38
薬を手にし、リロイとサムソンは帰路についた。途中、二匹のグリフォンと三匹の狼に追われたが、日没までにヤウレに到着した。
今すぐに薬を届けようと言うサムソンを説得して、リロイはディッシュの宿に入った。宿の中は珍しく、二組の客が入っていた。
「そういや、医者のじいさんにレスターのことを聞きそびれちったな」
窓側のベッドに身体をあずけて、サムソンはリロイを見つめる。リロイは椅子に腰かけて、机の上に頬杖をついた。
「そうね。レスターさんはノルグから来たって言ってたし、医者のおじいさんだったら何か知ってたかもしれないね」
「くそっ。肝心なときに見落としちまうなんて、どうかしてるぜ。ちくしょう、おれとしたことが、何やってんだか」
サムソンは苦悶しながら両手で頭を掻く。リロイは茫然としながら息を吐いた。
「まずは薬を持っていって、カーシャちゃんを治してあげようよ。レスターさんのことはその後でゆっくり探ればいいじゃない」
「ああ、そうだな」
サムソンはむくりと起き上がり、奥に閉じられている部屋の扉を見つめる。その様子をリロイはそれとなく観察していたが、
「ごめん」
思いがけない言葉が聞こえて、リロイは飲んでいた水を吹き出した。
「ど、ど、ど、どうしたの!?」
リロイはおどろいて立ち上がったが、サムソンはうつむいたまま扉の下の方を見つめている。
サムソンは頭を抱えた。
「ここに来てから、おれはお前の足を引っ張ってばかりだ。お前を助けてやろうと思ってついてきたのに、情けねえ」
「そ、そんなことないって! サムは全然足なんて引っ張ってないわよ。てゆーか、グリフォンに襲われるきっかけをつくったのあたしだし! それに、ほら。この前だって――」
「……最近のおれはどうかしてる。自分でもわかんねえんだけど、すぐに頭に血がのぼってイライラするんだ。レスターの野郎につっかかったときも、ノルグのじいさんに薬を頼んだときも、静かにしてればいいってわかってるのに、騒ぎ立てるようなこと言っちまうし」
ぽつりぽつりと言葉をつむぐサムソンに、リロイの心にずきりと何かが突き刺さる。リロイは胸をおさえながら、サムソンのとなりに座った。
「あんまり思いつめないで。サムはカーシャちゃんのことが気になって仕方ないんだもん。気持ちも動転するわよ」
「で、でもよ」
「それに、自分がわからなくなるくらいに想えるってことは、あなたの気持ちが本当なんだってことじゃない。うん。あたしに謝る必要なんてどこにもないわ」
「……ごめん」
サムソンは肩をぷるぷるとふるわせる。その様子にリロイは心を痛めながらも、何故か純粋に応援する気持ちになれなかった。
翌朝、リロイとサムソンは軽食を済ませて、ぼろ宿『ディッシュ』を後にする。通りの向こうからひんやりとした風が吹いて、リロイの身体を涼ませる。
リロイは右手の巾着袋を顔の前に出して、にやりと笑った。
「この薬を届けて、ばしっとカーシャちゃんを治して差し上げましょ」
ガッツポーズをとるリロイのとなりで、サムソンは「そうだな」とつぶやいた。
昨日の夜から、サムソンは暗い顔をして塞ぎこんでいる。リロイが下らないぼけをかましても、ぴくりとも反応してくれなかった。
けんかをしたわけでもないのに、リロイは何となく気まずくなってしまう。剣聖を探すという目的よりも、今はこのいたたまれない気持ちをどうにかしたかった。
――サムのためにも、カーシャちゃんを絶対に治してあげないとね!
