2話 二つの正義、激突
「カイル……」
レオンの声は、押し寄せる群衆の罵声にかき消されそうだった。
白銀の騎士は、騒乱を鎮める静謐な海流を纏いながら、一歩、また一歩とレオンへ近づく。
その足取りに迷いはない。
彼が踏みしめる一歩一歩が、エルドラという名の秩序そのものだった。
「答える必要はない、レオン。お前の瞳を見ればわかる」
カイルの剣先が、レオンの喉元を指した。
「お前は、この街の幸福を、アストレア様が与えた救いを『偽物』だと断じ、それを壊す決意を固めた。……かつてお前の村を滅ぼした者たちと同じ、破壊の徒としてここに立っている」
「……違う。俺は、あの子たちの笑顔を……」
「笑顔を、どうしたいと言うのだ!」
カイルの声が、海鳴りのように響いた。
「お前は一人で泳げる強者だ。暗い海溝も、冷たい外海も、自分の意志だけで突破できる選ばれた命だ。」
「だがな、レオン。この街の民は違う。彼らは、アストレア様の管理という杖がなければ、明日をも知れぬ闇の中で一歩も進めず、泥に沈むだけの弱者なのだ」
カイルの瞳に、深い慈悲が宿る。
「その弱さを認めないお前の自由は、ただの強者の傲慢だッ! お前がその剣で檻を壊した後に残るのは、解放ではない。……ただの野垂れ死にだ!」
群衆から、カイルを支持する声が上がる。
それはレオンにとって、何よりも鋭い刃だった。
カイルの正義は「今、目の前で生きている人々」を救うためのものであり、レオンの正義は「いつか、人間として立つべき未来」のためのもの。
その時間軸のズレが、決定的な断絶となって二人を隔てていた。
「……傲慢で結構だ。それでも俺は、この檻を壊す」
レオンは震える足を踏ん張った。
錆びた大剣を構え、瑠璃色の魔力を噴出させる。
「杖がなきゃ歩けないなら、俺が肩を貸す! ……だが、檻の中で飼い慣らされるのは、もうおしまいだ。たとえ泥を啜ったとしても、自分の意志で顔を上げる。それが『生きる』ってことだろ!」
「……不遜。なれば、剣で語る他あるまい」
二人の影が、爆発的な衝撃を伴って交錯した。
キィィィィンッ!!
高硬度の鋼と鋼が、激しい火花を散らして水中を駆け抜ける。
カイルの剣は、エルドラの黄金海流そのものを味方につけていた。優雅にして迅速。
アストレアの理を最も美しく体現するカイルの一撃は、空間そのものを切り裂いてくる。
「っ、が……あッ!」
カイルの剣閃が、レオンの肩を正確に切り裂いた。
続いて放たれた刺突。
レオンは辛うじて大剣の腹で受け止めたが、剣を通して伝わる海流の圧力に、身体ごと吹き飛ばされる。
「どうした、レオン! 四天王を二人討った力は、そんなものか!」
カイルは追撃の手を緩めない。
流れるような連撃。
一太刀ごとに海流が渦を巻き、レオンの自由を奪っていく。
だが。
(……今、剣先が……揺れた?)
一瞬だけ、カイルの剣が空を斬った。
それは熟練の騎士にあるまじき、微かな、しかし決定的な躊躇。
アストレアの理を完全に体現するマシーンであろうと努めるカイルの奥底で、何かが軋んだ。
目の前の少年——ボロボロになり、誰からも望まれず、それでも「自由」という名の、あまりにも青臭く、かつて自分が捨てたはずの理想を捨てきれずにいるレオン。
その瞳の輝きに、カイルは自分自身の「かつての魂」を見てしまったのだ。
(……俺は、悪なのか? 理想を信じる者を、管理の名の下に踏みにじってまで……)
思考が濁る。
自分を追い詰めるカイルの背後で、熱狂的に英雄の名を呼ぶ市民たちの姿。
誰も自由を望んでいない。誰もが、この檻の中での永遠の午後を望んでいる。
「終わりだ、レオン! お前の理想には、血が通っていない!」
カイルがトドメの一撃を放つべく、剣を大きく上段に構えた。
広場の海水がすべてカイルの剣へと吸い寄せられ、白銀の巨龍のごとき奔流が形成される。
その絶望的な光景を前に、レオンの瞳の奥で、再び瑠璃色の火が爆発した。
「血が流れないように檻を作るのがあんたの愛なら……。」
「血を流してでも檻をぶち壊すのが、俺の愛だ! 」
「痛みを、後悔を、絶望を奪うな! それら全部が……俺たちが生きてるって証拠なんだよ!」
レオンの大剣が、内側から燃え上がるような熱量を放ち始める。
「逆流」が加速し、カイルの「完璧な海流」を飲み込み、塗り替えていく。
「来い、カイル! あんたの正義の重さ、全部俺が受け止めてやる!」
白銀の正義と、瑠璃色の反逆。
二つの正義が、エルドラの広場を揺るがす巨大な渦となって激突した。
二人の激突が生んだ凄まじい衝撃波の向こうで、都の最深部――アストレアが座す神殿へと続く、黄金の「断絶の門」が軋む音を立てていた。




