18
次の日、リロイとサムソンは十時を過ぎたころに宿を後にした。近くの屋台で朝ご飯を食べて、噴水があった昨日の公園に向かう。
「プリシラは来るかな」
「さあなー。もうじき来るんじゃねーの?」
サムソンはベンチにもたれて、大きなあくびをもらしている。良く晴れた日の光は暖かくて、じっとしていると眠くなってしまう。中央の噴水も今は止まっていた。
だいぶうとうとしてきたころに、「ロイちゃーん」と遠くから声が聞こえてきた。リロイがはっと顔をあげると、プリシラが右手をふりながら駆けてきた。
「ごめん。待ったあ?」
「ううん。それより、プリシラの用事は平気なの?」
「うん。ロイちゃんのことは話してあるから、プリシラの方は全然平気だよお」
プリシラは屈託のない表情で笑う。サムソンが顎に手をあてながら「ある人に聞いたのか」と言うと、プリシラは「違うよお」とかぶりをふった。
リロイはサムソンとプリシラを連れて、木星の内門に向かった。大きな内門の左右には小さな入り口が開いている。そこに手をつないでいる男女と、子供を連れた母親が中に入っていった。
リロイたちも門のとなりの部屋に入った。
ひと部屋くらいの狭い空間に、明るい光が差しこんでいる。部屋は塔のような細長いつくりで、要所に開けられた小さな窓から青空をのぞかせる。
「浮遊石に乗るのは五年ぶりだなあ」
「あんたいくつよ」
リロイがサムソンに白い目を向ける。プリシラが口に手をあてて笑った。
床の中央が四角く区切られている。暗い紫色をした床には、人々がたくさん集まっている。リロイは駆け寄って、紫色の床の端っこに立った。
床の四方から白い線がのびて、リロイたちを柵が取り囲む。石がこすれるような重い音が聞こえて、足もとの床が浮き始めた。床はゆっくりと浮遊して、上の望楼で止まった。
木星の内門の上の望楼は、たくさんの人でにぎわっていた。近くのカウンターでは飴を売っている人がいて、二人の子供が嬉しそうに手をのばしている。
「あら、おいしそうな飴――」
「あと三分の一」
サムソンのひと言がぐさりと突き刺さる。リロイはのばした手をしぶしぶ引っこめて、部屋中央に渦を巻く行列の後ろにならんだ。
しばらく待って、前の人が少し進んで――を繰り返し、リロイはぽっかりと口を開けた大きな窓の前に立った。窓の下にはカジャールの大通りが前にのびている。そして青空の向こうから、紫色の大きな浮遊石がゆっくりとこちらに流れてきた。
リロイたちと後ろの数人を乗せると、浮遊石が前に動き始めた。浮遊石は宙を浮いて、リロイたちを都市中央の聖学校まで運んでくれる。白い手すりに手をあてると、ゆるやかな風がリロイの髪をなびかせた。
――浮遊石の上ってやっぱり気持ちいいわ。こんな便利なもの、だれが発明したのかしら。
眼下に広がるカジャールを見下ろしながら、リロイは漠然と思ったりしてみた。
浮遊石は、カジャールの大きな時計台の前で止まった。浮遊石の搭乗口のとなりでは、大きな時計が秒針をまわしている。搭乗口はたくさんの人であふれている。
リロイは浮遊石から飛び降りて、時計台の長い階段を降りる。埃っぽい手すりのとなりでは、大きな歯車がぎしぎしと音を立てていた。
天井のついた渡り廊下を歩くと、木製の大きな扉が向こうから近づいてくる。その扉を開くと、リロイたちが通っていた学校――聖セシリア修道院学園の廊下に続く。
「うわあ。ロイちゃん、学校に来るの久しぶりだねえ」
となりでプリシラが、にこにこしながら首を左右に動かす。白い石の柱はアーチを描いて、美術品さながらの美しい装飾がほどこされている。
「この古臭い感じ。昔っから変わってねえなあ」
サムソンは頭をぽりぽりと掻きながら、透明な石の廊下を歩く。向こうから、黒の修道服に身を包んだ女の子たちが歩いてくる。女の子たちは右手に本を抱えながら、きゃっきゃと談笑している。
初々しい女生徒たちが通り過ぎるのを、サムソンは目で追う。
「ここの制服はいつ見てもたまんねえなあ。細い腰から尻までのセクシーなラインが、男心をくすぐるんだよなあ」
