23
夜が明けて、リロイは気絶するプリシラを病院に運んだ。街の北側にあるカジャールの大病院は、たくさんの人であふれている。
係りの人に案内されて、リロイは病院の広い敷地の中に入った。大きな教会のような建物があって、中に入るとだだっ広いフロアに簡易ベッドがずらりとならんでいた。
あてがわれたベッドにプリシラをあお向けに寝かせる。プリシラは目をかたく閉ざして、人形のように身体を固まらせている。
「プリシラ。だいじょうぶだよね。すぐに目を開けてくれるよね」
リロイはプリシラの手をとって、頬にすりつける。プリシラの細い指は冷たくて、血が通っていないのかと思えるほどに白い。その手をぎゅっとにぎしりめて、リロイは神様に懇願した。
サムソンも肩を落として、リロイの背中を見つめた。
「きっと、だいじょうぶだよ。そのうちにぱっと目を覚まして、元気な顔を見せてくれるよ」
「……うん」
にぎっていた手をベッドにそっと置いて、プリシラの顔を見つめた。じっと見つめていると、目から涙があふれてくる。リロイは指で涙をぬぐって、ゆっくりと立ち上がった。
「昨日のレイスは倒したのに、プリシラは意識をとり戻してくれないわ。どうしてなの」
「うーん。やつらが出てきたタイミングからして、プリシラを気絶させてるのはレイスだと思ったんだけど、違ったのかなあ」
「ねえ。あなたの師匠のボア様は、レイスのことで何か言ってなかったの?」
サムソンは用意された椅子に腰を下ろした。
「そうだなあ。アンデッドモンスターは、死んだ人や動物が呪いや魔術の力で蘇った魔物だから、生あるものを限りなく恨むって、だいぶ前に言ってた」
「生あるものを……?」
「ええっと、レイスは強い恨みを持って死んだ人の霊だから、人の魂に執着することが多いんだ。だから、あいつらがプリシラをねらうのは、そんなに不自然じゃないんだ」
「そんなの――」
わかってるわよと言おうとして、リロイは口を噤んだ。サムソンの悲しそうな顔を見ると、いつもの悪口が出てこなかった。
リロイとサムソンは無言のまま、ベッドのとなりでじっと座った。入り口から白髪の男性がやってきて、ベッドのわきを通りすぎた。リロイが視線を向けると、男性の背中で少女が目をつむっていた。
「ここの病院に運ばれてる人のほとんどは、レイスにやられちまった人たちなんだろうな。入り口もすっげえ人多かったし」
サムソンは膝の上に肘をあてて、頬杖をついた。リロイはそっと視線を戻して、目をつむるプリシラを見つめた。瞳の奥からまた涙があふれてくる。
「どうして、こんなことになっちゃったの? 昨日まで、プリシラと楽しくお買い物してたのに、どうして……」
リロイは肩をふるわせる。サムソンもぐったりして、次の言葉を出せずにいた。
そのとき、
「もしかして、そこにいるのはリロイさん?」
突然の呼び声に、リロイははっと顔をあげた。ベッドの向こうで、黒のほっかむりをかぶるソフィアが胸に手をあてている。その後ろには、白のタンクトップを着るジェイクの姿もあった。
リロイはすぐに立ち上がった。
「ソフィア先生。先生がどうして病院にいるの?」
「それが……昨日の夜、人が倒れているって騒ぎになってたでしょ。学校の先生たちも事件に巻きこまれちゃって、今さっきここに運ばれたのよ」
「先生たちもレイスにやられたんですか」
「先生たちも……? レイスに?」
ソフィアは目をしばたく。後ろのジェイクが彼女の肩に手をあてて、前に出てきた。
「先生もってことは、お前たちんところもだれかが犠牲になっちまったんだな」
「はい」
リロイの力ない様子に、ジェイクはベッドに視線をうつした。ベッドのわきにしゃがみこんで、プリシラの白い顔を見つめた。
「ああ、かわいそうに……。うちの連中とまったく同じだ」
「じゃあ先生たちもやっぱり」
「そうだよ。よくわからねえけど、この子みたいにこっくりと寝ちまって、いくら叩いても目え覚まさねえんだ。ソフィア先生もこっちに来てみろよ」
ジェイクが手招きすると、ソフィアがゆっくりととなりに寄った。目をつむるプリシラを見て、「まあ」と両手で口もとを隠した。
ジェイクが立ち上がって、リロイをじっと見下ろす。
「で、リロイ。レイスにやられたってのは何なんだ」
「そ、それが、ええと……」
リロイが後ろに目配せすると、サムソンがかったるそうに前に立った。
「昨日の夜、プリシラが倒れてるところにレイスがあらわれたんだ」
「レイスって、悪霊のレイスのことか?」
「うん。おれも昨日に初めて見たんだけど、うっすらと透けてるローブ姿で、本の挿絵に描かれてる通りのやつらだったよ。……って、そんなことはどうでもいっか」
