4話 逆流の「極北」
「……リナ、助かった。あとは、俺がやる」
レオンは、震える手で大剣を握り直した。
五感はまだ完全ではない。
視界の端にはノイズが走り、平衡感覚は狂ったままで世界は激しく自転を続けている。
だが、リナが命を削って撒いた「泥」が、セレナの絶対的な調律に、取り返しのつかない致命的な亀裂を生んでいた。
「セレナ。……あんたの理が『振動』だっていうなら」
レオンの全身から噴き出すオーラが、瑠璃色から、凍てつくような白銀へと変色していく。
それはこれまで「外側への攻撃」に費やしていた逆流の魔力を、自らの精神と肉体の境界線……その極小の隙間に向けて、内側へと転換した姿だった。
「俺は、自分自身の『鼓動』以外の……すべてを拒絶する!」
――逆流・絶域。
その瞬間、レオンの肉体表面で、世界とのあらゆる繋がりが消失した。
光、音、熱、振動。あるいはアストレアが定義した情報のすべて。
セレナの音叉が奏でる「支配の音」さえも、レオンの肌に触れた瞬間に虚空へと霧散していく。
「馬鹿な……!? 世界からの干渉を、物理・魔導を問わずすべて遮断するなんて……! そんなことをすれば、あなたは酸素も栄養も、光さえも受け取れず、自滅するわよ!」
セレナの叫びは正しい。
絶域を展開したレオンは、今、この海にいながら「どこにも存在しない虚無」と化していた。
肺の中の酸素が尽きれば、彼の命は終わる。
だが、その代償として手に入れたのは、何者にも、神にさえも干渉されない絶対的な「自己」だった。
「ああ、そうかもな。……でも、一瞬で十分だッ!」
レオンが海底を爆発的に蹴った。
音もなく、水圧の抵抗もなく。
振動そのものを拒絶し、因果律さえも置き去りにした真空の突進。
「――逆流・沈黙!!」
白銀の閃光が、夕闇を切り裂く。
セレナが音叉を盾にする暇さえなかった。
「鋼の意志」という物理的な質量を持った刃が、セレナの持つ巨大な音叉を——エルドラの秩序の象徴を——中央から真っ二つに叩き割り、その肩口を深く、残酷に斬り裂いた。




