25
「うわっ、こっちも……!」
「あ、あなたあ!」
あたりから聞こえてくる人々の悲鳴。ベッドの上で目をつむっていた病人は、むくりと起き上がって目を赤く光らせる。奇声を発して、フロアの人々にいきなり襲いかかった。
「一体どうなってやがんだ……!」
騒然とするフロアのまん中で、ジェイクが地団駄を踏む。豹変した病人たちは棒っきれや花瓶を持って、ジェイクに飛びかかってきた。ジェイクはあわててかわして、相手の首筋に手刀をあびせる。
「ジェイク、ここはもうだめだ! 外に逃げよう」
サムソンは頭からたくさん汗をながしながら、ジェイクの二の腕を引っ張る。ジェイクは舌打ちした。
「ソフィア先生も。早く!」
茫然とするソフィアの手を引いて、リロイはフロアの外に出た。病院の長い廊下は、血相を変えた人たちがあふれている。その後ろから、目を赤くする人間たちが涎を垂らしながら両手をふり上げていた。
――みんなどうしちゃったの。どうしてこんなことに……
逃げ惑う人たちの肩がぶつかる。リロイは足を止めて、混乱する病院を見つめる。逃げる人々を襲う人間たちの目が、まっ赤に染まっている。その鮮やかな色に見覚えがあるなと思ったときだった。
「わわっ! こっちにも出たぞ!」
「助けてえ!」
暗黒の空を浮遊する、白い影。ふわふわとしたローブをなびかせる彼らはゆっくりと飛来して、絶叫する人間たちをつつみこむ。
「ロイ! こんなところにいやがったのか。またレイスがあらわれやがったぞ」
大通りの向こうから人ごみをかきわけて、サムソンがやってきた。膝に手をあてて、ぜいぜいと息を切らせていた。
リロイはスキアヴォーナの柄に手をあてた。
「それも、昨日以上の大軍でね」
「ま、待て。エーテル体のあいつらに剣じゃ通用しねえって、昨日思い知ったばっかじゃねえか! むりだ」
「でも! プリシラはあいつらにやられたのよ。このまま黙って逃げられないわ」
「お前の気持ちはわからんでもないけど、実際に斬れないんじゃ――て、おい!」
サムソンの悲鳴を背に、リロイは猛然と走り出す。おしゃれな洋服屋の前で、若い男女が五体のレイスにとり囲まれていた。大股で走る後ろで、肩から下げた鞄が宙を舞う。リロイはスキアヴォーナを抜いた。
「このお! あんたたちのせいで、プリシラがおかしくなっちゃったのよ。どうしてくれんのよ!」
リロイがむちゃくちゃに剣をふるうと、レイスたちはばっさりと切り捨てられる。建物の闇に消えて、リロイの前と後ろからあらわれて両手をふりあげてきた。
リロイはとっさにかがんで、レイスたちの突進をかわす。後ろに飛んで、剣をそっとにぎりなおした。前からレイスたちが迫ってくる。
――あたしの剣じゃ、やっぱり斬れないの……!?
憤然と剣をなぐリロイの脳裏に、もやもやと焦りがこみあげてくる。レイスたちは斬れども隠顕を繰り返すばかりで、まったく浄化してくれない。
剣を払うリロイの右手に、レイスの袖がからみつく。すごい力で引っ張られて、思わず横に倒れそうになる。リロイは歯を食いしばって、その場に踏みとどまった。
――やばっ。
リロイの肩に、腰にレイスたちがまとわりついてくる。身動きがとれないリロイの顔にレイスが覆いかぶさって、呼吸を封じてきた。
「ファイア・ボール!」
怒号とともに火の玉が飛んで、一体のレイスに火をつける。長い裾から紅蓮の炎が燃え上がって、レイスはこの世のものとは思えない声で叫喚する。他のレイスたちはすぐに四散した。
「平気か、ロイ」
「サム!」
樫の杖を突き出しているサムソンに、リロイは親指を立てた。
サムソンの足首を突然にだれかがつかんだ。
「な、何だ」
サムソンがいぶかしい表情で見下ろすと、土から一本の手が生えていた。それは泥のようにやわらかくて、生ごみのような異臭を放っている。杖の先で軽く突くと付近の土が盛り上がって、灰色の泥人形が姿をあらわした。
「うわあ!」
サムソンは泥人形の手を必死にはがす。腐乱した泥人形は「がああ」とうめき声をあげながら、サムソンとリロイの後を追ってくる。
「あ、あれってゾンビ!?」
「おれは知らねえよ!」
ゾンビは溶けるような両手を這いずらせながら、ものすごい速さで迫ってくる。目と口の部分だけが黒く窪んでいて、上唇や眉の肉がどろどろと落ちていた。
前方の地面がごそごそと動き出す。こんもりとした山が三つできあがって、白骨死体たちがあらわれた。
「ぎゃあああ!」
「こ、こっちにもいるう!」
白骨をさらすスケルトンが目を光らせる。「クカカカカ」と気色悪い声を発しながら、右手に持つ錆びた長剣をふるってきた。朽ちた切っ先が後ろの鞄にあたった。
――骸骨剣士なんかに負けていられないわ。
リロイはスキアヴォーナをにぎりしめて、右手を素早く払う。研ぎすまされた刃がスケルトンの胸を腕ごと分断した。
二体のスケルトンがリロイの左右を囲む。じりじりと足を擦って、リロイに少しずつ近づく。あと一歩を踏みこめば斬りこめる位置で、スケルトンたちが大きくふりかぶった。
――ここだ……!
