表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ロータス海域戦記  作者: 花竜
第4幕 黄金の都
16/39

4話 黄金の綻び

 エルドラの朝は、完璧な朝だった。


 だが、その完璧さがどれほど残酷な均衡の上に成り立っているかを、レオンは知ることになる。


 潜入二日目。都の端、サンゴのビル群が途切れる境界近くの広場で、その「不調和」は唐突に起きた。


 都の華やかな喧騒からわずかに外れたその場所で、一人の老いた魚人が、二人の白銀の騎士に詰め寄られていた。


 「……アストレア様の再計算が完了しました」


 騎士の冷徹な声が、穏やかな潮流を震わせる。


 「住民番号7749。あなたの住区における酸素供給優先度は、本日を以て最低ランクに引き下げられました。速やかに、都の外郭にある『再調整区』へ退去を」


 「待ってくれ! 何かの間違いだ!」


 老人は、震える手で騎士の装甲に縋り付いた。


 「私は、この都のために一生を捧げてきた! 一日の欠勤もなく、アストレア様の教えを守り続けてきたんだ! 息子も、先月この都の防衛隊に志願したばかりで――」


 「法は、平等に非情です」


 騎士は感情を一切交えず、老人の手を冷酷に振り払った。


 「あなたの労働生産性、および現時点での生命維持コストは、今の都の『最適解』を損なう要因となっています。エルドラの美しさを保つために、あなたの存在は不要と判断されました」


 周囲には、買い出しの最中だった市民たちが足を止め、その光景を眺めていた。


 そこには確かに同情の視線があった。


 だが、誰一人として声を上げる者はいない。


 助ければ、自分たちの「幸福の計算式」が狂う。


 老人に分け与える酸素は、自分たちが享受するはずの幸福を削ることと同義だ。


 老人を見送る群衆の中で、幼い魚人の子が母の袖を引いた。


 「ねえ、あのおじいちゃん、どうして泣いてるの?」


 母親は一瞬だけ言葉に詰まり、やがて優しく微笑んで子供の目を覆った。


 「大丈夫よ。アストレア様が、あのおじいちゃんを“もっと幸せな場所”へ連れていってくださるから」


 老人は、なす術なく連行されていった。


 その背中が都の光に溶ける頃には、彼がそこに存在していた痕跡は、記録からも、そして人々の記憶からも、綺麗に消去されていた。


 「……リナ、これって」


 レオンが低い声で問いかける。隣に立つリナの顔は、苦い泥を噛み潰したように歪んでいた。


 「これが『帳尻』だよ。アストレアの愛は、全宇宙への愛じゃない。彼女が描く『完成された絵』に適合するパーツだけを愛しているんだ。絵に合わなくなった古いパーツは、こうしてゴミとして捨てられる」


 レオンは、震える手で剣の柄を掴んだ。


 昨夜、テラスで感じた迷いは、今、氷のような冷徹な怒りへと変わっていた。


 「……やっぱり、間違ってる」


 レオンの声から、迷いが消える。


 「管理されてる間だけの幸せなんて……。そんなの、生きてるんじゃなくて、生かされてるだけだ。明日には捨てられるかもしれない幸せを握りしめて、隣の誰かを見捨てるのが『楽園』だっていうなら……」


 レオンは、偽装を施された釣竿を力強く握りしめた。


 「俺は、この都ごと、みんなを檻から出す」


 ——たとえ、その鍵穴が“世界の理”そのものだとしても。


 その魂の叫びに応えるように、錆びた大剣が鞘の中で青白い微光を放った。


 隠しきれない殺気――「逆流」の奔流が、一瞬だけエルドラの静謐な理を乱した。


 それは人間の感情ではなく、世界の計算式そのものを誤作動させる“ノイズ”だった。


 その瞬間。


 都は一瞬だけ、完全な静寂に包まれた。


 まるで世界そのものが、深く息を吸い込んだかのように。


 ――直後、都の全域に、聞いたこともないような甲高い警報が鳴り響いた。


 『――不確定要素バグを検知。座標、第4外郭、広場付近』


 黄金の空、あらゆる場所から冷徹な合成音声が降り注ぐ。


 逃げ惑う市民たち。


 整然と並んでいた秩序が、一瞬にして「不純物」を排除するための防衛陣形へと書き換えられていく。


 「潜入はここまでみたいだね、レオン!」


 リナが身構え、影の触手を全方位に展開する。


 『掃討モードへ移行。都の美しさを損なうノイズを、速やかに抹消せよ』


 白銀の騎士たちが一斉に抜剣し、レオンたちを包囲した。


 「来いよ……アストレア。お前の完璧な絵を、今から俺がメチャクチャにしてやる!」


 レオンは大剣を抜き放ち、偽装の釣竿を粉々に砕いた。


 現れたのは、美しき都にはおよそ似合わない、無骨で荒々しい錆びた刃。


 ここからは、この美しい楽園を維持するためにレオンを殺そうとする、世界のことわりそのものとの戦いが始まる。


 黄金の都の平和が、音を立てて崩れ落ちていく。


 レオンは咆哮と共に、黄金の光の壁へと突っ込んだ。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