20
大きな声で笑うジェイクに頭を下げて、リロイは正面の校門を通り抜けた。黄丹色のレンガで敷きつめられた道は、家が立ちならぶ向こうまで一直線にのびている。
「ジェイクのやつ、色々知ってやがったな」
街路樹のわきを歩きながら、サムソンが顔をほころばせる。左側を歩くプリシラが、前屈みになってサムソンの顔をのぞいた。
「ジェイクって剣術を担当してたんだもんね。剣聖のこと、知っててあたり前だよねえ」
「そうだな。でも、さぶい親父ギャグしか言わねえジェイクが、あんなに役に立つとは思わなかったなー。今日だけはジェイクの顔が神様に見えたぜ」
「そうだねえ。でもプリシラはあ、鼻の頭があんなにてかてかしてる神様は嫌だなあ」
微笑むプリシラのひと言に、サムソンが腹を抱えて笑う。
「あんな脂ギッシュな神様、おれだって嫌だっての。筋トレばっかしてないで、顔の脂を先にとり除けっての」
「もうサムってば、やめてよお」
プリシラも声を出して笑った。
爆笑するサムソンとプリシラの間で、リロイは静かに腕を組む。
「でも、ジェイクのお陰で道が開けたわ。剣聖さんの居場所もわかったし、次の目的地に向けて作戦会議よ」
意気ごむリロイに、サムソンとプリシラも力強くうなずいた。
市街に入って、リロイは近くの喫茶店の扉を開けた。丸いテーブルがならべられた店内は、木目の模様が入った壁に囲まれている。
「わあ。この店に来るの久しぶりだね」
黒のベストを着た店員に案内されて、リロイたちは窓に近い客席に腰かけた。あたりの席には、一般客に混じって生徒たちの姿がちらほら見える。
店員にいくつか注文して、リロイはテーブルに肘をつく。
「剣聖レオンハルトは極度の人間嫌いだったのね。だから、騎士になれたのに王宮を去っていったんだ」
「でもって今はファールス山に篭って、だれも寄せつけずにひっそり暮らしてるってわけか」
サムソンが言葉をつなげる。リロイは頬杖をついた。
「みんなに認められて騎士になったのに、勿体ない人だよね。山に篭るのってそんなに面白いのかしら」
「でも、賢者とか大魔道って言われてるやつは、だいたい山に篭って隠匿するもんだぜ。じいさんにとっちゃ、派手な王宮生活よりも、山の中に住んでた方が楽しいんじゃねえの?」
「ええっ、そうなの? じじ臭っ」
リロイが嫌な顔をしているとなりから、店員がサンドイッチを運んできた。リロイは皿に盛られたサンドイッチをとって、口にはさんだ。
対面に座るサムソンはごそごそと手を動かして、鞄から地図をとり出した。白いクロスの上に地図を広げて、右下のあたりを指差した。
「ファールス山はここだな。レイリアの南東。距離は、カジャールから歩いてざっと十日ってとこか」
「レイリアの山なんて、ファールス山しかないもんね。その気になれば、明日にでも剣聖さんに会えそうね」
「でもよ、ロイ。ファールス山ってかなりでかいぞ。山ん中からどうやってレオンハルトを探すんだ?」
「それは……まあ、何とかなるわよ」
リロイが言葉を濁すと、サムソンは地図を折りたたんで鞄にしまった。椅子の背もたれに寄りかかって、「まだ先はなげえなあ」とぼやいた。
黙ってサンドイッチを口にはさむリロイのとなりで、プリシラが目をしばたいた。
「でもお、剣聖さんってどんな人なんだろうねえ」
「さあねえ。山篭りが趣味なんだから、よぼよぼのおじいさんなんじゃないの?」
「そうかなあ。レオンハルトさんって、ちょっとかっこいい名前だよね。何かさ、金色の髪にウェーブがかかってて、さわやかな人って感じ」
言いながら、プリシラが頬を赤くする。サムソンが食べかけのサンドイッチを置いて、こめかみのあたりを両手でおさえた。
「そうかあ? おれはどっちかっていうと、こうやって髪を固めて、角刈り! ってやってそうな気がするけどなあ」
「ええっ。そんなことないよお」
なつかしい喫茶店での昼食を終えて、リロイはまた学校に向かった。学校のわきの時計台を見あげると、大きな浮遊石が行ったり来たりしている。
校門に続くレンガの道は人であふれている。お昼がすぎて、学校に出入りする人が多くなっているのだろうか。
「ロイちゃん」
「あたしの手につかまって」
人ごみにあたふたするプリシラの手を、リロイが強引に引く。となりを歩くサムソンも、人の多さに辟易した。
