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ロータス海域戦記  作者: 花竜
第6幕:断絶の門
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1話 楽園の拒絶

 降り注ぐのは、かつて夢見た祝福の光ではなかった。

 

 黄金のエルドラ、その輝かしい中央広場を埋め尽くしているのは、無数の罵声と、粘りつくような憎悪を孕んだ民衆の視線だった。


 「人殺し! セレナ様を返せ!」


 「私たちの平穏を壊さないでくれ、この悪魔め!」


 投げつけられるのは、鋭い水の刃ではない。


 何の変哲もない、道端に転がっていた石や、先ほどまで買い出しに使われていた籠の中の野菜だ。


 だが、それらは四天王が放ったどんな秘奥義よりも重く、レオンの肉体を、そして魂を確実に削り取っていた。


 広場を取り囲む人々。


 彼らは、アストレアに操られた人形などではない。


 自分の意志で、自分の幸福を守るために、ここに立っている。


 レオンが「救いたい」と願い、そのためにヴァルガスを斬り、セレナを堕としたはずのその民たちが、今、レオンをこの世で最も忌むべき「通り魔」として断罪していた。


 「……レオン、迷ってる暇はないよ! このままじゃ数に押し潰される!」


 リナが傷ついた身体を強引に引きずり、レオンの腕を掴んで叫ぶ。


 だが、レオンは動けなかった。


 錆びた大剣の柄を握りしめるその指先は、雪のように白く、震えている。


 目の前の群衆の中には、昼間に真珠の手まりをくれたあの少女が、母親の背中に隠れて震えながら自分を睨みつけている姿があった。


 その瞳に宿っているのは、感謝でも期待でもない。

 

 ただ純粋な、未知の破壊者に対する「恐怖」だ。


 (……俺は、何をしているんだ?)


 レオンの脳裏に、かつて滅んだリセ村の光景が重なる。


 あの時、自分は誰も救えなかった。


 だからこの世界を変えると覚悟した。


 だが、力で秩序を壊せば壊すほど、人々は泣き、自分を拒絶する。


 自由とは、これほどまでに独善的で、これほどまでに孤独なものだったのか。


 「アストレア様は、私たちに仕事と、家と、そして明日への希望をくださったんだ!」


 「あんたみたいなバグが来なければ、私たちは死ぬまで幸せでいられたのに!」


 一人の男が放った石が、レオンの額を直撃し、鮮血が視界を赤く染める。


 レオンはそれを拭おうともせず、ただ呆然と立ち尽くしていた。


 向けられた刃が重い。


 悪意なき善意から放たれる拒絶の言葉が、レオンの心臓を、一息ごとに切り刻んでいく。


 その時だった。


 狂乱に近い怒りに沸く群衆を割るように、一際高い水の壁が広場を二分した。


 人々が、潮が引くように道を開ける。


 白銀の甲冑を纏い、黄金海流の光をその背に一身に背負った騎士が、静かに歩み出た。


 「……下がっていろ、皆。ここからは騎士の領分だ」


 カイル・ヴァン・オーシャン。


 騎士団の中で唯一、民衆から真に愛され、民衆を真に愛している男。


 彼が歩を進めるたび、荒れ狂っていた広場の空気は、一瞬にして厳粛な静寂へと塗り替えられていった。


 それは暴力による制圧ではなく、彼が積み上げてきた「信頼」という名の秩序がなせる業だった。


 「カイル様! その悪党を、早く!」


 「私たちの楽園を、守ってください!」


 民衆の願いを背負い、カイルはレオンの前で足を止めた。


 彼は抜刀した。


 その瞬間、広場全体の海水が、意志を持ったかのようにカイルの剣先へと集束し、圧倒的な質量の「正義」がレオンの逃げ場を塞ぐ。


 「レオン。お前はセレナを倒した。……だが、それはお前がこの都のすべての笑顔を奪ったということだ。この光景を見て、まだ自分の正しさを主張できるか?」


 カイルの問いには、一点の曇りもなかった。


 彼は、アストレアが「正解」であることを疑っていない。


 なぜなら、彼の目の前には、アストレアによって救われ、アストレアを失うことを何よりも恐れている数万の民がいるからだ。


 「……答えてくれ、レオン。お前は、彼らの何を救おうとしている。自由か? 尊厳か? ……それが、今日この場所で彼らが流している涙以上の価値があるというのか」


 「……っ……」

 

 レオンは喉の奥で、乾いた音を立てた。


 言葉が出ない。


 自由を、自分で選ぶ権利を、と叫びたかった。


 だが、その「権利」という言葉が、目の前で家を、平穏を、そして心の拠り所を壊された人々にとって、どれほど無価値で、残酷な響きを持つかを、レオンは思い知らされていた。


 カイルの放つ白銀のオーラが、レオンの瑠璃色の魔力を押し返していく。


 それはもはや力の差ではない。


 背負っている「責任」の重さの差だった。

 

 カイルはこの数万の民の人生を背負い、レオンは、自分一人のわがままな理想だけを背負っている。


 「剣を抜け、レオン。……私は騎士として、この都の安寧を乱す『悪』を討つ」


 カイルが剣を構える。


 その剣先は、レオンの心臓を、正確に捉えていた。


 広場の民衆は、固唾を呑んで「英雄」カイルが「悪党」レオンを裁く瞬間を待っている。


 レオンは、泥のように重くなった右腕を、ゆっくりと動かした。


 錆びた大剣の重みが、かつてないほど絶望的に、彼の全身に圧し掛かっていた。


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