リロイがひそかな決意を胸に秘めている後ろから、
「あれえ? あそこにいるやつって、例のぺちゃぱい女じゃねえの?」
こもるような男性の声が聞こえて、リロイはあわててふり返る。酒場『ブライアン』に入ろうとしている男たちが八人。その先頭にいるモヒカン頭のキンボイスが、喜色を浮かべながらこちらを差していた。
リロイは両手を後ろに向けて、身体を大きくのけ反った。
「げっ。あんたはこの間のモヒカン男! 朝からまた酒場に入り浸ってんの?」
「うるせー。ミルクしか飲まねえガキんちょは黙ってろ」
「あんたらねえ。……毎日お酒ばっか飲んで、よくお金がなくならないわね。ちゃんと仕事しなさいよ」
「けっ。おれらには一生働かなくてもなくならねえ財源があんだよ。そういうてめえだって、こないだから胸が全然育ってねえじゃねえか。そんなんで赤ちゃんにおっぱいあげれんのかあ?」
「う、うるさいわよ! 一日二日で育つわけないでしょ」
キンボイスたちはげらげらと笑い合っている。リロイのこめかみに青筋が三つ浮かんだ。
「あんたら! いい加減にしないと――」
「ロ、ロイ。やめろって」
サムソンがリロイの背中を引っ張る。リロイは「うー」とうなりながら、ふり上げた拳を泣く泣く引っこめた。
「い、行きましょ。下らない人たちにかまってても仕方ないし」
「あれえ? 今日のぺちゃぱい女は元気ねえぞ。もしかして、おれにびびっちまったのかあ?」
キンボイスたちは腹を抱えて笑う。リロイは肩をふるわえながら、酒場に背を向けた。
憤然たる気持ちをおさえて、リロイとサムソンはエドワードの屋敷に向かった。門から呼び出し用の鈴を鳴らすと、メイドのドロシーが笑顔で迎えてくれた。
エドワードとパトリシアに薬のことを伝えると、ふたりは手を合わせて喜んだ。リロイは薬をレスターにわたして、カーシャの寝室に向かった。
「ど、どうですか。先生」
薬を飲ませるレスターの後ろで、エドワードが心配そうにカーシャの顔をうかがっている。レスターはカーシャの頭をゆっくりと降ろして、にこっと笑った。
「一回飲んだだけでは治らないでしょう。数日間続けて服用させて、様子を診ましょう」
その言葉にエドワードは胸をなで下ろす。レスターは向き直ってリロイを見つめた。
「リロイさんは、私に替わってとなり町まで行かれたそうですね。わざわざ薬を買ってきていただいて、とても助かります」
「いえいえ! そんなことないですって! ……あたしみたいなずぶの素人が出しゃばったりして、むしろ先生の邪魔をしてるんじゃないですか?」
リロイが奇声を発しながら右手でぶんぶんと宙を叩くと、レスターはたまらず苦笑した。
「そんな、滅相もない。この薬は医者が選んだものなのでしょう? 私は打つ手がなくて困っていたんですから、嬉しくて部屋中を走りまわりたいくらいですよ」
「そ、そうですか」
「カーシャさんが良くなってくれたら、私も枕を高くして眠ることができそうです。……あ、この薬でカーシャさんが治っちゃったら、私の面目は丸つぶれですね」
レスターが頬をぽりぽりと掻くと、エドワードたちが声を立てて笑った。レスターの人柄のよさに、リロイとサムソンも微笑まざるを得なかった。
カーシャの容態を見るため、リロイとサムソンは数日にわたって屋敷に通った。温かいエドワードとパトリシアに迎えられて言葉を交わしたが、カーシャの病状に変化は見られなかった。
「カーシャちゃん、良くならないですね」
天蓋がついたベッドの中でカーシャがうなされている。リロイはタオルで寝汗をぬぐった。エドワードは後ろで落ち着きなく部屋中をうろうろしている。
「リロイさんからいただいた薬は、朝と夕方にきっちり飲ませているんだが……どうしてなんだ。飲ませ方が悪いのか」
「薬はレスターさんが処方してくれてるから、飲ませ方は悪くないと思いますよ。あたしが持ってきた薬じゃだめだったのかなあ」
「いやいや。リロイさんがとなり町まで足を運んでくれたものだ。効果がないなんてことはない。きっと他に原因があるんだ」
エドワードはリロイを全身で肯定してくれる。その真っ直ぐすぎる気持ちがありがたい反面、薬の効果が出ないことに激しい苛立ちを覚えてしまう。リロイは汗でぬれたタオルをにぎりしめた。
――薬をあげてるのに、カーシャちゃんはどうしてよくならないの……!? あたしが持ってきた薬が悪いの? それとも、もっと別の原因があるの?
