32
リロイは肩を張りながら、ヤウレの町の中央通りをずんずん歩く。数分歩くと、右手に白い壁の建物が見えてきた。木製の扉の上には、『ブライアン』という文字が書かれている。
扉を押すと「キー」ときしむような音を立てて、ゆっくりと開いた。店内には丸いテーブルがならべられ、奥に木の長いカウンターがついている。明かりがついていない店内はうす暗く、入りづらそうなふんいきをかもし出している。
カウンターの向こうで、グラスを磨いている男がいた。黒いエプロンをつけた男は、顎に無精ひげを生やしている。
「あ、あの、お聞きしたいことがあるんですけど」
リロイはカウンターの椅子に腰かけて、店主らしき男を見あげる。男は口を閉じたまま、布巾でグラスを磨いている。
となりのサムソンを肘で突くと、サムソンは頭をぽりぽりと掻いた。
リロイの頭の中の何かがぷつりと切れた。リロイが「どん」とカウンターを叩くと、サムソンといっしょに店主がびくっと反応した。
「あたしは! ファールス山のどこに剣聖さんがいるのかを知りたいだけなの。なのに、あんたたちは何なのよ! あたしを変な目で見てきたり、何も答えてくれなかったり……もうちょっと親切にしてくれたっていいじゃない!」
「……お前は、レオンハルトを探しているのか?」
店主の低くドスの利いた声に、リロイの身体に緊張が走る。店主はカウンターにグラスを置いた。
「町の人間は騎士や貴族が嫌いなんだ。だからお前たちの服装を見て、疎むべきだと判断したんだろう。それで、レオンハルトに会ってお前は何がしたいんだ?」
「な、何がって、剣聖さんに会って紅茶でもしばいてくやつがいるわけ?」
「レオンハルトは人気者だったからな。そういう目的でやってきたやつらが多かったな。まあ、お前みたいな小娘がレオンハルトのファンだとは思えんが」
「あ、あたしは、剣聖さんに会って剣を習いたいだけよ。剣の達人に会うんだから、当然の――」
リロイの言葉に、後ろから突然に笑い声があがった。それも「ひゃっひゃっひゃ」といううす汚い声が、複数。
店の隅から大柄の男がのっそりと歩いてきた。男の髪は左右がきれいに刈られ、額のまん中から後ろまで、一直線に長い髪が天を突いている。タンクトップを着た上背はがっしりしていて、大きな肩から隆々とした腕が伸びていた。
柄の悪い巨漢はへらへらと笑いながら、リロイを見下ろした。
「よお、お嬢ちゃん。おれはキンボイスってんだ。こんなまっ昼間から酒場に来て、ミルクでも飲みに来たのかい? おじちゃんが一杯おごってやろうか」
店の隅から下卑た笑い声が聞こえてくる。キンボイスという男の仲間と思わしき連中が奥でたむろしていた。その数、七人。
となりのサムソンが顔を青くする。リロイは立ち上がって、キンボイスの顎をにらみつけた。
「あいにくだけど、今は喉が渇いてないからミルクなんていらないわ。また今度にするわ」
「ああ、そうかい。おれがせっかくおごってやろうと思ったのに、つれねえなあ。じゃあよ。三十分だけでいいから、おじちゃんと遊んでくれねえか」
「それもお断りするわ。あたしは人探しで忙しいの。おじさんこそ、昼間っからお酒なんて飲んでないで仕事したら?」
リロイがにやりと笑うと、キンボイスの目の色が変わる。大きな左拳でカウンターを強く叩いた。
「てめえ! こっちが下手に出てりゃいい気になりやがって。ぶっ殺すぞ!」
「な、何よ。やる気!?」
リロイがスキアヴォーナの柄に手をあてると、店の隅から、「ガキんちょに向きになるな」とか「ぺちゃぱい女なんか相手するな」という声が聞こえてきた。リロイは腰に手をあてて胸を張った。
「そこのあんたら! だあれが、ぺちゃぱい女よ! こんなグラマー美女を前によくそんな――」
「ロ、ロイ! もうやめろって!」
サムソンがリロイの左腕をつかむ。だだをこねるリロイを引っ張って、店の外に向かう。キンボイスが大声で笑った。
「おうおう。ぺちゃぱいの連れは賢いなー。おれらが怖えもんだから、尻尾を巻いて逃げるつもりだぜ」
「だあから、ぺちゃぱいじゃないって言ってるでしょーがっ! ちょっと、サム、手を離しなさいよー!」
リロイの叫び声が店内にむなしくひびいた。
リロイは頭にたくさんの血を上らせながら、町の通りを闊歩する。後ろからサムソンが「待てよ」と声をかけた。
リロイはサムソンをきっとにらみつけて、ぷいっと横を向いた。
「何よ。あんなやつらにびびっちゃって。あんたなんか最低よ」
「あのなあ。あいつらは八人もいたんだぞ。ああいう連中は反抗するとつけ上がるだけなんだから、相手にしねえ方がいいって」
「ふん。あんなやつら、あたしひとりでも倒せたわよ」
リロイがそっぽ向くと、サムソンが後ろでため息をついた。
――何なのよ。どいつもこいつも……。あたし、この町だいっ嫌い!
