33
次の日。リロイとサムソンは宿『ディッシュ』で朝食をいただいた。
「一晩寝て、嬢ちゃんも元気になったかな」
パンをかじるリロイとサムソンの前に座って、店主のディッシュが肘をついた。サムソンが皿にパンを置いて、呆れながらディッシュを見つめた。
「おっさん。こんなところで座ってないで仕事しろよ」
「そんなこと言ったって、宿泊客は坊主と嬢ちゃんだけなんだぜ。おれに仕事させたいんだったら、さっさと朝食を済ましちゃいな」
「けっ。仕事さぼってるから、客が入って来ねえんだよ」
サムソンは悪態をつきながら、豆のスープをすすった。リロイはソテーを食べながら、にこにこするディッシュを見つめた。
「ねえ、ディッシュさん。あたしたちは剣聖さんを探してるんだけど、どこにいるか知ってる?」
「剣聖って、ダガー一本で悪漢十人を倒したっていう剣聖レオンハルトのことか」
リロイは食事の手を止めて、となりのサムソンにふり向く。サムソンもスープをテーブルに置いて、ディッシュをまじまじと見つめた。
「ディッシュさん。剣聖さんのこと知ってるの?」
「知ってるのって、レオンハルトはこの町の出身だぜ。知らねえわけねえだろ。あんたらだって、それを調べてからやってきたんだろ?」
「う、うん」
リロイの曖昧な返事に、ディッシュは頭を抱えた。
「おいおい。そんなことも知らねえで、よくここまで来れたな。最近のガキんちょはどういう神経してんだか」
「そ、そんなこと言ったって仕方ないじゃん。あたしたちだって手探りで来てるんだから。いいから剣聖さんについて教えてよ!」
「わかったわかった。わかったから、そう怒るなって。でも、期待持たせるような言い方して悪いが、おれもレオンハルトの住んでる場所は知らないんだ」
ディッシュは頭を掻きながら苦笑した。リロイが恨めしい視線を送ると、ディッシュは両手を出して降参した。
「からかったりして悪かったよ。……お嬢ちゃん、そんな怖い目でにらむなって」
「あたしはリロイよ。お嬢ちゃんなんて名前じゃないわ」
「わかったよ、リロイ。レオンハルトの知り合いを紹介するから、それで勘弁してくれよ」
「レオンハルトの知り合い!?」
リロイは血相を変えて立ち上がる。椅子が後ろに引かれて、がたっと音がした。ディッシュはテーブルに肘をついて、両手で鼻と口を覆った。
「……町の通りをずっと歩くと、チェストレインさんっていう富豪の家があるんだ。チェストレインさんは、おれが若いころから世話になっている人なんだが、レオンハルトは駆け出しのころにチェストレインさんの家で用心棒をやっていたんだ」
「用心棒を……? でも、それって昔の話でしょ。今とはあんまり関係ないと思うけど」
「まあ、そうだな。だが、レオンハルトが義理堅い男だったら、昔に世話になった人に連絡をよこしたりするんじゃないかい?」
ディッシュは椅子の背もたれに寄りかかって、鼻の穴をほじくる。リロイはスープを一気に飲み干して、となりのサムソンにふり返る。サムソンは浅くうなずいた。
「そう、そうだよね。ディッシュさん、ありがとう」
「おれは可能性を示唆しただけだ。礼を言うんだったら、レオンハルトが見つかった後にしてくれ」
「うん。わかったわ。ディッシュさんの素直じゃないところ、大好き!」
「はいはい。もう一泊したかったら、いつでも言ってくれ」
ディッシュは立ち上がって、空になった皿をトレイに乗せた。
なめし革の鞄を下げて、リロイは宿を後にする。じろじろと見つめてくる町人たちの横を通りすぎて、リロイは中央通りを大股で歩いた。
十分ほど歩くと、白い石でできた塀に囲まれた豪邸が見えてきた。同じく白い石で建てられた屋敷は、床が地面から浮いている。屋敷からたくさんの柱が伸びていて、芝生のような草が生えた地面と接地していた。
屋敷の四方には円柱の塔が建っている。荘厳な塀と広大な敷地の中央に建つそれは、豪邸というよりも小さなお城に見えた。
「すっげー。これがチェストレインさんっていう人のお宅かよ」
鉄格子のような扉の前で、サムソンがぽかんと口を開ける。リロイの腕からドレスの袖がずり落ちた。
「サンテにあるあたしの別荘より大きいかも」
「み、右に同じ」
サムソンと見合わせて互いに苦笑した。
気をとり直して、扉の隅に置かれた鈴をリロイは手にとった。優しくふると、鈴が「ちりんちりん」と小さな音を立てた。