リロイは左のスケルトンに体当たりした。左肩がスケルトンの肋骨のまん中を砕いて、錆びた剣が地面に転がり落ちる。残る一体は空ぶりするも、リロイにしつこく斬りかかってきた。
スケルトンの斬り払った剣がリロイの頭をかすめる。リロイは目をこらして、スケルトンが払う剣をかわした。剣先が目の前をよぎる。
スケルトンが袈裟斬りしたところで、リロイは左足を大きく踏みこんだ。右手をふり上げて、スケルトンの左肩から右胴にかけて斬り落とした。スケルトンは地面に倒れて、頭蓋骨がリロイの足もとに転がった。
「ば、化け物だあ!」
「こっちには幽霊が……!」
夜空に次々とあがる悲鳴。サムソンが「まだいやがんのか」とぼやきながら、首をきょろきょろさせた。大通りのまん中、建物の影からスケルトンたちが次々とあらわれる。
リロイとサムソンの足もともぼこぼことふくらんで、腐乱した手がにょきっとのびてきた。ふたりはあわてて後ろに下がった。地面からゾンビたちがあらわれて、「があ」と気味悪い声をあげてきた。
「こんなに引っ切りなしにあらわれちゃ、おれの魔力ももたねーぜ」
サムソンは杖をかまえて、大きな火の玉を召喚する。ゾンビたちが轟然と燃えあがって、苦痛の悲鳴をもらす。
「でも、こいつらを退治しなきゃ街の混乱は治まらないわ。あたしたちでやるっきゃないわよ」
後ろから襲ってきたスケルトンの長剣を受けて、リロイは眉をひそめた。細い骨でできたスケルトンは、強い力で剣を押してくる。リロイは剣を引いて、前屈みになったスケルトンの胸をわきから斬り払った。
左右から包囲してくるスケルトンたちから後退していると、背中に壁のようなものがあたった。驚いてふり返ると、背中を向けたサムソンが杖をかまえていた。
「こんなにどんどん出てくるやつらを、おれら二人だけで倒すってのかよ。数的にむりだぜ」
「そんなの、あたしだってわかってるわよ。でも、他に方法はないでしょ」
「あのなあ。こんなやつらを一体ずつ相手にしてたら、おれらの体力がもたねえよ。お前の意気ごみは大したもんだけど、もっと現実的に考えねえと、先にくたばるのはおれらだぜ」
「そんなこと言ったって――」
スケルトンとゾンビたちが一斉に襲いかかってきた。リロイは正面のスケルトンに体当たりして、包囲を突破する。サムソンは汗をかきながら、連続して呪文をとなえる。そっとかがんで地面に手をあてると、炎が津波のように沸きあがった。炎はゾンビたちを包み、焦げ臭いにおいを立ち上らせた。
炎を前にして、サムソンが地面に座りこむ。
「ジェイクとソフィア先生が言ってただろ。こいつらはたぶん、何とかっていう先住民族だ。何で復活したのかはわからねえけど、街の混乱を何とかするには、こいつらの気を鎮めてやるっきゃねーぜ」
「鎮めるって、倒すんじゃだめなの?」
「アンデッドモンスターってのは命を持たないやつらだから、何度倒しても復活するんだ。だから、強力な魔法円とかでやつらを封印するんだ。じゃねーと、きりがねえ」
リロイは炎の柱を見つめる。炎は勢いよく燃え上がり、暗黒の空を焦がす。熱気が前から伝わってきて、リロイの顔を熱くした。
リロイもサムソンのとなりにしゃがんだ。なめし革の鞄から瓶のこすれる音が聞こえた。
「こいつらを封印すれば、プリシラも元に戻ってくれるかしら」
「そうなってくれることを祈るしかねーな」
リロイは膝に手をついて立ち上がる。左手をさし出して、ぐったりするサムソンの身体を起こした。