24
昼食の後は特別に外出する宛てもなく、リロイはソフィアと世間話をした。
窓の向こうを見ると、空が橙色に染まっていた。
「先生は学校に戻らなくていいの?」
「学校に行ってもすることはないから」
ベッドの向こうでソフィアがにこっと微笑んだ。
日が暮れてから、サムソンとジェイクがフロアに戻ってきた。げらげらと笑いながら、パンの入った篭を下げていた。
「ちょっと。病院なんだから静かにしてよ」
「まあまあ、そう怒るなって。夕食買ってきてやったから、飯にしようぜ」
リロイたちは広いフロアを出て、近くの休憩室に向かった。室内には長いテーブルが三つ二列にならんでいて、一組の親子が後ろに座っていた。
「レイスと街の結界って、やっぱり関係ないのかなあ」
入り口近くの椅子に腰かけて、リロイが力なくぼやく。となりにサムソンが座って、篭からとりだしたパンをかじった。
「街の結界って何だよ」
「ほら、昨日だか一昨日に、結界が破れたって騒ぎになってたじゃない」
「ああ、それならおれも考えたよ。結界が破れたからレイスが入ってきたんじゃねえかっていうんだろ?」
「そうそう。だって、結界が破れたタイミングと、レイスが出てきたタイミングがおんなじなんだもん」
そう返すとサムソンが椅子の背にもたれて、「そうだよなあ」と言葉をにごした。後ろに座るソフィアが眉をひそめた。
「でも、幽霊のレイスが外からやってくるのは考えにくいわ。リロイさんの意見も一理あるけど、結界が破れたのはただの偶然だと思うわ」
「やっぱりそうなっちゃうよね」
リロイはテーブルの上にだれて、「あいつらは何者なのよー」と漏らした。サムソンもパンを飲みこんで、「めんどくせえなあ」と悪態をついた。
ソフィアのとなりでパンにかぶりついていたジェイクが、食事の手を止めた。
「あいつらは何者って、ここで戦死した人間の霊なんじゃねえの?」
「えっ――」
リロイとサムソンは同時に飛び起きて、ジェイクにふり向く。ジェイクは目を丸くした。
「あれ? お前ら、ここの在学生だったくせに知らねえのか。カジャールはかなり昔、異民族が治める敵地だったんだぜ」
「そうなんですか。あたし、そんなの聞いたことないわ」
「あまり表ざたにできない話だから、お前らが知らなくてもしゃーねえか。でもよ、先祖からここに住んでいるやつらの間じゃ、結構有名な話なんだぜ」
ジェイクは食べ残りのパンを飲みこむと、椅子を引いて身を乗り出した。
「何百年も昔だったのかわからねえけど、カジャールには何とか人っていう先住民族が治めてたんだ。けど、カジャールは平地が多くて、しかもエイセル湖沿いにあるからってことで、レイリアは前々から目をつけてたらしいんだ」
「そんだけ条件がよけりゃ、作物も育ってくれそうだもんなー」
「そうなんだよ。でも、その何とか人っていう先住民族は、なかなか頑固なやつらで、レイリアの交渉にまったく応じなかったみたいでよ。結局戦争になっちまったんだ」
ジェイクのとなりで、ソフィアが胸に手をあてた。
「私も少しですが、その話は聞いたことがあります。先住民族は確か、ムーア人という名前だったと思います」
「そうそう! それだ。ムーア人。そのムーア人ってやつらがかなり執念深い連中だったみたいで、レイリアに何度破れても降伏しなかったんだってよ。だからレイリアは報復を怖れて、やつらを皆殺しにしちまったんだ」
「み、皆殺しって……?」
リロイは恐る恐るたずねた。ジェイクは親指を立てて、首の前を横に払った。
「おれたちの先祖たちは、ここの先住民族をことごとく虐殺しちまったんだよ」
「ぎゃ、ぎゃく――」
ジェイクの容赦ないひと言に、リロイとサムソンは口をぱくぱくさせる。リロイの後ろで、ソフィアが口に手をあてて苦笑した。
「それ以来、カジャールでは霊障にあったり呪いを受ける人が多かったみたいで、ここを治めていた当時の領主が祠を建てて、ムーア人の霊を鎮めたそうよ」
リロイとサムソンはさらにげんなりした。
「おれらが何食わない顔で通ってた裏に、そんな驚愕の事実があったなんて」
「レイスたちの正体って、その人たちしかあり得ないじゃない~」
さっきまで沸いていた食欲が急になくなった。
夕食のパンを食べ終えて、リロイたちはまたフロアに戻った。夜のフロアはうす暗く、壁にたくさんのロウソクが立てかけられていた。
病人が寝ているそれぞれのベッドには、保護者と思わしき人たちがじっとたたずんでいる。
――今日は病院で寝泊りかあ。まあ仕方ないよね。
プリシラの寝顔を見つめて、リロイは息をはいた。となりにはソフィアが座って本を読んでいる。
「先生。サムとジェイク先生はどこに行ったの?」
「座れる場所がないから、廊下で待っているそうよ」
ソフィアはふり向かずにそっと答えた。
フロアに戻っても特にすることはなく、リロイはあたりをきょろきょろと見わたした。まわりにならべられているのはベッドばかりで、時間をつぶせるようなものは見つからない。
リロイはプリシラの左手をにぎって、レイスたちのことを考える。彼らの呪いを解き、プリシラを目覚めさせるにはどうしたらいいのか。
――肝心の回復させる方法がわからなければ、プリシラはずっと眠ったままだわ。でも、どうすればいいの……!
