表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ロータス海域戦記  作者: 花竜
第3幕 重圧の門番
11/23

5話 選択の傷跡

 ヴァルガスの巨躯が、海底の岩盤を鳴らしてゆっくりと膝を突く。


 胸甲を断たれ、魔力の霧が噴き出す中、彼は憤怒でも憎悪でもなく、どこか遠い海面を見上げるような――慈愛に満ちた絶望の目で微笑んだ。


 「……カハッ……。見事だ、バグの少年……。我が質量を凌駕する、魂の重み。しかと見せてもらった……」


 ヴァルガスの声は、もはや地鳴りではなく、ひび割れた鐘のように虚ろだった。


 「だが、覚えておけ。お前が打ち砕いたのは、ただの盾ではない。この海溝を、この人々を生かしていた『世界の形』そのものなのだ」


 「……何を、言って……」


 レオンは剣を杖に、荒い呼吸を繰り返しながら問い返す。


 レオンの耳の奥では、低い破裂音が断続的に鳴り始めていた。


 それが、急激な減圧によって自分自身の体内で起きている「異変」の音だと気づくのに、数秒を要した。


 「俺を倒し、俺の重圧が消えれば……海流を失い、虚弱に成り果てたここの民は、内側から弾けて死ぬ。俺がこの盾で、歪んだ理圧を固定し、彼らを『守り固めて』いたからだ」


 ヴァルガスは満足げに、血を吐きながら言葉を続けた。


 「……覚えておけ。救えなかった数を……お前は、きっとこの先も、数え続けることになる。それがお前の望んだ、自由という名の地獄だ」


 「……っ!? 嘘だ……!」


 レオンが弾かれたように振り返る。


 海溝の断崖にへばりつくように形成された「澱みの街」。


 そこでは今、ヴァルガスという「重石」を失ったことで、残酷な物理の反動が民を襲っていた。


 崖の縁で、一人の幼い魚人が母の鱗にしがみつきながら、声にならない悲鳴を上げている。


 母親の身体は不自然に膨張し、子を抱く腕だけが、必死にその形を保とうと青白く震えていた。


 彼らにとって、ヴァルガスの重圧は自由を奪う檻であると同時に、海流エネルギーを失った細胞を無理やり維持するための、人工的な「外圧装置」でもあったのだ。


 「救おうとするほどに、お前の手で世界は壊れていく。……せいぜい、足掻くがいい……」


 ヴァルガスは最後にそう遺すと、その身体を細かな光の泡へと変え、暗い潮流の中へと溶けて消滅した。


 後に残されたのは、静まり返った海底と、死の減圧に喘ぐ民たちの苦悶。


 「……あ、あぁ……」


 レオンの手から力が抜け、錆びた剣が海底に滑り落ちそうになる。


 逃げることもできた。ヴァルガスの呪いから目を逸らし、この場を去ることもできたはずだ。


 だが――レオンは、剣を手放さなかった。

折れそうな指で、血に濡れた柄をより深く、強く握り直した。


 「レオン、止まってる暇はないよッ!!」


 リナの鋭い声が響く。


 彼女は既に術式を編み直し、広がり続ける「減圧の歪み」を影の膜で食い止めようとしていた。


 「ヴァルガスの言葉は半分は正解で、半分はただの呪いだ! あいつが死んだことで、海流の循環が戻り始めた。


 でも、それが民の体に馴染むまで、あと数分……! 数分、保たせれば助かるッ!」


 「数分……。ああ、わかった……!」


 レオンは、震える身体を無理やり引き絞るようにして立ち上がった。


 切り裂くための刃。


 破壊するための力。


 それを今度は、誰かを「繋ぎ止める」ために、世界の崩壊を「押し戻す」ために使わなければならない。


 自由とは、ただ鎖を断ち切ることではない。


 その鎖が繋いでいたすべての責任を、自らの背中で引き受けることなのだ。


 救えなかった数を数えるんじゃない。


 目の前の、あの子の母親を死なせない。


 レオンは、かつてないほど深く、瑠璃色の魔力を練り始めた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