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サムソンから折りたたまれたシャツとパンツをわたされて、リロイはすぐに着がえた。腰の紐を締めると、長い裾が地面を引きずる。レオンハルトのお古なのだろうが、手が袖から隠れて、かなり動きづらい。
物置から出ると、丸いテーブルが置かれている部屋につながっていた。居間と思われる場所にレオンハルトが座り、サムソンとテーブルを挟んでいた。
レオンハルトはこちらを向くなり、大きく息を吐いた。
「まったく、何でおれが、がきのお守りをしなきゃいけねえんだよ」
リロイはレオンハルトのとなりに座って、そっと頭を見つめる。みごとにはげ上がった頭は、まばゆいばかりの光を発している。
「あなたが本当に剣聖さんなの? 何か、イメージと全然違う」
リロイは腕を組んで、もわもわとイメージをふくらませる。頭の上に浮かんだ雲を背景に、近衛騎士団長のエメラウスがにこっと笑顔をふりまいている。超絶美形とまでいかなくても、もうちょっと、乙女の期待に応えてくれてもいいのではなかろうか。
レオンハルトはテーブルに肘をついて、リロイをにらみつけた。
「イメージとかけ離れてて悪かったな。期待にそえなかったんなら、今すぐ帰ってもらってもかまわねえからな」
「そ、そんなこと思ってないわよ。ちょっと言ってみただけなんだから、そんなに冷たくしなくてもいいじゃん」
「ああ? とぼけんじゃねえよ。お前さっき、おれの頭をしっかりと見てたぜ。何だ、おれの頭に何かついてんのか?」
「ついてるっていうか、あるべきものが生えてないような……」
口をとがらせるリロイの向こうで、サムソンが「あわわ」と唇をふるわせる。レオンハルトが、ばんっとテーブルをたたいて、一枚の紙切れを突き出した。紙はまん中が水に濡れて、下がちぎれてなくなっている。
「……よりによって、エドワードさんの紹介状なんか持ってきやがって。仕方ねえから家に入れてやってるが、こんなもんがなかったら、お前なんてとっくに外に放り出してるところだ」
「な、何よ。その、お前なんてどうでもいい的な言い方! もうちょっと優しくしてくれたっていいじゃん!」
「はあ? 雨に濡れて風邪引いてたやつを、おれは看てやったんだぜ。紹介状があったから、仕方なく」
「な……! し、仕方なくって、あんた――」
「だいたいよー。何でおれが、お前のようなくそがきを看てやんなきゃいけねえんだよ。それも――」
言いながら、レオンハルトはゆっくりと視線を落とす。リロイの膨らんでいない胸を見て、
「色気のいの字もねえやつをよー」
「む、むかぁ! 何なのこのはげ親父。超むかつく! あたしが今一番気にしてることをずけずけと――」
リロイはがばっと立ち上がって、両手をふり上げる。怒りにまかせてレオンハルトの胸倉をつかもうとする。
――あれ……?
レオンハルトが座っていた椅子の上で、リロイの両手はむなしく空を切る。リロイは状態をくずして、前かがみに転んでしまった。
リロイが座っていた椅子の後ろに、木製の大きな桶が置かれている。レオンハルトは蓋を開けて中をのぞいた。
「あれや。水がなくなってんなー。小娘の汗をふきとるのにずいぶん使っちまったからか。……おい、坊主。お前、水汲んでこい」
「えっ、うん……って、この雨の中で!?」
「雨が降ってようが関係ねえだろ。お前、飲み水を切らしておれを殺す気か?」
言いながら、レオンハルトは小さい桶をサムソンに投げつける。口をへの字に曲げるサムソンを傲然と見下ろす。
「ほれ。さっさと水汲んでこい。それとも、今すぐ山あ降りるか?」
「ちぇっ。ここぞとばかりに足もと見やがって」
サムソンはぶつぶつと文句を言いながら、地面に転がる桶を拾う。傘を持って、のそのそと家を出ていった。
「お前らの面倒を見るのはかったりーが、召使いだと思って顎でこき使えるのは、そんなに悪かねえな」
レオンハルトは無精髭をさすりながら、戸口につぶやく。
リロイは倒れた椅子とともに地面に転がりながら、レオンハルトを不思議そうに見つめる。
――さっきまで椅子に座ってたはずなのに、いつの間にあたしの後ろに移動したの……?
