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騎士見習いリロイ  作者: 夏坂ひなた(旧:二条 遙)
四章 人助けと、蹉跌と
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 暗闇から意識が戻って、リロイはゆっくりと目を開いた。


 ――いけない。あたしったら、いつの間に寝ちゃったんだろ。


 白い床に寝そべっていることに気づいて、リロイは床に手の平をつける。上からだれかが乗っかっているのか、身体がとても重い。リロイは腕に力をこめて、気だるい身体を起こした。


 床にお尻をつけて、リロイは茫然と部屋を見わたす。天蓋がついたベッドのとなりで、サムソンが横に倒れている。リロイはサムソンの肩をゆすった。


「ねえ、サム。起きて」

「う……うーん」


 サムソンがゆっくりとまぶたを開ける。ごろんと寝返りを打って、サムソンは首だけを起こした。


「あ、あれ。……ロイ、お前、こんなとこで何してンだ?」

「ちょ、ちょっと! 寝ぼけないでよ。カーシャちゃんを看病してたんでしょ」

「あ! そうだっ――」


 目を見開いた瞬間、サムソンは後頭部を床にぶつけた。ごっ、と鈍い音がして、サムソンが後頭部をおさえた。


「んもう。何してんのよ」

「い、いったあ。……あ、すまねえ」


 リロイはサムソンの背中に手をまわして、身体を起こした。サムソンは「やれやれ」とぼやきながら、膝に手をついて立ち上がった。差し伸べられたサムソンの手をつかんで、リロイもゆっくりと立ち上がった。


 ――あれ。部屋の中ってこんな感じだったっけ?


 違和感に気づいて、リロイは室内をまた見わたす。なぜかわからないが、室内を流れる空気がさっきと違う。少し肌寒かった空気に、もわっと湿り気がまざっている。


 窓際に置かれた大きなベッドに、部屋中央にある丸いテーブル。右の隅には木製の机が置かれて、椅子が少し後ろに引かれている。別段に変わらない、カーシャの寝室の風景。


「ロイ! た、た、た大変だ!」


 強引に肩をつかまれて、リロイはサムソンに向き直る。ベッドを見ているサムソンの視線の先、そこにいるはずのカーシャの姿が――


「いない!? カーシャちゃんがいないわ!」

「ど、ど、どうなってんだ!?」


 サムソンは空になった掛け布団を持ち上げて、がばっとめくりあげる。ぐっしょりと濡れているはずのシーツは、からからに乾き切っていた。


「どういうことなの? 重病で身体も起こせなかったカーシャちゃんが……」

「と、とにかく、エドワードさんを呼ぼう」


 サムソンはばたばたと走って、後ろの扉を開ける。リロイもあわてて、まっ暗な戸口に飛びこ――


「きゃ、きゃあああぁぁああ!」


 扉の向こうにあるはずの廊下がない。替わりにあるのはまっ暗な空間。ものすごい速さで落下しながら、リロイはめくれあがるスカートをおさえた。


 奈落の底にお尻を打ちつけて、リロイは「いったあ」と声を漏らした。


 ――だいぶ落ちてきたけど、お尻の痛みだけでよく済んだな~


 リロイはお尻をさすりながら天井を見上げる。黒い霧のような空気に、藍色あいいろ殷紅色あんこうしょくが混ざっている。幻想画家が描くような、神秘的でいて少し気味の悪い絵画のような色だった。


「ロイ。どこにいるんだ?」


 サムソンの声が聞こえたと思うと、幻想的な空間がぐにゃっとゆがみ始める。視界のまん中から白い光があふれて、リロイは右腕で顔を隠した。


 ――えっ。


 右手を降ろして、リロイは唖然と言葉を失った。気味悪い暗闇が、青々と茂る草原に変わっている。視線のはるか向こうの地平線が、青い空と緑を水平に分断している。あたりからも鳥のさえずりが聞こえてくる。


「ここは一体どこなんだ……?」


 サムソンが後ろから歩いてきて、遠くの地平線を茫然と見つめる。サムソンの無事がわかって、リロイはひとまず安堵した。


「わからないわ。あたしたち、どこに迷いこんじゃったのかしら」

「おれたちは、さっきまで屋敷の寝室にいたんだぜ。どうしてこんなところに……ていうか、この牧場みたいな場所はどこなんだよ」


 サムソンの言葉にリロイは閉口する。サムソンのとなりに立ち上がって、無限に広がる草原を見わたす。右側に視線を向けると、遠い向こうでうす紫色のパジャマを着ている人影が見あたった。