「あんた、そんな目であたしたちを見てたの? 気持ち悪っ」
リロイが少し離れると、サムソンは樫の杖で石の床を突いた。
「はっ! だれもお前のことなんて言ってませんー。自意識過剰女が、どあつかましっ」
「う、うるさいわね。あんたがまぎらわしいこと言うから悪いんでしょ。下心丸だしの変態男!」
「へん。男はだれだって変態なんじゃい。お前も筋肉ばっかつけてないで、少しは男の目を引いてみせろよなー」
「ちょ! この細くてきれいな腕のどこに筋肉がついてるのよ」
リロイは袖をまくって、サムソンに右腕を見せつける。その必死な姿を、さっきの女生徒たちが好奇の目で見つめていた。
校舎の廊下には、たくさんの生徒たちであふれている。壁にもたれて冗談を言う男子生徒や、男の先生に話しかけている女生徒がいて、とてもにぎやかだった。休み時間になったばかりなのだろうか。
プリシラは両手をお尻の上にのせながら、生徒たちを羨ましそうに見つめる。
「みんな若々しいね。こうやって見てると、また学校に通いたくなっちゃうね」
「そうだね。放課後にサラやケイトといつも集まってたよね。でも、政治学の授業はもう受けたくないなー」
「ロイちゃんは政治学を専攻してたんだ。他には何を専攻してたのお?」
「あたしは政治学と兵法学よ。騎士を目指すんだったらこれを選べって、お父様がうるさかったんだもん」
「ロイちゃんのお父さんは真面目だもんね。でもお、ヘンリーの授業なんて受けたくないよねえ」
「そうそう! あいつの授業って、黒板に書いてばっかですっごくつまんないのよー。プリシラは何を専攻してたんだっけ」
「プリシラはあ、魔道と幾何学」
校舎の階段を降りながら、プリシラはにこにこしている。サムソンは杖をつきながら、となりを過ぎる女生徒を見つめた。
「うちらの代で魔道を専攻してるやつは多かったよなー。ロディとキニスンも魔道を選んでたしな」
「サムってば、授業中にトーマスの禿げ頭に火つけて、廊下に立たされてたよね」
遅口で言いながら、プリシラがくすくすと笑う。サムソンは腰に手をあてた。
「だってあいつ、『こんな簡単な魔術もできんのか』ってばかにしてくるんだぜ。むかつくじゃん」
「そうだよねえ。ケイトだって、苦手な土の魔術ができなくて、いつも怒られてたもん。あいつ、ほんとむかつくよねー」
「そうそう。だからロディとキニスンと三人でよ、だれが一番先にトーマスの頭に火ぃつけられるか、競争したんだよ。でもあいつら、おれが本当に火ぃつけると思ってなかったから、かなりびびってたけどな」
「そりゃあ、びびるでしょお。サムの手くせの悪さは、昔から変わってないよね」
呆れるプリシラに、サムソンは「もち」とVサインを出した。リロイは横目でサムソンを見ながら、ため息をもらした。
「あんたねえ。そんなことばっかやってるから、いくつになっても風の魔術が使えないのよ」
「はあ? そんなん関係ねえだろ。てか、万年落ちこぼれのお前に言われたくないね」
「だ、だれが落ちこぼれなのよ。あんただって、テストの成績は悪かったじゃない」
「でもおれ、テストで赤点なんてとったことねえし。政治学で赤点とってただれかさんと違って」
頭の後ろに手をまわして勝ち誇るサムソンを、リロイは鼻で笑った。
「うそばっかし。算術のテストの後で、いつも裏のたき火に通ってたのはだれかしら」
「うっ」
サムソンは急にどぎまぎしだした。
「な、何でお前がそれを知ってんだよ」
「さあて、どうしてかしらねえ。計算が苦手な子にはわからないかもねえ」
「こ、この野郎……」
サムソンは額に汗しながら、肩を小きざみにふるわせる。リロイはしてやったりという顔で、大またで前を歩いた。
すると、目の前にひとりの女性の姿がうつった。その人は黒のローブに同じく黒のほっかむりをかぶっている。胸と額の部分は白くて、とても清楚なイメージに包まれている。
「リ、リロイさん? それに、プリシラさんとサムソン君……?」
「ソフィア先生……?」
シスターのような女性は、教室の扉の前できょとんとしていた。