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ロータス海域戦記  作者: 花竜
第10幕:意志の集結
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1話 泥の中の灯火

 深く、暗い絶望の底。


 かつて光り輝いていたエルドラの都は、いまや色彩を失った墓標の群れと化していた。


 瓦礫の陰、わずかに水流が淀んだ場所で、レオンは亀裂の入った大剣を抱えたまま、微動だにせず座り込んでいた。


 その瞳からは「逆流の獅子」と呼ばれた鋭い輝きは消え失せ、代わりに、底知れない空虚と、自分自身の選択に対する猛烈な拒絶反応だけが渦巻いている。


 ヴォイドラの超低音が、骨の髄まで響く。


 それは「もういい、諦めろ」と囁く死神の歌だ。


 レオンはその歌に抗う気力さえ失っていた。


 自分がアストレアを殺し、扉を開いた。


 その結果がこの死体の山なのだとしたら、自分にこれ以上何を語る資格があるというのか。


「……情けない顔。あたしの目も節穴だったね」


 不意に、冷たい声が響いた。


 リナだ。彼女もまた、魔力の枯渇と負傷で身体を震わせ、今にも倒れそうな状態だった。


 だが、彼女の瞳だけは、濁り始めた海水の中でも、呪いのような黒い情熱を灯したままだった。


 リナは震える手でレオンの胸元を掴み、無理やりその顔を上げさせた。


 泥と血に汚れたレオンの顔。


 そこには、神を殺した英雄の面影などどこにもない。


 ただ、自分の罪に押し潰された一人の少年がいた。


「自由ってのはさ、青い空を見上げて歌うことじゃないんだよ、レオン」


 リナは吐き捨てるように、しかし一文字ずつ刻みつけるように言った。


「自由ってのは……泥水を啜って、自分の内臓を焼くような後悔を抱えて、それでも、まだ足が動くからって理由だけで立つことだ。あんたは世界を檻から出した。誰もが自分たちの


 足で泳がなきゃいけない荒野に、強制的に引き摺り出した。


 ……なら、責任取りなよ。溺れ死ぬ前に、泥水の飲み方くらい教えてから死にな」


「……俺に、何ができる」


 レオンの声は、掠れて泡に消えそうだった。


「俺は、みんなを……あの子たちを、殺したんだ。アストレアが言った通りだ。俺がやったのは、ただの虐殺だ……。」


「違うッ!!」


 リナが、レオンの頬を鋭く叩いた。


 乾いた衝撃が、レオンの意識を強引に現在へと繋ぎ止める。


「あんたは“バグ”なんだよ、レオン・エルドラド!


  アストレアが数千年かけて作り上げた、あの完璧で、吐き気のするほど正しい計算式を、たった一振りでぶち壊した唯一の不確定要素だよ!


 計算通りに死ぬのが正しいって言うなら、あんたの存在そのものが間違いなんだ。……だったら、最後まで間違い続けなよ!」


 リナが、震える指先で瓦礫の彼方を指差した。


 そこには、ヴォイドラの虚無に呑み込まれ、意識を失いかけて漂うカイルの姿があった。


 白銀の騎士ですら、管理者のいない世界の重圧に耐えかね、魂の火を消そうとしている。


「あいつを見てみなよ。


 あいつは、あんたに負けたから絶望してるんじゃない。


 ……アストレアがいない世界で、『どうやって生きればいいか』を誰も教えてくれなかったから、迷子になってるだけなんだよ。


 あんたが壊したんだ。


 なら、あんたが新しい道を示せ。


 正解じゃなくていい。ただの『抗い方』でいいんだ!」


 レオンは、カイルの姿を、そしてその周囲で沈んでいく民たちの姿を、今度は逃げずに凝視した。


 彼らは死を望んでいるのではない。


 あまりに重い「自由」という選択の権利に、戸惑い、疲れ果てているだけだ。


 レオンは、震える手で大剣の柄を握り直した。


 掌に伝わる亀裂の感触。


 それは、かつて自分が否定した「神の理」の残骸であり、同時に、自分が切り拓いた「地獄」の入り口でもあった。


 死を待つ平和、緩やかな全滅を「幸福」と呼んだアストレア。


 死の淵に立たされても、泥を啜ってでも、明日を選ぶ「残酷な自由」を叫んだ自分。


 どちらが正しいかなんて、もうどうでもいい。


 ただ――証明しなければならないのだ。


 自由を選ばされた者たちが、虚無に呑み込まれて消えるだけの存在ではないということを。


 アストレアの計算を越えて、この絶望の先へ泳ぎ着ける生命バグであることを。


「……ああ、そうだな。リナ」


 レオンは、ゆっくりと、しかし確実に立ち上がった。


 膝の震えは止まっていない。心臓は悲鳴を上げている。


 だが、その瞳には、ヴォイドラの暗黒を射抜くような、瑠璃色の火花が再び宿っていた。


「俺は、英雄になんてなれない。


 救世主にも、管理者の代わりにもな。


 ……俺は、ただのバグだ。計算外のゴミだ。


 ……だったら、この世界の終わり(バグ)ごと、全部まとめて逆流させてやる」


 レオンは大剣を引き抜き、それをヴォイドラの中心へと向けた。


 泥の中。


 絶望という名のヘドロに塗れたその場所で。


 神を殺した少年の意志が、今、再び世界を否定するために輝き始めた。


「カイル! 寝てんじゃねえ! お前が守りたかった連中を、今度は自分の意志で守ってみせろッ!!」


 レオンの咆哮が、ヴォイドラの超低音を切り裂いた。


 本当の反撃は、ここからだ。









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