 リロイとサムソンは人影に向かって走り出す。近づいていくと、パジャマを着た女の子が小さな顔を上げた。


「お姉ちゃんはだれ?」

「あ、あたしはリロイ――って、カ、カ、カ、カーシャちゃん?」


 可愛らしく首をかしげるその顔は、さきほどまでベッドで苦しんでいたカーシャだった。目の前にいるカーシャは、汗ひとつ流していない。


「知らないお姉ちゃんが、どうしてあたしを知ってるの?」

「どうしてって、あたしたちはこの間からカーシャちゃんを看病してるのよ。知らない?」

「ううん、知らない」


 素直なひと言に、リロイとサムソンががっくりとうなだれた。リロイは気をとり直して、カーシャの小さな肩をつかんだ。


「カ、カーシャちゃん。ここはどこなの? わかる?」

「う、うん」


 カーシャは眉尻を下げてうつむく。


「ここは……あたしの夢なの」

「ゆ、夢?」

「うん」


 カーシャの悲痛な面持ちを見下ろして、リロイはしばらく考える。


「夢って、将来に持つ夢じゃなくて、夜に目をつむったときに見る夢のこと……?」

「うん」

「それじゃ、ここはカーシャちゃんが見てる夢の中なの?」

「……うん」


 リロイは後ろのサムソンと顔を見合わせて絶句する。カーシャの言葉は信じがたいが、現状を妙に納得させる呪文のようなひびきがあった。


 カーシャが人形のような可愛い顔で見上げた。


「お姉ちゃんが、どうしてあたしの夢の中にいるの?」

「う、うーん。どうしてなんだろうね」

「早く逃げないと、あいつがやってきちゃうよ」

「あいつ……?」


 リロイが眉根を寄せると、あたりの草原と空がぐにゃっとゆがみ始めた。ドレスにしがみつくカーシャを引き寄せて、リロイは腰を落としてみがまえた。


 リロイたちのまわりには、白い空間が広がっていた。学校の教室が三つか四つ入りそうなだだっ広い空間に、白い床。遠くの壁もまっ白で、四角い扉がたくさんならんでいる。


 左の壁も、右の壁にも黒い扉がたくさんついている。リロイを怖がらせるには充分すぎるほどの、異様な景色。天井のない純白の空には、大小さまざまな時計が浮かび上がっている。こちこちと秒針をまわすものがあれば、ぴくりとも動かない時計もあった。


「おや、今日は変なのが混ざってるねえ」


 なまめかしい声が聞こえて、リロイとサムソンは後ろをふり返る。こつ、こつっと音を立てながら、黒のドレスを着た女性がゆっくりと歩いてくる。黒く長い髪を伸ばす女性の胸もとはぱっくりと割れていて、豊満な胸が左右にゆれていた。


 リロイは固唾を呑んだ。


「あ、あなたはだれ?」

「あたいかい? あたいは夢魔だよ」

「夢魔!?」


 サムソンが目を大きく見開く。かしの杖を前に出して、サムソンが静かにみがまえた。


「夢魔ってことは、お前はサキュバスか何かなのか」

「サキュバスう……? おやおや、あんな淫魔といっしょにしないでおくれよ。あたいはナイトメアの仲間だよ」

「ナイトメアだって!? うそつくんじゃねえ! ナイトメアって馬の化け物だろ。お前は全然馬っぽくねえじゃねえか」

「あーあ。いちいちうるさいガキだねえ。ナイトメアが馬の形をしてるってのは、お前らの偏見だろ。ひとえにナイトメアって言っても、いろんなやつがいるんだよ」


 ナイトメアだと名乗った夢魔は、面倒くさそうに耳の穴をほじくっている。リロイは興奮するサムソンを手で制して、一歩を踏み出した。


「あたしたちをここに連れこんだのは、あなたなの?」

「あれまあ。そこのカーシャと同じで、お前たちも何にも知らないで入ってきちゃったのね。いちいち説明するのが面倒くさいってのにねえ」


 名前を呼ばれたカーシャがびくっと反応する。リロイの腰に抱きつきながら、がたがたと身体をふるわせているのを見て、夢魔は口もとをゆがませた。


「お前たち、悪夢の薬って知ってる?」

「いいえ」

「そう。……悪夢の薬は悪い魔術師がつくった劇薬でねえ。ひと口飲むと、すてんと眠りに落ちるのさ。それで、あたいといっしょに、自分の夢の中に閉じこめられて――一生出られなくなっちゃうのさ!」


 夢魔は両手をふり上げて、細長い何かを回転させる。しっかりとにぎられたそれはハンガー(片手剣)のような剣で、夢魔は奇声を発しながらリロイに飛びかかってきた。


 リロイはカーシャをサムソンにあずけて、スキアヴォーナを抜き放つ。夢魔の鋭い剣さばきを受けながら、リロイはじりじりと後退した。


「ここに閉じこめられたお前たちは、あたいに何度も斬り刻まれて、一生の地獄を見るのさ。何せ、ここは夢の中だからねえ。手足を斬り落としたって、何度でも生えてくるのさ。……まあ、死ぬほど痛いのは、そこのカーシャがよく知ってるよ」

「……腐ってるわね。あんた」

「あっはっはっは! 何度でも生で斬れる生きた玩具おもちゃなのよ。最高じゃないか」


 夢魔は嘲弄ちょうろうしながら、二本のハンガーを素早く斬り払う。リロイの頬と二の腕に浅い斬り傷がついた。


「お前たちがどうしてカーシャの夢に入ってこれたのか知らないが、せっかく来たんだ。あたいの玩具になっておくれよ! さア、さア!」


 夢魔は裂けるほどに口を大きく広げながら、リロイにまた飛びかかった。

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