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「ロイちゃん、がんばってえ」
「リロイ、そこだあ! もっと斬りこめえ!」
プリシラとブレオベリスの声が歓声に混じっている。リロイの果敢な攻撃に会場はわき、たくさんの声援がリロイとエメラウスにそそがれる。
大地を揺るがすほどの歓声につつまれながら、リロイの視界には銀色の鎧を着たエメラウスしか映らない。
「エメラウス様、お命ちょうだいします!」
「フフッ。さすがにお命はあげられないよ」
エメラウスは軽いステップを踏みながら、あふれんばかりの優しくて甘い笑みをつくっている。その後をリロイが必死に追う。
――引き離されたらエメラウス様の間合いになっちゃうわ。今のうちに勝負を決めなきゃ。
額にひと筋の汗が伝う。リロイは素早く顔をぬぐって、スキアヴォーナの柄をにぎりなおした。
エメラウスはにこにこと笑みを浮かべながら、右手にバスタードソードをぶら下げている。その表情から、殺気や闘争本能は感じられない。だがリロイが剣を払うと、エメラウスは木の葉のようにひらひらと逃げてしまう。
剣をふるっているうちに、だんだんと息が苦しくなってきた。右腕もだんだんと重くなってきて、リロイは剣をふるうのが億劫に感じてきた。
剣をふって何度目だったのか、不意に『ガキン』と鈍い金属音が聞こえてきて、リロイはわれに返った。スキアヴォーナの刃が、短いダガーの刃と交差していた。
「――えっ」
リロイが唖然とする目の前で、エメラウスは急に右手をはなして、バスタードソードを投げ捨てた。右手をのばしてきて、リロイの右手首が強い力でつかまれる。
「い、痛っ――!」
あまりの激痛に手からスキアヴォーナが落ちる。そのままリロイは右腕を後ろにまわされて、はがい絞めにされてしまった。
気がつくと、リロイの首に鋭い何かがあたっている。リロイがおそるおそる見降ろすと、ダガーの切っ先が太陽の光を反射していた。
「僕が野盗だったら、君はここでジ・エンドだね」
エメラウスは左手のダガーをにぎりながら、不敵な笑みを浮かべた。
審判がエメラウスの右手を持ち上げている。突然の勝敗に、リロイの頭がついていかない。
――自分の間合いを保って戦いを進めていたはず。なのにどうして……
茫然としながら、リロイは地面を見下ろした。その先に、スキアヴォーナの白い刀身と金色の篭が光っている。
「リロイ君。なかなか筋のいい剣さばきだったよ」
エメラウスはにこっと微笑んで、右手を差し出してきた。「もう強くにぎったりしないから、安心して」と言いながら。
その白いけれども少し太めの指を、リロイは両手でくるんだ。――ああ、何て温かい手なの。
「エメラウス様! きょ、きょ、きょ、今日は、ありがと、ございやした!」
「だ、だいぶ呂律がまわってないようだけど、平気かい?」
エメラウスは若干引いていたが、今はそれどころではない。この高まる気持ちを伝えるのは今しかない。
――あたしはエメラウス様が好きです。
それはいくら何でも直球すぎる。
――エメラウス様のために毎日お弁当をつくります。
お弁当を毎日つくってどうする。
「リロイ君。どうしたの? 後がつかえているから、僕たちもそろそろ退場しよう」
エメラウスは細く整った眉を少しひそめていた。横でじっとしていた審判の人も堪りかねて、「君」と言いながらこちらに走ってくる。
――ああ、何か言わなきゃ。
「あ、あたし、エメラウス様のためだったら、死んでもいいです!」
その瞬間、どよめき立っていた会場にとても冷たい空気が流れた。人々はぴたっと動きを止めて、まるで時が止まってしまったのかと思った。
渦中のエメラウスは左手で口もとをおさえて、眉間の皺をさらに深くした。
「すまないが、弱い女性には興味ないんだ」
かたまる会場の中央で、リロイの時は本当に止まってしまった。
その日の夕方、リロイは友達のプリシラやサムソンと一緒に、都サンテのレストランで夕食をいただいた。
赤いじゅうたんが敷かれた高級感ただようレストランの丸いテーブルの上には、カルボナーラやらマルゲリータやらが置かれている。あつあつのリゾットを冷ましながら食べるプリシラのとなりで、リロイは石のようにかたまっている。
「ロイちゃん、食べないのお?」
プリシラが心配そうにこちらを見つめる。