「ごめんくださーい。どなたか、いらっしゃいませんか」
三回目くらいに鈴を鳴らしたときに、白黒のメイド服を着た女性が走ってきた。
「すみませーん。草むしりに集中してたので、全然気がつきませんでした」
白のふわふわしたエプロンをつけた女の子は、にこにことしながら扉の鍵を開ける。リロイの素性を尋ねることなく、敷地の中に案内してくれた。
「あの、お客様方はどういったご用件でいらしたのですか」
「えっと、ご主人にお聞きしたいがあって」
「まあ! ご主人様のお客様ですか」
メイドの女の子は両手を合わせて目を輝かせる。屋敷の前の階段を駆け上がって、正面の大きな扉を開けた。サムソンが眉をひそめる。
「おれらをまったく警戒してないみたいだけど、平気なのか? あの人」
「さ、さあ。平気なんじゃないの」
メイドの手招きに従って、リロイも豪邸のロビーに足を踏み入れる。だだっ広いロビーの床は、透明な石でできている。見あげると、吹き抜けの天井に巨大なシャンデリアが吊るされていた。
――地方の富豪だってなめてかかってたけど、とんでもないわ。こんな立派な豪邸、サンテでもなかなか見つからないわよ。
ロビーの左右から伸びる大きな階段は、手すりが金色に光っている。その輝かしい色を見て、リロイは息を呑んだ。
メイドの女の子は「ご主人様あ」と声をあげながら、ロビーの階段を駆け上がっていく。横に伸びている二階の廊下を左に曲がり、壁の影に姿を消す。
リロイとサムソンが扉の前で立ち尽くしていると、二階の廊下の向こうから「私は今それどころじゃないんだよ!」という怒声が聞こえてきた。リロイは驚いて、サムソンと顔を見合わせた。
「な、何っ、今の」
「チェストレインさんのご主人様の声、じゃね?」
しばらくして、メイドの女の子がはあはあと息を切らせながらロビーに戻ってきた。
「お、お客様方。申しわけありません。あの、ご主人様は、今はそれどころじゃないそうです」
「ええ。さっき聞こえました」
リロイが呆れながらつぶやくと、メイドの女の子がきょとんとした。サムソンが樫の杖をついて、リロイの前に出た。
「ご主人は取り込み中のようですけど、出なおしてきた方がいいっすか?」
「あ、はい。……でも、時間を空けても無駄だと思いますけど」
「ご主人って、そんなに忙しい人なんすか?」
「忙しいというか、その、まったくの別件というか、でして……」
メイドの女の子は両手をもぞもぞと動かして、もじもじしている。「ええと」とつぶやいて、返答に窮していた。
すると背後から、
「ドロシー。庭の草むしりは終わったの?」
女性の声がして、リロイとサムソンは後ろをふり返った。戸口に立っていたのは、白のつばが広い帽子をかぶった貴婦人。帽子にはつややかなリボンがついている。
金髪の貴婦人はリロイを見て首をかしげた。サムソンの顔と交互に見つめて、「ドロシー。こちらのお二方は?」と言った。
メイドのドロシーはあたふたした。
「奥様。こちらのお二方は、ええと、ご主人様のお客様です」
「あらま。そうだったの?」
貴婦人は驚いて、ぺこりと頭を下げた。
「夫の大事なお客様とは露知らずに、失礼しました。私は、夫エドワード・チェストレインの妻のパトリシア・チェストレインです。よろしくね。可愛いお客様」
「リ、リロイ・ウィシャードです」
「サムソン・ガリフッドです。よろしくお願いします」
パトリシアと名乗った貴婦人は微笑みながら、リロイとサムソンに握手する。人の良さそうな笑みに、リロイとサムソンから肩の力が抜ける。
パトリシアはにこにこしながら、メイドのドロシーに視線をうつした。
「ドロシー。あの人はまたカーシャの寝室にいるのかしら」
「あ、はい。カーシャ様がうなされているので、大変落胆されておりました」
「そう。お客様が見えてらっしゃるのに、困ったわね」
パトリシアは腕を組んでうつむく。サムソンが「あの」と声をかけた。
「ご主人はお取り込み中なんですか」
「いえ。そういうわけじゃないの。娘のカーシャの具合が悪いから、少し錯乱しているだけなのよ」
「錯乱されるほど、娘さんの具合が悪いんですか」
「え、ええ。……娘のことは口で説明するより、直接見ていただいた方がわかりやすいと思うわ」
パトリシアは草刈り用の三日月型の鎌をドロシーにあずけて、ロビーの階段に向かう。ゆっくりふり向いて、リロイとサムソンに手招きした。