リロイは目を何度もしばたく。レオンハルトは不敵な笑みを浮かべながら、サムソンが座っていた椅子に座る。また肘をついて、茫然とするリロイを見下ろした。
「おい、小娘。坊主に感謝しとけよ」
「えっ……?」
「あいつ、この雨が降りしきる中、お前をかついでここまで登ってきたんだぜ。おれの足でも麓まで半日はかかるっつうのによ」
「えっ、そうだったの?」
「しかも、お前が目覚めるまでの二日間、片時も離れずにずっと看病してたんだぜ。風邪をこじらせちゃいけねえってんで、わざわざ服まで脱がせてよ。……ほれ、何してんだ。倒れた椅子をそこに戻しとけ」
その言葉に、リロイはあわてて椅子をもとの位置に戻した。
しばらくして、水を汲んできたサムソンが帰ってきた。じっと見つめるリロイに、サムソンが首をかしげる。
「ん、どうした?」
「ううん。別に」
サムソンは傘を扉のわきに立てかけて、リロイの後ろを通りすぎる。居間の隅に置かれた桶の蓋を開けて、汲んできた水を中に入れた。
「使った桶はそこに置いておけ。明日にまた汲んできてもらうからな」
「何だよ。一杯汲んできたって大して意味ねーじゃんか」
サムソンはぶすっと頬を膨らませて不平を洩らす。レオンハルトは奥の寝室で寝転がりながら本を読んでいる。部屋の壁には、長剣や曲刀がずらりと立てかけられている。
サムソンは椅子を引きずって、リロイのとなりに腰かけた。
「だいぶうなされてたけど、平気か? どこか、具合悪いところはないか?」
「うん」
「そっか。でも、ちょっと顔が青いな。病み上がりだから仕方ないか」
サムソンは左手を出して、リロイの額にぴたりとつけた。
「うーん。熱はなさそうだな」
「うん、その……」
「あとは服だよな。お前が着てたドレスはぼろぼろになっちったから、もう着れねえし。かと言っておっさんのお下がりじゃ、サイズが合わねえしな」
いつも悪口しか言わないサムソンが、どこか優しい。自分のことを差し置いて、いつにも増して気にかけてくれる。
それなのに、リロイはお礼を言いたくても言葉が喉につっかえて出てこない。戸惑いや照れくささが心にあふれて、サムソンの顔をじっと見ることができなかった。
サムソンはリロイの頭をなでると、立ち上がって部屋の奥へと歩き出す。茣蓙に寝転がっているレオンハルトの前で、ぴたりと足を止めた。
「おっさん」
「だからよー。だめだって何度も言ってんだろ」
レオンハルトはサムソンに目を向けずに本を読んでいる。サムソンはじっとしたまま、拳をわなわなとふるわせる。一歩下がって膝をつくと、地面に両手をついて頭を摺りつけた。
「おっさん! この通りだ。ロイを弟子にしてやってくれ」
「サ、サム! ちょっと……!」
リロイはあわてて立ち上がり、土下座するサムソンの背中に手をあてる。彼の小さい背中は熱く、少しふるえている。リロイの心がずきりと痛む。
レオンハルトはむくりと起き上がり、ぱたりと本を閉じる。どかっとあぐらをかいて、サムソンの後頭部を見下ろした。
「土下座したって無駄だ。おれは弟子をとらねえ主義なんだよ。あきらめな」
「どうしてだよ! こんなに頼んでるんだから、弟子にしてくれたっていいじゃねーかよ!」
「おれはよ。世俗にはほとほと愛想がつきてんだ。今さら弟子をとって、自分の名と居場所をアピールするようなことはしたくねえんだ」
「だったら、おっさんのことを他のやつに教えなきゃいいんだろ? ロイはおっさんのことを言いふらしたりしねえって。絶対」
「だめだ、だめだ! 一昨日来たばかりのやつなんて信用できん。そいつの具合はよくなったんだから、荷物をまとめてさっさと帰るんだな」
レオンハルトは手をついて立ち上がり、リロイとサムソンのわきを通りすぎる。サムソンの細い腕が、ぷるぷるとふるえていた。




