36
次の日、リロイはサムソンをつれてエドワードの屋敷を訪問した。鈴を鳴らすと、庭の木陰からメイドのドロシーが駆けてきた。
「あ! リロイさんにサムソンさん。またいらしてくれたんですか」
「え、えへへ。昨日に続いて図々しく来ちゃいました」
きらきらと目を輝かせるドロシーに、リロイは苦笑する。ドロシーは草刈り用の鎌を持っていない左手で門を開けてくれた。
「ドロシーさんは今日も草刈りしてるんですか?」
「はい。お庭の雑草がぼうぼうなので、奥様と手分けしてるんです。お庭がすっごく広いので、大変なんですよ~」
能天気にしゃべりながら、ドロシーが庭の向こうを指差す。三本の木の根の間に、リロイの足から膝までの高さの草が生い茂っている。雑草は白い柵から屋敷まで、一面に生えていた。
――あんなにたくさん雑草が生えてたら、ふたりだけでむしるのは大変だよね。最悪の場合、いっしょに草むしりして信用を得るしかないかな。
屋敷の前の白い階段を上がりながら、リロイは茫然と庭を見下ろす。カーシャやエドワードの心情よりも利益ばかりが浮かんで、むなしく思った。
二階奥のカーシャの部屋に入ると、髪を後ろに結んでいるエドワードがベッドのわきに座っていた。エドワードは扉の開く音に気づいて、リロイとサムソンに会釈した。
「カーシャちゃんの具合はどうですか?」
「うん。ちょうど今さっき寝静まったところだよ」
エドワードがそっと息を吐く。リロイはとなりに寄ってカーシャの顔をのぞく。すやすやと寝息を立てるカーシャの枕が、ぐっしょりと濡れている。
――あたしより若いのに、ベッドの上でずっと苦しみ続けるのって、どんな気持ちなんだろ。サムが一目惚れするほど可愛いのに、ほんとにかわいそう……
リロイの前で眠るカーシャは、人形のように白い顔をしている。瞼から生えるまつ毛は長く、鼻筋も通っている。顔が青いことを除けば、王国でも指折りの美しさなのではないだろうかと、リロイは思う。
同姓も思わず羨むような美しいお姫様は、透明な銀色の髪をベッドに垂らしている。ゆるやかなウェーブがかかった長い髪は、うすいピンク色がかかっていて、とても可愛らしい。
――ん? うすいピンク色の銀髪……?
リロイは首を動かして、となりでうつむくエドワードを見る。こしのない金色の髪は、後頭部で丁寧に結われている。リロイの視線に気づいて、エドワードが眼鏡の縁を指でつかんだ。
「ん? 何かな」
「いや、その、エドワードさんとカーシャちゃんって、髪の色が違うんですね」
「ああ、それはそうだよ。この子は養子だからね」
「養子!?」
リロイは驚いて後ろのサムソンにふり向く。サムソンも眉に皺を寄せながら、じっとリロイの瞳を見つめる。
エドワードは両膝に肘をついて、背中を丸めた。
「私もパトリシアも子供が欲しかったんだけど、パトリシアは不運にも子供を産めなくてね。……カーシャは教会にあずかられていた孤児だったんだけど、神父さんにお願いしてこの子を養子にしてもらったんだ」
「そうだったんですか。そうとも知らないで、変なことを聞いてすみません」
「はは、いいんだよ。この子はとてもいい子だから、私もパトリシアも満足しているし、この子も私たちを実の親のように慕ってくれる。……だからこそ、この子の元気になった顔が一日も早く見たいんだ」
エドワードは眼鏡の奥を潤ませながら、カーシャの小さな手をにぎる。その真っ直ぐすぎる想いが、リロイの胸の中心を真正面から突き刺す。利益や目的ばかりに追われている自分が、とても浅はかな生き物のように思えてならなかった。
となりでじっと立ち尽くしていたサムソンが、「あ、あの」と声をあげた。
「あの、カ、カ、カ、カーシャ、さんは、教会にいたころから具合が悪かったんですか」
「う、うん。具合というか、この子は生まれつき身体が弱くてね。昔から肺を患っているから、その影響なのかもしれないけど」
「そ、それでは、教会にいたころから医者に付きっきりだったんですか?」
「教会にいたころから……?」
エドワードは意味を理解しかねて首をかしげたが、少しして「はは」と声を出して笑った。
「サムソン君は大きな勘違いをしているね。カーシャは教会にいたころから寝たきりになっていたわけではないんだよ」
「えっ、そうなんですか」
「うん。君とカーシャの初対面がこんなだから、誤解するのも無理はないけど、病弱と言っても外でボールを蹴ることくらいはできる子なんだよ」
「それじゃ、カ、カ、カーシャさんが寝こんだのは、割と最近だということですか?」
「う、うーん。そうだね。この子の具合が悪くなったのは、二週間くらい前だったかな。レスターさんがいらしたころだったね」
サムソンの妙な言葉遣いに首をかしげながら、エドワードは力なくつぶやいた。
「臭え」
カーシャの寝室を出るなり、サムソンが腕を組んで言い切る。リロイは肘を鼻に寄せて、そっと臭いをかいだ。
「あ、あたしじゃないわよ。昨日はちゃんとお風呂に入ったし」
「違えよ! お前の体臭じゃなくて、レスターっていう野郎が怪しいっつってんだよ」
ぎりぎりと歯ぎしりするサムソンに、リロイはびくっと身体を仰け反らせる。サムソンは杖の先でどんっと床を突いた。
「ったく、下らねえところでぼけやがって。お前、やる気あンのかよ」