「食べる気力がわかねえです」
「早く食べないと、ご飯冷めちゃうよ」
「いいんです。ほっといてくださいっす」
リロイは天井のシャンデリアをながめながら、滝のような涙を流した。
正面に座るサムソンがマルゲリータをちぎりながら、「けっ」と舌打ちした。
「ったく、よりによって大観衆の前で堂々と恥ずいことしやがって。お前のせいでうちらまでじろじろと見られて、今日は散々だったわ」
「ちょっとお、サム、やめなよお」
「大恥かくなって言った矢先にかくなんて、どんだけお笑いの才能あんだよ。もしかしてあれか? 狙ってやってたんか?」
「サ、サムってばあ」
プリシラがあたふたしながら、リロイとサムソンを交互に見ていた。
リロイはあんぐりとしたまま、
「そうっす。ねらってやってたんす」
と力なくこたえる。白目を剥いて、サムソンなんて視界にすら入らない。
サムソンもやがて食事の手をとめて、深いため息をついた。
「だいたい、あんなキザ男のどこがいいんだよ。女に『マイハニー』とか平然と抜かしやがって、見てるだけで、ああ寒い、寒い!」
サムソンは身体を萎縮させて、がたがたふるえる。それを見てプリシラが首をかしげた。
「でもお、エメラウス様って、宮廷じゃあ、すごい人気のある人なんだよお」
「けっ。やつの甘言にころっと騙されてる女が多いだけだろ? 宮廷の女も見る目ねえなあ」
「サムはあ、女性にかわいいかわいいって、頭なでなでされてるだけだもんね。もしかして、嫉妬してるのお?」
「してねえよ!」
サムソンがテーブルを強くたたくと、プリシラは口に手をあてて笑った。
となりで騒ぐ友人の楽しそうな声が、リロイの耳にむなしくひびく。リロイの周辺には、まっ白な壁がそびえて、ひとりの空間ができあがっている。
『無様だ』というサムソンの言葉に、リロイはぐうの音も出ない。エメラウスに剣であっさり敗れて、しかも、その後のみごとなまでの失態。騎士見習いとして、女として、リロイは王国のどん底にいるといっても過言ではない。
今日の武術大会で自分の名をあげるつもりが、逆に汚名を着せてしまった。父ブレオベリスと母のマリーは「また今度がんばればいいよ」と言ってくれたが、心の奥底では「ウィシャード家の恥さらしがっ」と思っているに違いない。
自分どころか、先祖代々受け継がれてきた家名まで汚してしまって、とりかえしのつかないことをしてしまった。もう、騎士になるのなんてあきらめた方がいいのではないかと、リロイは思った。
そんなとき、「だいたい、あのキザ男もよお」と語るサムソンの太々しい声がひびいてきた。
「……うるさい」
「は?」
リロイはテーブルに手をついて立ち上がった。
「あんた、さっきから何よ! 黙って聞いてれば、エメラウス様のことをキザ男キザ男って。変な名前つけないでよ!」
「何をお!」
サムソンも顔をまっ赤にして立ち上がった。
「あんな、『そんな顔を僕に見せないでおくれ』とか言ってそうなやつのどこがいいんだよ。キザキザしやがって、お前はよく切れる刃物かっての」
「うるさい! あんたみたいなチビに、エメラウス様の優しさなんて理解できるわけないわよ! あーあ、チビは心も小っさくて嫌ねえ」
「て、てめえ! どさくさにまぎれてチビとか言ってンじゃねえよ!」
「悪いのはあたしよ! あたしが弱くて情けない女だったから、エメラウス様に嫌われちゃったのよ。エメラウス様は何も悪くないわ」
「だったら、バーサーカーみたいな筋肉もりもり女になって、あのキザ男を見返してみろや。この筋肉脳みそ女!」
「な、何ですってえ!」
リロイはメンチを切って、ぎりぎりと歯ぎしりする。サムソンも負けじと顔を近づけて、小さい右手をぷるぷるとふるわせる。その横でプリシラが「二人ともやめてよお」と、か細い声を出していた。
――このチビ助があ、ずけずけと言いくさりおってえ……!
リロイはそっぽを向いて、レストランの出口に向かう。プリシラがあわてて後を追ってきたが、リロイは無視してサムソンをひとさし指でさした。
「あんたの要望に応えて、筋肉もりもり女になってやるからね。覚悟してなさいよ!」
「おーおー。イエティでもバブーンにでも、何にでもなれや」
リロイは膨らんでいない胸を張って、のしのしとレストランの出口に向かった。その悠然とした背中を、プリシラは茫然としながら見つめていた。
「ロイちゃん、お勘定……」