨も止んだんだから、さっさと荷物をまとめて下山しな。ガキんちょ共が」

「な……! て、てめえ!」


 サムソンは苛立ちを募らせ、いきり立って拳をふり上げる。そのままレオンハルトに突撃するが、レオンハルトはひょいとかわした。サムソンの右手首と腕をつかんで、勢いそのままにサムソンを後ろに投げ飛ばした。


「サム!」


 サムソンは逆さまに飛ばされ、壁に叩きつけられる。横に立てられた曲刀が衝撃に倒れて、がしゃんと音を立てた。リロイは駆け寄って、サムソンの身体を起こした。


 レオンハルトはふり向いて、小さいあごをさすった。


「悪いが、とっくみ合いだったらおれは負けん」

「く、くそ……!」


 サムソンは怒りに肩をふるわせる。リロイはサムソンの前に出て、レオンハルトをじっと見つめた。


「これはあたしの問題だから、サムには手を出さないで」

「出さないでって、先に出してきたのはそいつだぜ」

「それは、ごめんなさい。……でも、サムはあたしのために身体を張ってくれてるの。だから、お願い。サムに手を出すのはやめて」

「ふうん。ま、別にかまわねえけどよ。……で、そういうお前はおれに頼まねえのか? 自分の問題を人にまかせて、後ろで指を加えてンのか」

「うっ、そ、それは……」

「ほれ。おれに頼まねえのか。おれは気分屋だから、もしかしたら、うんって言ってくれるかもしれねえぜ」


 レオンハルトは顎をさすりながらにやにやする。まるで、奴隷を見下す貴族のように。


 ――うわっ、こいつってほんとに嫌なやつ。サムが切れるのもわかるかも。


 傲慢な男を見上げながら、リロイは静かに思う。いつもならば怒気をあらわにするはずなのに、怒りが沸き起こってこないのが不思議だった。


 リロイは背を正して、ゆっくりと頭を下げた。


「あ、あたし。お父様の名に恥じない、本当の騎士になりたいの。そのためにもっと剣をみがいて、どんな敵でも倒せるくらいの、めちゃめちゃ強い騎士になりたいんです。……だから、お願い。あたしに、剣を教えてください!」


 レオンハルトは腕を組んで、「うーん」と唸る。しばらく考えたふりをしてから、また口もとをゆるませた。


「嫌だね」





 だいぶ明るくなってきたころに、三人は居間で朝食を囲んだ。口先では「出てけ」というレオンハルトだが、ご飯はしっかりと出してくれる。言葉と行動の違いが不思議だなと、リロイは思った。


 リロイはサムソンのとなりに座って、豆のスープをすする。豆を煮ただけで味はほとんどしないが、あまり気にならなかった。


「ってー。ちくしょー、力まかせに投げやがって」


 サムソンはレオンハルトをにらみながら背中をさする。レオンハルトは無言でスープをすすっていた。


「なあ、おっさん」

「だめだな」

「まだ何も言ってねえって」

「どうせまた、『弟子にしろ』とか言いやがるんだろ? 朝から晩までおんなじことばっかしゃべりやがって、閑古鳥かんこどりか、お前は」

「うるせえ、つるぴか頑固はげじじい」


 サムソンは白い歯を出して、嫌そうな顔をした。その様子をながめて、リロイはそっとため息を吐いた。


 ――レオンが人間嫌いだっていうのは聞いてたけど、こんなに癖のある人だとは思わなかったな。あんなに頼みこんでもだめなんだもん。どうやって弟子入りしたらいいんだろう。


 リロイは背中を丸めながら、木の器に入ったスープを見つめる。豆のスープは若草色のような、にごった色をしている。スプーンで掬うとどろどろした液体がこぼれて、あまりおいしそうには見えない。


 視線を前に移動させると、レオンハルトもスプーンを右手ににぎっている。拳をにぎるようにしっかりと持っていて、見方によっては剣の柄を持っているように見えなくもない。


 ――あれ。これって、もしかして。


 リロイは親指とひとさし指で持っていたスプーンを持ちかえる。五本の指で柄をにぎり、先端についた皿を前に向けてみる。スープがついた皿状の先端は、もやもやとする頭の霧を一気に晴らしてくれた。


 レオンハルトはスープを飲み終えて、皿を端に寄せた。


「おれに頼まなくたって、他にも剣を教えてくれるやつはいるだろ。そいつらんとこに行けば――」


 そう言いかけて、レオンハルトはスプーンを持った右手をすばやく払った。


「……小娘。何のつもりだ」


 レオンハルトはリロイのスプーンを受けながら眉をひそめる。リロイは突然に突き出したスプーンをふるわせながら、にっと笑った。


「あたし、ずっと我慢してたんだけど、もうだめ。あんたみたいなやつ、どうしても好きになれない」

「おれに喧嘩売ろうってのか?」


 レオンハルトは目を細めて、リロイの右手をはじく。リロイのスプーンがテーブルに落ちる前に、レオンハルトは手にするスプーンを突き出す。リロイの鳩尾みぞおちにスプーンが食いこむ。


「うっ――」

「ロ、ロイ!」


 リロイはバランスをくずして地面に倒れる。腹からものすごい吐き気がして、胃の中のスープを吐き出した。サムソンは悲鳴をあげて、リロイの背中をさすった。


 レオンハルトはスプーンを置いて、のっそりと立ち上がった。


「お前らみたいなガキんちょが、おれに勝とうなんざ十年早え。……坊主、おれはちょっくら散歩してくるから、そこ片しとけよ」


 レオンハルトは「やれやれ」とぼやきながら、戸を開けて部屋を出ていく。その背中をサムソンが恨めしそうににらみつけた。

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