14
リロイたちを乗せた馬車は、水辺の街に入った。日が落ちて、窓から見える空は群青色に染まっていた。
バルバロッサと話をはずませていると、馬車の扉がゆっくりと開いた。
「バルバロッサ様。カームの街に到着しました」
「そうか。報告ご苦労」
従騎士はかた膝立ちのまま、リロイとバルバロッサに一礼した。
バルバロッサは馬車から降りて、夜の街道を歩く。その後にリロイとサムソンが続いた。建物の上に街灯がぼんやりともり、暗い街道を弱々しく照らしていた。
バルバロッサは五階建ての大きなホテルの前で立ち止まった。透き通るほどに白い壁には、金縁の大きな窓がたくさんついている。一階中央の入り口は黒く光っていて、長身のバルバロッサよりも高かった。
――うわー、豪華なホテル。こういうところのベッドって、ふかふかして気持ちいいんだろうなー。でも、高そう……
リロイはぽかんと口を開けたまま、ホテルの大きな入り口の前で立ちつくす。となりのサムソンに視線をうつして、二人で息を呑んだ。
ホテルの扉を静かに開けたバルバロッサが、いぶかしい顔でこちらにふり返った。
「リロイ君。サムソン君。中に入らないのかい?」
「いや、あたしたち、手持ち少ないし……」
リロイがしゅんとしていると、バルバロッサは大きな声で笑った。
「何だ、そんなことを心配してたのか。君たちのホテル代は私がもつから、早くこっちに来なさい」
「えっ!? いいんですか」
「私が君たちにお金を払わせるわけがないだろう。ほら、夜風にあたってたら風邪引いちゃうよ」
リロイはうれしくなって、サムソンとばちんと両手を合わせた。
バルバロッサと従者たちに囲まれて、リロイは豪華な夕食をいただいた。だしが効いた野菜のスープに鶏の丸焼きまで盛りつけられて、どれから食べたらいいのか迷ってしまうくらいだった。
食事を終えて、リロイは五階の部屋に戻った。白く光るキャンドルが隅に置かれた部屋には、大きなベッドと木目のテーブルが置かれている。
ベッドの上にはネグリジェが用意されていて、触ってみると生地の上で指がすべる。絹でつくられているのか、生地には光沢があった。
つやつやしたネグリジェに着替えて、リロイはそっとテラスに出た。外はゆるやかな夜風が吹いている。
群青の空に、おぼろげな光を放つ満月が浮かんでいる。真下に広がるエイセル湖に月の光がうつって、水の流れといっしょにゆらゆらとゆれていた。
「行き先かあ。あたし、目的地とか全然考えてないんだよなあ」
木の手すりに顎をつけて、リロイはがっくりとうなだれた。
都サンテの別荘を飛び出してから、勢いだけでここまで来てしまったけれども、そんなことでいいのかと、リロイは思う。サムソンにいちいち指摘されなくたって、もっと計画的に行動しなければいけないのはわかっている。
「そんなこと言ったって、だいたい目的地とか、どうやって決めたらいいのよ」
リロイはだれかに不平をもらすと、眼下に広がるエイセル湖をながめた。暗い湖ははるか水平線の向こうまで続いて、対岸が見えない。見れば見るほど大きな湖なのだと、リロイは思った。
「返事がないと思ったら、こんなところにいたのか」
いきなりの声にリロイがあわててふり向く。窓の向こうから、黒いコートをはおったバルバロッサがゆっくりとテラスに入ってきた。
「眠れないのかい」
「うん」
リロイは海に視線を戻して、手すりにまたもたれる。バルバロッサも手すりに手をあてて、夜風にあたっていた。
「サムはもう寝たんですか」
「ああ。ベッドに横になった途端に寝息をかいていたよ。私と会話して気疲れしたんだろうね」
バルバロッサは苦笑いしながら、手すりに背中をあてた。少し間を置いて、「何を悩んでいるんだい」と言った。
リロイは言おうかどうか迷った。
「あ、あたし、その……思い切って家を飛び出しちゃったんだけど、あの、旅をするの初めてなんです」
「そうか」
「その、何の用意もしてこなかったから、お金ももってないし。あ、地図はサムが持ってるんだけど、その……地図を見ても、どこに何があるのか全然わかんないし……」
リロイは頭の後ろに手をあてた。
「サムに次はどこに行くんだって言われちゃって、困ってるんです。あはは、おかしいですよね。こんなあたしって」
「はは、なるほどな」
苦笑するリロイにつられるように、バルバロッサも優しく微笑んだ。ゆっくりうつむいて、何か思案しているようだった。
「そうだなあ。リロイ君はそもそも、どうして旅をしようと思ったんだい」
