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騎士見習いリロイ  作者: 夏坂ひなた(旧:二条 遙)
四章 人助けと、蹉跌と
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 心優しいチェストレイン夫妻に誘われて、リロイとサムソンは昼食をいただいた。三十人ぐらい入れそうなダイニングルームには、天使や偉人の肖像画がかざられている。


 食事の後もリロイはエドワードやパトリシアと世間話をしたが、サムソンはほとんど口を開けなかった。食事のときもカーシャの寝室がある方を向いて、とても思いつめているようだった。


「エドワードさんとパトリシアさんって、すっごくいい人だよね~」


 屋敷を背に、リロイはぽっこりとふくらんだお腹をさする。ひさしぶりにおいしいご飯が食べられて、昨日の憂鬱ゆううつはすでに頭の中にない。


「この調子だったら、カーシャちゃんの病気を治さなくても、剣聖さんの居場所を聞き出せちゃいそうだよね。……って、そんなずるいことはしちゃだめか」


 リロイはそれとなくサムソンに話題をふるが、サムソンからの応答はない。そっと目をやると、サムソンはかしの杖をにぎりしめて、地面の一点を見つめていた。


 ――こいつ、まさかとは思うけど……


 リロイは目を細めて、サムソンの赤い頬を見つめる。


「エドワードさんから聞いたんだけど、ドロシーさんってすっごくかっこいい恋人がいるんだって」


 サムソンの眉はぴくりとも動かない。リロイがにんまりする。


「パトリシアさんがさっき言ってたんだけど、カーシャちゃんって実は婚約者がいるんだって」

「ええっ!?」


 するとサムソンが驚いた顔を向ける。両目を大きくしながら、サムソンは強い力でリロイの両肩をつかむ。


「ま、まじかよ!? こ、婚約って、何かの間違いだろ!?」

「ええ。あたしが今さっき考えた、根っからの間違いっす」


 リロイはさらに目を細める。サムソンは「へっ!?」と間抜けな声をあげて、身体を固まらせる。しばらくの沈黙の後、サムソンはリロイの探りたてるような視線に気づいて、顔をまっ赤に染め上げる。


「カーシャちゃんに一目惚れしちゃったの?」

「えっ、あ、い、いや、そういうわけじゃ――」

「どのくらい好きになっちゃったの?」

「うっ。……だ、だから、別にそういうわけじゃ――」

「でも残念ねえ。パトリシアさんがさっき言ってたけど、カーシャちゃんにはすでに、婚約者、がいるから」

「うっ」


 止めのひと言に、サムソンの呼吸が止まる。額の上からだらだらと汗を垂らして、へなへなとしゃがみこんだ。


 リロイは口に手をあててほくそ笑んだ。


「カーシャちゃんはまだ十五歳なのよ。婚約者なんているわけないじゃない」

「だ、だから、そんなんじゃねーんですって」

「あっそ。でも、あんなに可愛いんだから、恋人のひとりやふたりいてもおかしくないかもねー」

「ううっ」


 サムソンはうなりながら、下からリロイをにらみつける。両目からたくさんの涙を浮かべて。


 ――げっ。な、泣いてるし。


 リロイはどきりとして、思わず半歩下がった。何年も見てなかったサムソンの涙に、心のまん中が締めつけられたような気がした。


 リロイは右手を出して、泣きじゃくるサムソンの頭をなでた。


「あ、あんたの気持ちはよくわかったわ。それに、さっきの、カーシャちゃんに恋人がいるってのも、あたしが考えた妄想だから! そんなに気にしなくてもだいじょうぶだってば。ね?」