「お昼がすぎたから、人通りが多くなってきたな。早くしねえと、浮遊石の乗り場で待たされちまうぜ」
「そうねえ。じゃあ、ひとっ走りで乗り場の先頭を確保してきて」
「そうだなあ。乗り場の先頭を確保しとけば、お前らもすぐに乗れ――て何でおれが!?」
「こういうとき、男はレディを優しくエスコートするものよ」
「いや、そうじゃなくて、何でおれがお前にそこまでしなきゃいけないんだ?」
「何でって、あんたはあたしの奴れ――」
リロイが口を開くとなりで、不意に何かがよぎった。一瞬に流れた金色のきれいな髪が、リロイの目に焼きつく。通りすぎた後には、花の甘い香りがほのかに残っている。
はっとして、リロイが後ろをふり返る。学校前の大きな通りは、暑苦しいまでに人があふれている。その人ごみの中で、真紅のマントをはおる男の後ろ姿が、少しずつ遠ざかっていく。
「ロイ。どうしたんだよ」
樫の杖をついて、サムソンが息をはく。その力ない声は、リロイの耳には届かない。赤いマントは、瞬く間に人ごみの中に隠れてしまった。
――エメラウス様? だったような気がしたけど。
案の定、浮遊石の乗り場でかなり待たされてしまった。時計台の乗り場に急いで向かったリロイたちだったが、乗り場はすでに長蛇の列ができていた。
だいぶ待たされて、リロイは帰りの浮遊石で木星の内門に到着した。門の上の望楼はたくさんの騒ぎ声であふれている。
「ちょっと騒がしくない?」
きょろきょろと首を動かすリロイのとなりで、サムソンが腕を組む。
「事件でも起きたんじゃねーの」
「事件って、どんな?」
「そうだなあ。自意識過剰女がついに発狂したとか、しないとか」
「何よそれ。意味わからないじゃない」
緑色の帽子をかぶる男性がリロイの前を横切る。リロイは「あのお」と声をかけた。
「何かあったんですか」
「何かじゃないよ。街の結界が消えちゃったんだよ」
「き、消えたあ……?」
リロイは後ろのプリシラにふり返る。プリシラは丸い目を大きく開いている。
「それってやばくないですか」
「やばいどころじゃないよ。魔物が街に押し寄せて、大変なことになるんだぞ」
「どうして街の結界が消えちゃったの?」
「それが、木星の外門の上に置かれている結界石が、だれかに破壊されちゃったみたいなんだ。結界石は結界の要だからな。ひとつでも破壊されると、結界は力がなくなってしまう」
「でも結界石が置かれてる場所って、いつもは封鎖されてるんでしょ。だれがそんなことをするのよ」
「そんなの、おれに聞かれたってわからねえよ。信じられねえってんなら、お嬢ちゃんも外門を見てきなよ」
おじさんの言葉を頼りに、リロイは木星の外門に向かった。浮遊石で望楼の上にあがると、スピアを持つ守衛たちが怒鳴り声をあげていた。
部屋の奥の扉が開け放たれている。いつもは固く閉められている上に、鉄の鎖で頑丈に封鎖されている。その鎖がばらばらにくだかれて、リロイの足もとに落ちていた。
近くの守衛に許可を得て、リロイは扉の奥の螺旋階段を駆けあがった。円形のフロアの中央には、金色の円柱が立っている。金色の細い柵が集まってできている柱は、階段に向いている部分がねじ曲げられている。
円柱から金色の長い台座がはみ出ている。足もとには、たくさんのガラスと緑色の石の破片が転がっている。
「何よこれ」
顔を引きつらせるリロイに、守衛のひとりがふり返った。
「君たち。ガラスの破片が落ちてて危ないぞ。こっちに来ちゃだめだ」
「守衛さん。ここで何があったんですか?」
「見たまんまだよ。望楼で騒ぎがあったから、何かと思って来てみたら結界石が破壊されていたんだ」
上唇に髭をはやした守衛が額に手をあてる。他の守衛たちも腕を組んで、「うーん」と唸り声をあげている。
後ろのサムソンも首をかしげて、リロイの背中を引っ張った。
「だれがこんなことをしたんですか」
「さあな。扉の鎖を両断するくらいだから、ロングソードでも携帯しなければできないんだろうけど」
「ロングソード――」
リロイは顎に手をあてて考えてみる。結界と二重の城壁に守られたカジャールで、帯剣している人間が何人いるのだろうか。
「私が見張りをしてから、結界石が破壊されたことなんて一度もなかった。よからぬことでも起きなければいいんだが」
守衛のおじさんは悲痛な面持ちで、床に転がるガラスの破片を拾った。