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騎士見習いリロイ  作者: 夏坂ひなた(旧:二条 遙)
四章 人助けと、蹉跌と
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 三十分くらい歩いたころに、空からぽつぽつと水滴が落ちてきた。


「やだ。本当に降ってきちゃったわ」


 リロイは灰色の空を見あげて、肩を落とす。山の空気は木の匂いに湿気が混じり、自然特有の嫌な臭いが鼻にからみつく。リロイはげんなりしながら木陰に隠れた。


「なあ。どっかで雨宿りでもするか?」

「こんな山の中で雨宿りできる場所なんてないでしょ。先に進むわよ」


 歩を止めないリロイに、サムソンは「宿で待ってればよかったのに」とぼやきながら後に続いた。


 それから十分もしないうちに、雨は本降りになってきた。木陰のすき間から雨がしたたり落ちて、リロイのドレスを濡らす。袖やロングスカートが腕や足にくっついて、気持ち悪かった。


「ねえ、サム。この道はどっちに行くんだっけ?」


 ぐっしょりと濡れる髪を掻きあげて、リロイはサムソンにふり返る。サムソンは頭をわしわしと掻きながら、Yの字に分かれる道を見比べる。


「ええっと、どっちだったっけなあ」

「エドワードさんから地図をもらったでしょ。地図を見ればすぐにわかるじゃない」

「だめだ。こんなに降ってる中で広げたら、地図がぐしゃぐしゃになっちまう」


 サムソンはかしの杖で左の道を差して、「確かこっちだ」と言った。あいまいな選択にリロイがぶすっと頬をふくらませて物申そうとした。


 そのとき――


「だれっ!?」


 坂の下からざくざくと足音が聞こえて、リロイは剣の柄に手をあてた。


 雨の降るうす暗い山道から、ぼろぼろのシャツやタンクトップを着ている男たちが「げへへ」と笑いながら歩いてきた。手の先からメイス(棍棒)や両手剣の切っ先が光る。


「よお、迅雷じんらいの娘」

「あ、あんたは――!」


 一団の中央に、銀色の長い髪を結わずにのばしている男がいた。悪辣あくらつな笑みを浮かべるその男は、この間にエドワードの屋敷から追い出したレスターに間違いなかった。


「ガンドルフさんよお。あんたを追い出したやつって、まさか、このぺちゃぱい女かよっ」


 レスターをガンドルフと呼ぶ男は、ま後ろでグレートソードの剣先を地面につけている。大柄な体格に特徴的なモヒカン頭は、町の酒場で何度か見かけた男以外に存在しない。


 リロイの額から、雨水ではない何かがしたたり落ちた。


「そう。……そういうことだったのね」


 パンツのポケットに両手をつっこむレスターが、あざ笑いながらリロイとサムソンを見下す。


「昨日はよくもおれ様に大恥をかかせてくれたなア。お陰で食いぶちまで失って、また路頭に迷う羽目になっちまったじゃねえかよ」

「食いぶちってねえ。あんた、病弱の女の子に劇薬を盛っといて、何言ってんのよ。あんたのせいでカーシャちゃんがどれだけ辛い思いしたのかわかってんの!? この詐欺師が!」

「あア!? あの女がどうなろうが、おれ様の知ったことじゃねえよ。お人よし夫婦をだまして金品を盗んでたのによお、余計なことしやがって」

「き、金品って、あんた――」


 言いながら、リロイはキンボイスが前に漏らしたひと言を思い出す。あまりの嫌悪に、後の言葉がのどにつまって出てこない。


 モヒカン男のキンボイスは、のっそりと前に出てリロイを見下ろした。


「おい、ぺちゃぱい。てめえが正義漢を気どりやがったせいで、おれは酒が飲めなくなってむしゃくしゃしてんだ。それ以前にてめえは気にいらなかったからよお。なぶり殺してやんぜ」