「あ、あるわよ! もう、筋肉もりもりになるくらいにやる気まんまんよ」
「まーた意味わからねえこと言いやがって。頼むぜ、相棒」
サムソンは呆れ果てた顔で毒づく。リロイはむっと眉根を寄せたが、平静のサムソンが見れて嬉しくなった。リロイはにこっと微笑んで、サムソンの肩を叩いた。
「んもう! 急に息吹き返しちゃってえ。元気になったんだったらひと言くらい言いなさいよ、まったくもう」
「う、うるせえ。下らねえこと言ってねえで、レスターって野郎んとこに行こうぜ」
「はいはい。病気で苦しむお姫様のためにがんばりましょうねー。サムソン様」
「……てめえ。いつか本当に殺してやるからな」
リロイとサムソンはだれもいない一室を見つけて、隠れるように忍びこむ。リロイは戸口から顔を出して、きょろきょろと廊下を見わたす。左右に伸びる廊下はがらんとしている。エドワードやドロシーの姿はない。
リロイが扉を静かに閉じると、サムソンはとなりの壁にもたれかかった。
「カ、カーシャ、さんが寝こむようになったのは、つい最近のことだったんだな」
「でもって、同じタイミングでレスターていう医者が屋敷にやってきた」
腕を組んで、リロイは物置のような室内を見わたす。狭い室内には、棚やベッドが立てかけられている。
サムソンは頭の後ろに両手をあてた。
「具合が悪くなるタイミングでやってくるなんて、都合よすぎねえか? カーシャ、さんが、寝こむのをまるで予期してたみてえだな」
「でもレスターさんは医者だから、カーシャちゃんの具合が悪くなるのを知ってたのかもしれないわよ」
「そりゃあ、ずっと診察してればわかるかもしれねえけど、レスターの野郎がやってきたのは最近なんだろ? やっぱり不自然だぜ」
「そうだよねえ」
リロイは相槌を打ちながら、レスターを初めて対面したときを想像する。リロイの名前を聞いた途端に、レスターは目を細めて表情を険しくしていた。
それが何を意味しているのかはわからないが、何か、蛇ににらまれた蛙のように背筋がぞくぞくしたのをリロイは覚えている。
リロイはしゃがんで、部屋の奥に置かれたベッドを見つめる。紫色の天蓋がついたベッドは、埃がついて少し汚れていた。
「あたしも最初にレスターさんを見たとき、いやーな感じがしたんだよね。何でなのかはわからないけど」
「お前も怪しいって思ってんだったら、話は早えぜ。レスターを問いつめてやろうぜ」
「うん」
リロイとサムソンは物置を出て、レスターの自室に向かった。部屋は長い廊下の左側、カーシャの寝室の反対側に位置している。
リロイが扉をノックすると、「はい」と奥から返事が聞こえて、白衣を着たレスターがあらわれた。
「おや、あなた方は……」
「レスター先生。カーシャちゃんの病気のことでお話したいんですけど、いいですか?」
レスターは「どうぞ」と言って、リロイとサムソンを部屋に案内する。リビングのような室内にテーブルとソファが置かれている。リロイとサムソンは黒いソファに座った。
「リロイさん。病気のことで話とは、改まってどうしたんです?」
「はい。……その、あたしたちも先生の力になりたいと思いまして」
「ああ! そうですか。カーシャさんの病気には困っていたので、とても助かります」
レスターは手を打って喜ぶ。リロイは愛想笑いを返したが、となりに座るサムソンは口もとを動かさなかった。
リロイはテーブルに手をついて身を乗り出す。
「あの、カーシャさんの病気は本当に肺炎なんですか」
「ええ。そうですよ」
「でも、肺の病気で熱が出たりするんですか? あたしの知り合いが、熱が出ているのに顔が青くなるのはおかしいって言ってたんですけど」
「ええ。そこなんです。私もわからないのは」
レスターはリロイの顔を指差して何度もうなずく。
「肺炎は肺の炎症ですから、肺にかぎらず人体に影響を及ぼすんです。高熱以外にも、頭痛や吐き気がすることもあるんですよ。ですが、熱が出ているのに顔が青くなるのは……血流が悪いのか、または別の原因なのか」
「そうですね。……薬は使われたんですか?」
「ええ。二日に一回、肺炎に効く薬を投与していますよ。……結果は火を見るより明らかですが」
レスターは両手をあげて、「これでは医師失格ですね」とつぶやいた。となりで口を固く結んでいたサムソンが、リロイを押しのけて前に出た。
「なあ。あんたはヤウレの町医者なのか?」
「ちょ! ちょっと、サムってば」
リロイはあわててサムソンの腕を引っ張るが、レスターは「くく」と笑った。
「サムソン君は私を疑っているのかな? まあ、成果をあげていないから無理もないが」
「……別に疑ってなんていないですよ。ちょっと聞いてみただけじゃねえか」
ふてくされるサムソンを見て、レスターはにやりと笑った。
「私はカーシャさんのうわさを聞いて、となり町のノルグから来たんだ。私の医術が役に立てないかと思ってね」
「カーシャちゃんの病気って、となり町でうわさになるほど有名なんですね」
「ええ。彼女のお父さんのエドワードさんは有名な資産家だからね。……それに、聞いた話によるとヤウレには医者がいないみたいだから、町の手助けができたらいいなと思っているよ」
レスターは優しく微笑みながら、「紅茶でも飲むかい?」とゆっくり立ち上がった。