いぶかしい視線を送る町人たちを無視して、リロイは町はずれの宿屋に入った。客がいないさびれた宿だったが、少しも気にならなかった。
白髪を交じらせた壮年の店主は、にこにこしながらリロイを出迎えた。
「部屋は別々にするかい? ツインベッドの部屋だったらもっと安くなるが」
「ツインベッドの部屋でいいわ」
リロイが力なく応えると、店主は「まいど」と言って両手でごますりした。
カウンターのとなりの階段に足をかけると、サムソンが背中を引っ張ってきた。
「おれと同じ部屋でいいのか? 金はまだ余裕あるんだし、別々の部屋にした方が――」
「あたしがとなりで寝てても、あんたは襲ったりしないでしょ。だったら安い方がいいわよ」
リロイは手すりをにぎって階段を上がる。サムソンは立ち止まって肩を落とした。
「それにしても、ここ二、三日で貴族様が入れ替わりでやってくるなあ」
二階にあがった店主の声を聞いて、サムソンが顔をあげた。
「入れ替わりでって、ゲント伯のことを言ってるのか?」
「ゲント……? ああ、そんなのもいたなあ。赤いひげを生やしたやつだろ? 何でか知らねえけど、貴族嫌いの町の者たちが、やたらとはやし立ててたっけ」
「ゲント伯はレイリアの英雄だからね。ヤウレでも人気あるんだろうな。おれらとは大違いだよ」
サムソンが苦笑すると、店主は大声で笑った。
「あんたらみたいなガキんちょじゃ、おれらを助けてくれるとは思えねえからな。仕方ねえだろ」
「おっさんたちを助ける……? なあ、おっさん。ヤウレの人たちはどうして貴族を嫌ってるやつが多いんだ?」
店主は部屋の扉を開けると、ふり返って耳の下を掻いた。
「どうしてって、理由なんて簡単さ。やつらがおれらに重税を課すからさ」
「重税を……? ここの領主はそんなにひどいやつなの?」
「まあ、ここの領主に限ったことじゃないが。……去年の旱魃がまだ尾を引いているから、どの国もかつかつなんだろ。なのに、中央はみにくい権力争いばかりしているから、地方の暮らしはいつになってもよくならない」
「そうだったんだ。旱魃って日照りで麦や豆が採れなくなることだろ? おれら、今まで食事に困ったことなんてないけど」
サムソンが部屋の椅子に腰かけて、リロイを見つめる。店主が戸口に寄りかかって、頭を抱えた。
「あんたら、それ本気で言ってんのか? 去年の夏なんて、食事がとれなくてひどかったんだぜ。全滅した村だって何個もあったみたいだし」
「ええっ!? そうなの」
「……坊主。悪いことは言わねえから、さっきのことは他のやつに話すなよ。旱魃なんて知らないって言ったら、路地裏に連れてかれてぼこぼこにされるぞ」
「う、うん。わかった」
ベッドに座ったリロイを見て、店主は扉を閉めようとした。そこで「あ」と声をあげた。
「そうそう、赤いやつの他にも町に来た貴族がもうひとりいたぜ。王宮で騎士団長をやっているっていうキザな男がな」
「えっ!? それって、もしかしてエメラウス様!?」
リロイがはっと立ち上がると、店主は両手を叩いた。
「そうそう! そいつだ。エメラウス。町の女どもにきゃーきゃー言われてた、いけ好かねえ野郎だ」
「エメラウス様がおじさんの宿に泊まってたの?」
「まさか。こんな安い宿に泊まる貴族は、あんたらみたいなガキんちょだけさ。野郎が泊まってたのは、町の向こうにある一流の宿さ。ファールス山の絶景が一望できるっつうな」
店主は窓の向こうを見つめて、そっと息を吐いた。「それじゃ、ごゆっくり」と言って、ばたんと扉を閉めた。
サムソンは杖と鞄を床に置いて、机に肘をついた。
「まさか、キザ男までヤウレに来てたとはなあ。ここってそんなに重要な町だったのかな」
「うん」
リロイはベッドに腰を落として床を見下ろす。サムソンが足を組んで、「うーん」と唸った。
「そういやお前、夜の学校でもキザ男を見かけたって言ってたよな。お前の妄想だと思ってたけど、うそじゃなかったんだな」
「うん。そうね」
「キザ男のやつ、王宮を出て何を嗅ぎまわってやがんだ。もしかして、やつも剣聖を探してんのか……?」
サムソンはぶつぶつと問答を繰り返す。リロイは鞄を置いて、ベッドに倒れこんだ。
「な、なあ。ロイ。これからキザ男が泊まってたっていう宿に行ってみないか?」
「いいわよ、あたしは別に」
「で、でもよ。お前は気にならねえのか。キザ男が何してんのか。好きなんだったら、ここらでやつの弱みをにぎって――」
「おじさんの口ぶりだと、エメラウス様はもう宿を発っちゃったと思うし、それに剣聖さんの捜索とは関係ないでしょ」
「そ、それはまあ、そうだけどよお」
サムソンが言葉をつまらせる。リロイは枕の下に手をはさんで、そっと目を閉じた。
「あたし、お腹すいてないから、お昼はいらないわ。悪いけど、ご飯食べたかったらサムひとりで行ってきて」
「ロイ」
そっぽ向くリロイの背中を見て、サムソンはしゅんとした。