1話 異形の守護者
カイルという「正義」を突き放し、黄金の門を潜り抜けたレオンとリナ。
その先に待っていたのは、安息とは程遠い、完成されすぎた地獄だった。
そこは、アストレアが座す神殿の最深部を囲む「神殿庭園」。
海底に敷き詰められた黄金の砂は、粒一つ一つが魔導演算の端末であるかのように規則正しく並び、不気味な微光を放っている。
海流はアストレアの心拍に同期して一定の周期で律動し、そこにあるすべてが「神の意志」に従うことを強要されていた。
庭園の随所に配置された巨大な噴水は、海中でありながら、魔力を帯びた海流を天へと突き上げている。
――ゴボッ、グチャッ……。
一瞬、噴水が内側から潰れるような、生理的な嫌悪感を煽る音を立てた。
だが、次の瞬間には何事もなかったかのように「完全な静寂」へと自己修正される。
その、あまりにも速すぎる調律。
レオンは直感した。ここは自然ではない。
ここは、侵入者を検知し、瞬時に排除・吸収するための、巨大な「生体装置」の内部なのだと。
「……っ……ハァ、……ハァ……」
レオンは大剣を杖代わりにし、膝の震えを必死に抑えていた。
カイルに斬られた左肩の傷は、都の濃密な魔力に当てられて、どす黒く変色し始めている。
出血は止まらず、脳裏には常に灰色の霧がかかっていた。
隣のリナも、禁忌の魔力を使用した代償で、肌に血管のような黒い痣が浮き出し、瞳の焦点が定まっていない。
その、満身創痍の二人の前に。
人工的な静寂を滑るように、二つの影が静かに、しかし絶対的な死の気配を伴って現れた。
「あらあら、カイルを倒しちゃうなんて。……驚いたわ。あの子、規律に関してはあんなに潔癖だったのに。野良犬一匹、仕留められないなんてね」
巨大な黄金の香炉をゆっくりと揺らし、そこから甘ったるく、どこか腐敗した肉の香りを漂わせる女性――四天王「抱擁」のマーラ。
彼女が掲げた香炉から、紫色の薄霧が触手のように伸び、レオンの傷口へと這い寄る。
「っ、……ぐ……あ……ッ!?」
傷が疼く。いや、違う。
傷口の細胞が、マーラの魔力に呼応して、勝手に「熱」を持ち始めたのだ。
肉が泡立ち、自分の肉体でありながら、自分ではない「何か」へと作り変えられていくような、おぞましい予感。
(マズい、……リナを連れて、離れないと……!)
そう思い、レオンがリナの腕を掴もうと一歩踏み出した、その瞬間だった。
「――無駄な試みだ。記録上、お前たちはすでに終わっている」
傍らで鏡のような短剣を弄ぶ男――四天王「境界」のゼノが、感情の消えた声で断じた。
彼が短剣を横に一閃した瞬間。
「……え?」
レオンの視界で、世界が文字通り「切断」された。
わずか数センチ先にあるはずのリナの手が、無限の深淵の向こう側へと遠ざかっていく。
物理的な距離は変わっていない。
だが、二人の間に横たわる「空間」そのものが、ゼノの権能によって数メートル、数万メートルもの断絶へと引き伸ばされたのだ。
「まだ“生きている”つもりか? お前たちはもはや、アストレア様の楽譜から排除された死残データに過ぎない」
ゼノの瞳には、怒りも憎しみも、侮蔑さえない。
ただ、不要なゴミをファイルから消去するかのような、無機質な義務感だけがあった。
(……ああ。……これは、無理だ)
レオンの心臓が、絶望に冷え切った。
剣を振るう相手に届かない。
守るべき仲間に、指先一つ触れられない。
自分たちの「存在」そのものが否定され、分断され、溶かされていく。
宮殿を守る最後の双璧。
それは、個を溶かして全体にする「抱擁」と、個を切り離して無に棄てる「境界」。
逃げ場のない庭園で、二つの相反する理が、ボロボロになったレオンとリナを、確実に「処理」しにかかっていた。