「……てめえ。いつか殺してやるからな」


 今にも噛みついてきそうなサムソンを背に、リロイは「あはは」と声をあげながら、ゆるい坂道をスキップする。


 ――いくら悪口言っても泣かないサムが、あんなに泣くなんて。あたし、すごい悪いことしちゃった。


 リロイは肩を落としてげんなりした。





「肺炎?」


 宿『ディッシュ』に戻り、リロイはダイニングルームでくつろいでいるディッシュに話をした。サムソンはすぐに階段にあがってしまい、ダイニングにはいない。


 人気ひとけないダイニングのまん中で、ディッシュは大きなあくびを漏らしている。リロイは対面の椅子に腰かけて、テーブルに肘をついた。


「うん。エドワードさんのひとり娘のカーシャちゃんなんだけど、肺炎がひどくてベッドからも出られないんだって」

「ああ、あの子は小さいころから身体が弱いからなあ。でも、寝たきりになるほど酷かったかなー」

「酷かったわよ。顔なんてまっ青だったし、枕にびっしり寝汗もかいてたし。あんなに高熱出してたんだもん。寝たきりにもなるって」

「……ん、高熱出してたのに、顔は青かったのか?」


 ディッシュは首をかしげながら、ぼりぼりと尻を掻く。リロイが「うん」とうなずくと、ディッシュはさらに顔を険しくした。


「風邪とか引いて熱が出たら、顔は赤くならねえか?」

「そんなの、あたしは知らないわよ」

「知らないって、お嬢ちゃんだって風邪くらい引いたことあるだろ。風邪で高熱が出たときに顔は青くなったか?」

「うっ。……ま、まあ、言われてみればそうかもしれないけど、カーシャちゃんの肺炎と風邪は関係ないでしょ」


 リロイがぶすっと頬をふくらませると、ディッシュは肩を落としてため息をついた。


「おいおい、勘弁してくれよ。普通、患者を治すときは症状を診て判断するんだろ? こういう、ちょっとしたところに重要な手がかりが隠されているかもしれないんだぜ」

「う、うるさいなー。今日もひましてるだめ店主のくせに、いっちょ前に説教しないでよ!」

「へっ。お嬢ちゃんの乳臭さが抜けてねえから悪いのさ」

「ち、乳臭くなんかないわよ!」


 リロイが両手をぶんぶんふると、ディッシュはげらげらと笑いながら「水でも飲んで頭冷せや」と言って立ち上がった。丸まった背中を向けて、となりのキッチンに姿を消す。


 ――んもう! こっちは大事な上客だってのに、何よ、あの図々しい態度。ほんとむかつくなー


 リロイは眉間にしわを寄せて、となりのキッチンをにらむ。キッチンから、かちゃかちゃと食器のこすれる音が聞こえてくる。


 リロイはテーブルに手をついて、そっと天井を見あげる。ところどころにひびが入った天井に、カーシャの顔がうっすらと浮かび上がる。カーシャは青い顔をしながら、たくさんの汗を流している。


 ――おかしいな。カーシャちゃんの顔は青かったと思ったんだけど、あたしの見間違いだったのかな。


 屋敷を出る前にカーシャの額をさわってみたが、体温はかなり熱かった。


 リロイの頭からぷすぷすと煙が出てきたころに、ディッシュはふたつのコップを持ってきた。水の入ったコップをリロイの前に置いて、「飲みな」と言った。


「お嬢ちゃんも人がいいな。エドワードさんは元気にしているんだから、レオンハルトのことをさっさと聞いちまえばいいのに」

「……あたしだって、そうしたかったわよ。でも、フェアじゃないでしょ。一方的に利用するのって」


 リロイは両手でコップをつかんで、そっとため息をついた。ディッシュが椅子を引いて、対面に腰かける。


「そうか? 目的のために人を利用するのは、商売じゃ基本中の基本だぜ」

「むっ。あ、あたしは騎士なのよ。騎士は目的や利益よりも、人の和と礼節を重んじるの。おじさんといっしょにしないでよ」

「はいはい。乳臭い箱入り娘にはかなわねえなー」

「だあから、乳臭くないって言ってるでしょー!」


 リロイがテーブルの上のものをむちゃくちゃに投げると、ディッシュは両手を突き出して、「わかった、わかった」と悲鳴をあげた。





「……で、坊主は何で降りてこないんだ?」


 顔にいくつかあざをつくったディッシュが、天井を見あげながらぼやいた。リロイはどきりとした。


「え、えっと、それが……」


 サムソンの泣き顔を想像しながら、リロイはテーブルの上で手を遊ばせる。疑うディッシュの前で、リロイは頭の後ろに手をあてた。


「さ、さっき、帰りにカーシャちゃんの病気のことを話してたんだけど、口論になっちゃって……」

「それで、けんかしちまったってか。おいおい、だいじょうぶかよ」

「う、うん。まあ、いつものことだから」


 苦笑するリロイにディッシュが呆れ果てた視線を送る。胸にずきずきと痛みを感じながら、リロイはコップの水をぐいっと飲み干した。


「サムともけんかしちゃったし、カーシャちゃんの病気を治すのも大変そうだし、踏んだり蹴ったりだなあ」

「前途多難ですなー。お嬢ちゃん」

「う、うん。でも、カーシャちゃんの病気はお医者さんが診てくれてるから、あたしたちが必死になる必要はないんだけどね~」

「医者あ? エドワードさんのところに診察しにきたやつがいたのか?」


 ディッシュが目を丸くする。リロイはこくりとうなずいた。


「レスターさんっていう人なんだけど、診察しにきてるんじゃなくて、住みこみでカーシャちゃんを診てるんだって」

「はあ。そんなやつがエドワードさんの屋敷にいやがるのか。ヤウレで医者やってるやつなんていたんだなー」


 そのひと言にリロイの背筋が凍りつく。ディッシュは頬杖をついて、「となり町からやってきたやつかなー」とぼやく。


 リロイは背中を伸ばして、まじまじとディッシュを見つめる。


「ねえ、おじさん。ヤウレにお医者さんっていないの?」

「ああ、いねえよ」

「じゃ、じゃあ、病気になったらどうするの? お医者さんがいなかったら、病気を治せないでしょ」

「そうだよ。だから、医者がいるとなり町まで歩いて診てもらうんだろ。となり町っていっても、徒歩で一時間以上もかかるから、診てもらうだけでも大変なんだぜ」


 げらげらと笑うディッシュに、リロイはぽかんと口を開ける。ディッシュは笑みを止めて、わしわしと頭を掻いた。


「都会育ちのお嬢ちゃんにはわからねえかもしれねえが、ヤウレみたいな田舎じゃ医者がいねえのなんてあたり前だ。だから、大事な娘さんが病気になんてなったら一大事だ。それこそ、医者に住みこみで診てほしいと思うくらいにな」

「へ、へえ。そうなんだ」

「まあ、そのレスターっていう医者がやぶなのか知らねえが、カーシャちゃんが治ってないってことは、治療はあまり進んでないというわけだ。そこでお嬢ちゃんがひょっこりと薬を持って治してあげたら、エドワードさんの心をぐっとつかめるんじゃねえのか」


 ディッシュはにっと笑って、消沈するリロイに親指を立てた。

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