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「本戦で最初に戦う人は、近衛騎士団長のエメラウス様だよお」
プリシラのかわいい笑顔が憎い。
「ロイちゃん、前から言ってたでしょ。エメラウス様に愛の手ほどきをしてほしいって」
「愛のというか、普通に剣の手ほどきになると思いますが」
リロイが突っこむとなりで、母のマリーも「あら」とうれしそうに声をあげた。
「よかったわねえ。エメラウス様と手合わせしてもらえるだなんて、願ってもないチャンスじゃない。ここでぐんと近づいて、他の女の子と差をつけるのよ」
「そうだけどお! エメラウス様って、レイリアでも五本の指に入る凄腕のお方なのよ。あたし、エメラウス様になんて勝てないわ。お母様、どうしたらいいの」
「あらっ、別に勝たなくたっていいのよ。かわいらしく負けて、エメラウス様のハートをゲットするのよ」
「でも、でも、負けちゃったら騎士になれないわ。あたし、それは嫌なの」
「試合に負けて、勝負に勝つのよ」
「しょ――」
マリーは袖をまくって、リロイの肩を強くたたいた。
――勝負下着なんてはいてないわよお。
リロイが膝に手をついてげんなりしていると、廊下の奥から「きゃあきゃあ」と黄色い声援がひびいてきた。
「エメラウス様、この中でだれが一番好き?」
「それはもちろん君さ。マイハニー」
「あなた、抜け駆けなんてずるいわよ! エメラウス様、私が好きって言って」
「おやおや、嫉妬してるのかい。でも、怒った君もかわいいね」
「うそ! エメラウス様にほめられちゃった」
少しずつ近づいてくる声に、リロイの胸の奥がどくどくと脈打ちはじめる。顔が火照ってきて、熱が出てしまったのかと思った。リロイはたまらなくなって、休憩室から飛び出した。
人が五人くらい並んで歩ける廊下に、人だかりができている。集まっている人のほとんどは女性で、だれもがきれいなブロンドの髪を結い、白や青のドレスで着飾っている。
人だかりの中央に、流れるような金色のストレートヘヤを伸ばし、白銀の鎧に身をつつむ男性がいた。その顔は白く、女性と見間違えてしまうほどに美しい。
「エ、エメラウス様……!」
その瞬間、リロイの頭の歯車がいくつかはずれた。
両手を合わせて心をときめかしているリロイを見て、とり巻きの女性たちは「だれよ、あなた」と表情を変えはじめる。が、中央のエメラウスが胸から薔薇を出して、麗しく彼女たちを止めた。
「だめだよ。君たち、レディが乱暴してはいけないよ」
「は、はい!」
エメラウスに声をかけられた先頭の女性も、リロイと同じようにめろめろになっていた。エメラウスは微笑を浮かべながら、リロイの小さい顎を手にとった。リロイは思わず「ひゃっ!」と声をあげてしまった。
「君が、ブレオベリス様が溺愛されているリロイ君だね。はじめまして」
「は、はじ、はじめ……」
エメラウスの悩殺微笑に、リロイは早くもノックアウト寸前だったが、優しくとられた右手に口づけをしていただいて、リロイの頭はついにまっ白になってしまった。
「本戦ではお手柔らかにね。リロイ君」
「は、はひ~」
リロイは訳がわからなくなって、白銀の貴公子が優雅に通りすぎていくのを、よだれを垂らしながらながめていた。そのとなりでサムソンが「ありえねーありえねー」と口走っていた。
武術大会の本戦は、お昼休憩の後に行われる。リロイはブレオベリスやプリシラといっしょにお昼を食べたが、彼らと会話をする余裕なんてなかった。
リロイの心には、
――エメラウス様って、やっぱりかっこいい。
という乙女な気持ちと、
――レイリアの五指に入ると言われてるお方に、あたしなんかが勝てるわけない。
という心配が交互に入り混じり、彼女をいつも以上にあわてさせていた。