プリシラの手を額にあてて、リロイは祈るような気持ちで願った。
そのとき、額にぴくりと感触が伝った。
「えっ――」
リロイが慌てて顔をあげる。ベッドに眠るプリシラの瞼がぴくぴくと動いていた。
「せ、先生! プリシラが」
「えっ。ど、どうしたの?」
ソフィアはすぐに本を閉じて、プリシラの顔を見つめた。
プリシラは目を閉じたまま、がばっと起き上がった。金色の長い髪がはねて、ゆるやかに宙を舞う。プリシラはうつむいたまま、丸めた背中をぷるぷるとふるわせた。
「プ、プリシラ。だいじょうぶ?」
リロイは弱くにぎって、プリシラの腕を引っ張る。それをプリシラが強い力でふり払った。くるりとふり返った彼女の額に、たくさんの青筋が浮かびあがっていた。
「きゃあ!」
椅子がフロアに転がる。プリシラに飛びつかれて、リロイの背中がフロアに叩きつけられた。プリシラは白目をまっ赤に染めて、リロイの腰の上に飛び乗った。
「……シ、ネ」
プリシラが両手を伸ばして、リロイの首をつかむ。か弱い女の子とは思えない力で、リロイの細い首が締めつけられる。
――な、何なの、このすごい力は……
リロイはプリシラの両手首をにぎって、引き離そうと上に持ち上げる。だが、プリシラの腕の力は熊のようで、少しも持ち上げられない。すさまじい力で首が圧迫されて、リロイの意識がうっすらとしてきた。
「プリシラさん! やめて」
ソフィアが声を裏返らせながら、プリシラを後ろからはがい締めにする。プリシラは「ガア」と奇声を発して、ソフィアの胸を肘で突いた。
――今だ……!
リロイは腰を素早くまわす。バランスをくずしたプリシラの両肩を押して、ベッドを飛び越えた。プリシラは頭の後ろをベッドにぶつけた。
「どうした!?」
騒ぎを聞きつけて、サムソンとジェイクがフロアに飛びこんできた。のっそりと立ち上がるプリシラを見て、ふたりは顔を青くした。
「プ、プリシラ……!? ど、どうしたんだよ、おい」
「何でかわからないけど、プリシラがおかしくなっちゃったのよ」
リロイのしゃがれた声を聞いて、サムソンは言葉をなくした。
プリシラは胸の前で両手をかまえて、ぶつぶつと呪文をとなえた。両手を前に突き出すと、彼女の足場から冷たい氷があらわれた。氷はすごい速さで広がり、リロイの足に迫った。
リロイは後ろに飛んで、足場の氷から離れた。
「シネエ!」
プリシラは詠唱しながら両手をかざす。手の上にあらわれた青い氷が、冷たい音を発しながらどんどん大きくなっていく。氷は二本の太くて長い氷柱になった。
プリシラが両手を前にふり下ろす。氷柱がものすごい速さで飛び、その鋭く尖った先がリロイの胸に迫る。リロイが横に飛んでよけると、氷柱は向こうのベッドにあたって砕けた。あたりから悲鳴があがった。
「プリシラ! どうしてこんなひどいことするの」
「だめだ。今のあいつにゃ、お前の言葉は届いてねえ……!」
たくさん飛んでくる氷柱をかわしながら、サムソンが「ち」と舌打ちした。リロイはサムソンの長い袖を引っ張った。
「ねえ! プリシラを止めるにはどうしたらいいの」
「わからねえ。とりあえず、頭にごつんとげん骨を落として寝かせるっきゃねー」
「げん骨ってねえ。プリシラは女の子なのよ。そんな手荒な真似ができるわけないでしょ!」
「じゃあ、どうすんだ――って、あわわ!」
眼前に冷気の太い線が迫り、サムソンは床にしゃがみこむ。冷気は向こうの壁にあたると、窓ごと凍らせた。
プリシラは冷気をむちゃくちゃに発して、あたりの人たちを凍りつかせる。目をまっ赤に染めたプリシラは狂気に満ちて、あたりかまわず暴れまわっている。リロイの言葉は届かない。
「プリシラ、もうやめ――ジェイク先生!」
プリシラが詠唱し始めたところを、ジェイクが飛びかかった。プリシラは詠唱を止めて、近くにころがる棒で殴りかかる。ジェイクはふり下ろされる棒を二、三度かわしてから、左手でしっかりとにぎりしめた。
「悪い子はゆっくり寝てな」
ジェイクは右拳でプリシラの鳩尾を突き上げた。プリシラは身体をくの字に曲げて、ジェイクのごつい肩にもたれかかった。