リロイの後ろでサムソンが腰に手をあてた。
「薬の効果が出にくいだけかもしれない。もう少し、もう少し、様子を診ましょう」
「そ、そうですね」
サムソンの悲痛な言葉に、リロイとエドワードはいっしょにうなずいた。
今日は夜まで残って看ようというサムソンの強い主張に、リロイは賛成した。エドワードとパトリシアは「そこまでしてくれなくてもいいのに」と心配してくれたが、リロイの脳裏に申しわけない気持ちが離れなかった。
「肺炎の薬が効かないんだから、カーシャちゃんは別の病気にかかってるのかなあ」
カーシャの青い顔を見下ろしながら、リロイは椅子に座って頬杖をつく。となりのサムソンはぎりぎりと歯ぎしりした。
「レスターの野郎は肺炎だって言ってたけど、違ったのか? ……あんのやぶ医者め、下らねえところで誤診しやがって」
「まだそうと決まったわけじゃないでしょ。レスターさんが悪いとは限らないって」
「でもよ。そもそもあの野郎が――」
声を荒げているところで、寝室の扉ががちゃりと開いた。戸口から銀色のトレイを持ったレスターが部屋に入ってきた。
「ふたりとも、休まないで看病してたら身体に毒だよ。これでも飲んで、少し休んだらどうかな」
「あ、どうも」
リロイとサムソンは手を伸ばして、トレイの上に置かれた小瓶をつまむ。茶色の小瓶は細長くて、リロイの手と同じくらいの大きさだった。
「先生。これは……?」
「身体の疲れと緊張をほぐす栄養剤だよ。ふたりとも連日の看病で、だいぶいらいらしているみたいだったからね」
「あ、あはは。ばれてました? んもう。先生も澄ました顔して、案外抜け目ないのね」
「ま、まあ、私は医者だからね」
リロイが肘で小突くと、レスターは「はは」と苦笑した。ふたりとカーシャの様子を見守ると、レスターは「看病もほどほどにね」と言って退室していった。
「うげっ、まっず。何だこれ。肥だめみてえな味がすンぞ」
サムソンが小瓶を恨めしそうににらみつける。リロイもぐいっと飲んでみたが、腐った野菜と加齢臭をまぜたような味がした。
「せ、先生がわざわざこしらえてくれたんだから、ちゃ、ちゃんと、飲まなきゃだめよ」
劇薬のような栄養剤を何とか飲みきって、小瓶をテーブルの上に置く。サムソンも「新手の罰ゲームかよ」とぼやきながら、栄養剤を飲み干した。
椅子に座ると、リロイの肩にぐっと重りがのしかかってきた。
――はあ。先生の言う通りかも。人を看病するのも、結構疲れるんだね。
リロイは首をかたむけてぐったりする。疲れているとわかると、だんだんと考えるのも億劫になってきた。
「はあ、ねむっ」
となりのサムソンも口を大きく開けてあくびする。涙目になっていて、目をしょぼしょぼさせていた。
「ちょ、ちょっと。……サム。ね、寝ちゃ、だめよ」
サムソンに向けていた注意が散漫になっていく。肩の力が抜けて、リロイの両腕がだらりと下に落ちる。人形のように身体から力がなくなっていった。
がたんと音がして、サムソンが床に倒れこむ。横に倒れながら、サムソンは両目をつむってしまった。リロイの身体も横に流れて、床に右肩を強く打ったが、痛みと衝撃は感じられなかった。
力のない瞼がゆっくりと閉じられて、リロイの意識が暗闇の中にまどろんでいく。