「どうして……?」
「家を出ようと思った理由だよ」
リロイは顎に手をあてて考える。
「エメラウス様やタイクーンに認められるような騎士になりたかったから……です」
「もっと具体的に。自分はどうあるべきなんだい?」
「どうあるべき……? ええと、もっと剣の腕をみがいて強くなりたい……とか、そんなのでいいんですか」
リロイが反問すると、バルバロッサは「上出来だよ」と言ってくれた。
「リロイ君は今よりも強くなりたい。そのためには、家を出て修練を積まなければいけない。そう思っているんだね」
「……はい」
「ならば、旅の目的は強くなることだ。どうやったら強くなれるのか、どこにいけば強くなれるのか。リロイ君の目的地は、強くなれる場所になるんじゃないのかい?」
「は、はい。……ええと、てことは」
リロイの頭からもやもやと煙が立ちこめてくる。話を聞いているうちに、頭の中がごちゃごちゃになってしまった。
バルバロッサは苦笑しながら、左手で頭を掻いた。
「いいかいリロイ君。剣の腕をあげる一番の近道は、いい師匠にめぐり会うことなんだ」
「いい師匠に……?」
「剣を闇雲にふったところで、腕なんてあがりやしない。自分の手本となる剣の達人を探して、剣術を教わるんだ。達人に剣をふるわせて、技をたくさん盗みとる。そうすれば、剣の腕はぐんぐんのびるはずだ」
「そうなのかな」
「そうさ。……無から何かをつくり出すというのは、予想以上に難しい。だが、すぐれた技を教わるのは、根気さえあれば何とかなる。レイリアには剣の達人がたくさんいるんだから、彼らからいい技を教えてもらっちゃえばいいのさ」
バルバロッサはひとさし指を立てて、にっこりした。リロイの顔も自然と笑みがこぼれた。
「おじ様はお話が上手ですね。何か、悩みがとれちゃった」
「そうだろ? あまりに話がうますぎて、話術師になろうと思ったぐらいだからね」
「ふふっ、何それ」
リロイは思わず苦笑する。バルバロッサもにこにこしながら、木の手すりに手をついた。
「レイリアには、かつて剣聖と呼ばれる男がいた」
「剣聖?」
「数多の剣士たちの頂点に君臨する、奥義のすべてを極めた剣の聖人だ。彼は諸国をわたり歩き、数々の猛者たちを剣のみで倒していったという」
「そんなすごい人がいるんですか。あたし、初めて聞きました」
「私がゲントの領主になったばかりの話だから、十年ぐらい前の話だけどね」
「十年前っていったら、あたしが八歳になったばかりだわ。おじ様は剣聖さんがどこにいるのか知ってるんですか」
バルバロッサは顔をしかめながら、腕を組んだ。
「うわさで聞いただけだからな。すまないが私は知らない。だが、王宮に仕えたという話が王国内外に飛び交ったぐらいだから、かなり信憑性はあると思うよ」
「じゃあ、王宮に戻って話を聞いてみれば」
「いや、それは無駄足だろう。だいぶ前に剣聖が消えたといううわさが出ていたからな。王宮にはもう仕えてないだろう」
「そうですか。うーん、困ったなあ」
リロイは手すりに肘をついて頭をかかえた。頭が次第に熱くなってきて、また煙が立ち上ってきた。
バルバロッサもとなりで肘をついた。
「魔術都市カジャールに行ってみたらどうかな」
「カジャールに……?」
「カジャールは都サンテに次ぐ大都市で、学校もある。人がたくさん行き交う場所だから、何か有力な手がかりが見つかるんじゃないかな」
「カジャールかあ。学校を卒業してから一回も行ってないなあ。久しぶりに行ってみたいな」
「だったら、なおさらいいじゃないか。昔をなつかしみながら、これからについてゆっくり考えてみなさい」
「はい! おじ様。あたしの悩みを聞いてくれて、ありがとうございます」
リロイは満面の笑みで、バルバロッサに頭を下げた。バルバロッサは左手を出して、「大げさだよ」と照れくさそうにしていた。
だんだんと夜風が寒くなってきたため、リロイは部屋に戻ろうとした。すると窓ががらりと開いた。仰々しく紅いマントをはおった従騎士があらわれて、バルバロッサの足もとでかた膝を立てる。
「どうした」
「バルバロッサ様。街で盗賊が出没したようです」
「何っ、それは本当か」
表情を変えるバルバロッサと対照的に、従騎士は冷淡な表情をくずさない。
「カームは他国の領地です。いかがいたしましょう」
「民の苦しみに自国も他国もない。クレイモアをここに」
「は」
従騎士は一礼して、部屋に戻っていく。その整然とした様子をながめて、リロイは息を呑んだ。