「慌てなくていい。ゆっくりと事情を話してくれ」
「ああ、ごめん。それで、どう考えたんだっけな。……ああ、そうそう。レイスって幽霊だから、生きてる人を襲って、魂を抜いていくんだろ? プリシラが昏睡してるのは、レイスに魂を抜かれちゃったからなんじゃないかなーって、思ってみたりして」
サムソンが自信なさげに頭を掻いた。ジェイクは腕組みして、そっとプリシラを見下ろす。
「レイスがあらわれて、この子やうちの連中の魂を抜いていったのか。なるほどなー。こりゃまた面白い考え方だ」
「ジェイクの考えは違うの?」
「うーん。おれはまあ単純に、性質の悪い疫病でも流行りはじめたのかなーって、思っただけだよ」
「疫病だったら、病院にいるおれらも危ないじゃん」
「うるせえなあ。剣術担当に病気や呪いのことを聞くんじゃねえよ」
ジェイクがしかめっ面をすると、サムソンが足音を立てて笑った。
リロイとサムソンは病院を出て、ソフィアたちといっしょに昼食をとった。ソフィアの話によると、先生だけでなく生徒たちにまで犠牲者が出ているらしい。今回の件が解決するまで、学校は閉鎖せざるを得ないようだった。
軽食を済ませると、サムソンとジェイクは街をぶらついていくと言って、リロイと別れた。リロイはソフィアとふたりで病院に戻った。
大病院の白い石でできたフロアには、修道服を着た人たちが入ったり来たりしている。フロアの左右にならぶベッドのまわりにも、患者の保護者たちが悲痛な様子で見守っていた。
「街の人たちは本当にどうしちゃったのかしら。昨日まで何でもなかったのに、一日でこんなにたくさん病人が出るなんて、どう考えても変よ」
わたり廊下を歩きながら、ソフィアがそっとつぶやいた。リロイは小さくうなずいた。
「うん。……サムが言ってた通りに、やっぱりレイスがプリシラの魂を抜いていったのかな?」
「でも、レイスって低級の幽霊よ。一夜でこんなにたくさんの魂を抜けるとは思えないわ。それに、今まで街でレイスがあらわれたことなんてないのに、どうして急に……」
ソフィアは言葉を止めて、わきの手すりに寄りかかった。廊下の向こうには花壇があって、赤や白の花が咲いていた。
リロイもソフィアのとなりに寄って、手すりに手を置いた。色とりどりの花をながめながら、最近に起きた異変について考えてみる。
――つい最近にレイスがあらわれるような異変ってあったかしら。
リロイは手すりの上に肘をついて、だらしなく身体をもたれる。だが、いくら考えてみても原因なんて浮かばない。頭から煙が出てきて、今にも知恵熱になりそうだった。
わたり廊下で時間をつぶしているリロイの前を、鉄の胸当てをつけた人間たちが通りすぎた。彼らのひとりは長いスピアの穂先を立てていた。
「あら、いつも門を見張っている守衛さんね。守衛さんにも病人が出たのかしら」
ソフィアは守衛たちの背中をながめながら、ゆったりとした口調でつぶやく。リロイもとなりでながめながら、数日前の記憶をふと思い出す。
「そういえば、木星の外門で結界石が壊れたって言ってたけど、あれからどうなったのかなー」
「結界石が壊れたの……?」
わたり廊下を歩き始めながら、ソフィアが首をかしげた。リロイは腕を組んで天井を見つめた。
「ええと、昨日だったかな。だれかに結界石が壊されちゃって、街を張っている結界が消えちゃったんだって」
「まあ! そんなことがあったの? 全然知らなかったわ」
「昨日今日の話だから、先生が知らなくてもしょうがないよ」
リロイたちはプリシラが眠るベッドに戻った。プリシラは目を閉じて、可愛い顔で横になっている。リロイは椅子に座って、プリシラの小さな手をにぎりしめた。
「街の結界がなくなったから、レイスたちが中に入ってきちゃったのかな」
「レイスが城壁の外からやってきたって言うの? リロイさん、それはないわよ」
「えっ、どうして?」
「だって、幽霊って浮かばれない最期をとげてしまった人たちなのよ。彼らは死んだ場所に強い恨みや想念を持っているから、その地にずっととどまっているのよ。リロイさんだって、プリシラさんがこのままだったら、カジャールを離れることなんてできないでしょ?」
「う、うん。言われてみれば確かにそうかも……」
ソフィアの冷静な反論に、リロイはぐったりと頭を垂れた。結界が関係ないのであれば、他に思いあたる節なんて見つかりそうになかった。
「プリシラさん」
ベッドの向こうから、ソフィアもプリシラの右手をにぎりしめた。左手を胸の前にあてて、ゆっくりと十字を描いた。
「何の罪もないあなたを、神は見放したりはしないわ。プリシラさんにどうか神のご加護があらんことを」
優しい言葉を聴きながら、リロイは目をつむって祈った。