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ロータス海域戦記  作者: 花竜
第8幕:管理者の孤独
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1話 静謐の宮

 四天王という防壁をすべて突破し、たどり着いた世界の最果て。


 エルドラ海域の最深部――そこは、すべての海流が収束し、再び世界へと放たれる「世界の心臓部」だった。


 リナに支えられ、引きずるような足取りでレオンが踏み込んだのは、管理者アストレアの居城、《静謐のパレス・オブ・スティルネス》。


 そこは、これまでの絢爛豪華な都とは一線を画す、無機質な美しさに満ちた空間だった。


 巨大な円形広間を埋め尽くしているのは、無数の「光の糸」だ。


 数千万という細い光の線が網の目のように交差し、空間全体が巨大な演算器の内部であることを示している。


 その中心。蓮の花を模した玉座に、一人の女性が座していた。


 管理者、アストレア。


 彼女は目を閉じ、指先をわずかに、ピアノの鍵盤を叩くように動かしていた。


 その指先の微動に合わせ、空間を走る光の糸が震える。


 世界中の海流を微調整し、数百万の魚人たちの呼吸を維持する「神の演算」――その説明の間も、彼女の指先が止まることは一度としてなかった。


 誰かの死を語りながら、同時に別の誰かの命を繋ぐ。


 彼女にとって対話とは、演算のバックグラウンドで行われる「ノイズ処理」に過ぎないのだ。


 「……来たのね。死ぬべき場所で、死ぬことを拒んだ……不確定要素バグ


 アストレアが静かに顔を上げた。


 その瞳に、個人の感情は存在しない。


 映っているのは、海全体の生存率という冷徹な「数字」だけだ。


 「なぜだ……! なぜなんだ、アストレア!!」


 レオンが、肺の奥から絞り出すような叫び声を上げた。


 亀裂の入った大剣を抜き、震える手で彼女を指す。


 「なぜ、俺たちの村を消した! 秩序だの、均衡だの……そんな言葉一つで、ルナの命を、ゴミみたいに切り捨てたのか!」


 「そうよ、レオン」


 アストレアは、瞬きもせずに淡々と答えた。


 「そこに個人的な悪意は混じっていない。ただの、選択よ」


 彼女が杖を振るうと、広間の床に巨大なホログラム海図が展開された。


 かつて生命の輝きを放っていたであろう地図は、今や全域が不吉な深紅色に染まり、末期的な酸欠状態にあることを示していた。


「見て。何もしなければ、一年以内にこの海域の九割が腐敗し、すべての生命は窒息して死に絶える。これが、私が直面している現実よ」


 アストレアの指が、地図の端をなぞる。


 「私は、残りの一割を確実に生かす道を選んだ。」


 「そのために、あなたの村を含む『末端』への海流供給を遮断し、中心部に酸素を集中させたのよ。」


「ルナという少女が死んだのではない。私が、彼女の分の酸素を、エルドラで暮らす別の子供へと回した。……それだけのことよ」


 レオンの全身から、力が抜けそうになった。


 彼は理解してしまったのだ。この女が、一分の嘘も吐いていないことを。


 私欲でも狂気でもなく、冷徹なまでの「正解」を積み上げた結果が、妹の死だったのだと。


 理解してしまったからこそ、胸の奥が焼けるように痛んだ。


 「……それでも」


 アストレアの声に、わずかな陰が差す。


 「その一割が、永遠に生きられる保証はない。私はただ、滅びの時間をわずかに遅らせているに過ぎない。この檻は、緩やかな全滅を待つための待合室よ」


 「……っ、ふざけるな……!」


 レオンの身体が、怒りと絶望で激しく震える。


 「それだけのことだと!? 誰が生きて、誰が死ぬか……。それをあんたが勝手に決めるのが、あんたの言う『愛』なのか!」


 「そうよ。誰かが汚れ役を引き受けなければ、この海はとっくに墓場になっていた」


 アストレアは、玉座からゆっくりと立ち上がった。


 彼女が立ち上がると同時に、宮殿内の光の糸が激しく発光し、巨大な圧力となってレオンたちにのしかかる。


 「レオン。あなたの怒りは正しい。けれど、あなたの『自由』は、この一割の命さえも道連れにする無責任な暴力だということを、理解しなさい」


 神の理屈が、レオンの個人的な悲劇を飲み込んでいく。


 それは正論という名の、この世で最も強固な檻だった。




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