気がつくと、休憩室でぼけっとしているところを係りの人に呼ばれて、リロイはあわてて会場に向かった。
レンガづくりの暗い廊下は湿っている。そのじめじめとした床を歩く足がふるえる。目の前には、四角く光っている出口。騒がしい会場に続く出口が、少しずつ近づいてくる。
リロイは意を決して、光の出口をくぐった。
あふれんばかりの光をくぐった先から聞こえるのは、鳴り止まないたくさんの歓声。客席を埋めつくすたくさんの観客は、狂おしいほどに熱中している。
広い会場の中央に、輝かしいほどの白銀をまとった男性が立っている。彼は真紅のマントを風になびかせながら、優しい瞳でこちらを見つめていた。
「やあ、リロイ君。待ってたよ」
「あ、は、は、はい!」
エメラウスに声をかけられただけで、リロイはどぎまぎしてしまう。エメラウスは真紅の薔薇を片手に、「フフ」と麗しく微笑していた。
審判の号令が降りると、エメラウスは腰から黒い刀身を抜いて、ゆっくりとこちらに向かってくる。大きくふりかぶり、漆黒のバスタードソードをふり下ろした。
リロイがあわてて後ろに飛ぶと、足もとの地面にバスタードソードがたたきつけられた。
「リロイ君。さあ、剣を抜きたまえ。君の華麗な剣舞で僕を愉しませておくれ」
リロイは腰に手をあてて、ゆっくりとスキアヴォーナを抜いた。エメラウスは微笑んだまま、また剣をふり上げる。
バスタードソードの黒い刀身が、太陽の逆光を受けて一直線に伸びる。それが風を切る音とともにリロイの頭上に落ちる。
容赦のない攻撃に、リロイの胸がばくばくと脈打つ。
「どうしたリロイ君。逃げてばかりじゃ僕は倒せないよ」
エメラウスはあざ笑いながら、バスタードソードで轟音を鳴らす。優しい顔をしながら、リロイの身長ほどもある剣を軽々とふるう彼は、レイリアの五指に入る騎士にふさわしい。
バスタードソードがふり下ろされるたびに、リロイは後ろに飛んでそれをかわす。あの分厚い刃を受け止めたら、細いスキアヴォーナの刃はすぐに折れてしまう。
だが、バスタードソードの長い間合いにいたら、リロイは反撃すらままならない。
――もう、どうしたらいいの……あ! そうだ。
リロイは左手に持つ円形の盾をしっかりとにぎりなおして、エメラウスに急接近する。
「おや。僕をたおす秘策でも思いついたのかい」
エメラウスは「フフ」と余裕の笑みを浮かべながら、漆黒のバスタードソードを脳天にふり下ろしてきた。
――ここだ……!
リロイはバスタードソードをしっかりと見すえて、左手の盾で頭を隠した。盾の上にバスタードソードが落ちて、どすっと重たい鉄槌がリロイの左手をしびれさせる。
リロイは左手を少し傾けて、バスタードソードを左へ流す。間髪入れずに右手をにぎりしめて、スキアヴォーナを前にのばした。
「きゃあ!」
「エメラウス様あ!」
会場から黄色い悲鳴がもれる。リロイが突き出したスキアヴォーナの刃のとなりにはエメラウスの白い顔があって、その頬にうっすらと斬り傷ができた。
「いい剣だよリロイ君。その潔い一撃、僕は好きだ」
華麗なる貴公子の甘い声にくらくらとしてしまいそうだったが、そこは何とか踏んばってエメラウスに剣撃をたたみかける。
エメラウスのふところに飛び込んだリロイは、休む間を惜しむように剣をふり続けた。対するエメラウスは近すぎる間合いに成すすべなく、後退をくり返す。
――もしかしてあたし、勝てる……!? あの近衛騎士団長のエメラウス様に。
思わぬ優勢にリロイの心が躍り、胸も飛び出そうなくらいに脈打っている。実力者のエメラウスに勝てたのなら、騎士の叙任を受ける日はかなり近づくだろう。もう、母マリーの助言なんて頭にない。
リロイの剣を受け止めながら、エメラウスは口もとだけ動かしてにやりとした。