「う、うるさい! 人様をだまして金品まで盗んで、さらにその金で酒を飲むなんて最低よ! あたしが成敗してやるわ」

「な、何いぃ!? ……ああ、もう我慢ならねえ! おい、ガンドルフさんよお、こいつ、ぶっ殺しちまってもいいよなあ」


 キンボイスの乱暴な声に、ガンドルフが少ししゃくれたあごをさする。静かな合図に、キンボイスはグレートソードを空高くかかげた。


「や、やる気!?」


 リロイもスキアヴォーナを抜いてかまえる。それを皮切りに、キンボイスたちが一斉に襲いかかってくる。


「おらっ! 死ねやア」


 キンボイスが大きくふりかぶり、巨木のようなグレートソードがたたきつけられる。リロイとサムソンは左右に飛んでかわした。


 ――あんな剣でたたかれたら即死だわ。うまく接近してこっちの間合いを保たないと――


 思考をめぐらせていると、別の男が剣をかかげて斬りかかってくる。リロイはあわててスキアヴォーナを出して、鋭い刃を受け止めた。


 敵はガンドルフをのぞいて八人。そのだれもが鋭利な剣や棒をにぎっている。さらに戦場は雨に濡れる山道。器用にかわせる逃げ場所はない。


 リロイとサムソンは得物を受け止めて致命傷をさけるが、反撃することができない。


 リロイは四人の男たちに囲まれながら、じっと様子をうかがう。斬りかかってきた剣を木の幹に隠れてかわし、反撃をこころみる。が、後ろから別の男が飛びかかり、スキアヴォーナをふり上げることすらできない。


「おらおらア! びびってんじゃねえぞ。ぺちゃぱい女ア」


 キンボイスが猛り、グレートソードを水平に払う。太い木の幹を分断し、ぶ厚い刃がリロイの首筋に迫る――!


「くっ……!」


 リロイはしゃがみながら、スキアヴォーナを両手でかかげる。がきん、と鈍い金属音とともにびりびりと強い衝撃がリロイの手をしびれさせた。


 なたのようなグレートソードをかわし、リロイは急いで起き上がる。状態をくずすキンボイスに、隙ありとばかりにスキアヴォーナをふり上げる。


 ――うそでしょ!?


 リロイは右手の異変に気づいた。


「げっへっへっへ。大事な剣が折れちまったなあ。……さア、どうする。ぺちゃぱい」


 キンボイスたちは得物を下げて、にやにやと笑いながら近づいてくる。リロイの背筋が凍りつく。


「うわあ!」


 右側の道からサムソンの悲鳴がひびく。サムソンは男に胸倉をつかまれて、顔にあざをつくっていた。


 ――そうだ! こんなに雨が降ってたら、炎の魔術が使えないんだ。早くサムを助けなきゃ――


 リロイが足を向けた瞬間、びゅう! と風を切りながら、何かが真横から迫ってきた。リロイは折れたスキアヴォーナで受け止めようとするが、グレートソードの勢いにふき飛ばされてしまった。後ろの幹に背中を強く打ちつけて、リロイは地面に倒れた。


 キンボイスはにやにやと笑いながら、リロイの腹を蹴飛ばす。そのたびに胃の中から何かを吐き出してしまいそうだった。


「ほらほら。ぺちゃぱいよお。さっきの威勢はどうしたんだあ……? 一発あたったぐらいで終わっちまうんじゃ、おれのむしゃくしゃはおさまらねえんだけどなあ」


 キンボイスはリロイの頭をつかんで、軽く持ち上げる。その後ろからガンドルフが嘲笑しながら見下ろす。


「おい。その辺にしとけ。この女は、迅雷の名で有名なオーブ伯の娘らしいからな。ぶっ殺したのがばれたら、おれらは本当に国を追放されちまう」

「けっ。そんなの、うそっぱちに決まってるぜ。……ま、ほどよく弄れたからいいけどよ」


 キンボイスは手を離して立ち上がった。「命拾いしたなあ」と言って、リロイに背を向けた。他の男たちもガンドルフの合図を見て、キンボイスの後に従っていった。





「ロ、ロイ。……だいじょうぶか」


 サムソンは折れた杖を投げ捨てて、木の幹を伝いながらリロイに近づく。白いローブは雨水と男たちの暴行を受けて、ぼろぼろに破れている。


 リロイはうつ伏せに倒れたまま、手足を動かせずにいた。背中と腹に激しい痛みを感じるが、手足を動かすぐらいならばできるはずだが――動かすことができなかった。


『あたしたち、何気に強くなってるよね』


 脳裏に浮かびあがった言葉が、降りしきる雨の中に溶けていく。鼻や頬が泥水に汚れて、人前にさらせなくなっているに違いない。ドレスやスカートもずぶ濡れになって、冷たくなった身体をさらに冷してくる。


「ロ……」


 すすり泣く声に、サムソンが口を止める。泥水につかり続けている彼女に、かける言葉が見つからなかった。


 ――あたしは、誉れ高き迅雷の娘。


 冷え切った右腕がぷるぷるとふるえ出す。寒さではない別の何かが、くたくたに疲れるリロイの身体を小刻みにふるえさせる。


 ――あたしは、卑劣な悪党すら倒せない。英雄の血だけを受け継いだ娘。


 呪文のように浮かび上がる言葉に、胸のまん中が締めつけられる。激しさを増す雨も、ぐちゃぐちゃにぬかるむ地面の存在も忘れて、目の奥からたくさんの想いがあふれてくる。





 降り止まない雨に打ちつけられながら、情けない自分に涙が止まらなかった。

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