あなたは死にました
「芦屋君。これ、片付けておいてくれる?」
「ああ、はいっす」
書類の山。天井を突き刺す時計の針。闇を背中にパソコンのモニターが霞んだ。
世間でいうところのブラック企業に勤めていた俺は、日課の残業に勤しんでいた。
別に、残業だろうと連勤だろうとどうでもよかった。ただ、稼いだ金で、俺はソシャゲのガチャを回したかっただけだ。40代程度まで適当に稼いで、あとはファイアしてる。そんなこと考えてもう、30かよ。あと10年あるってマジ?
パワハラもカスハラも、俺はソシャゲのイベントやガチャを回せば何でもよかった。
上司も帰った後、警備員さんが持ってきてくれたエナドリを飲みながらスマホを出す。日勤よりも残業の方が楽しさすらあった。
「ふう。さすがに外の空気吸うか。あーー、腰いてえ」
外に備えられた非常階段の非常灯の灯が非情にも今の俺の顔色よりも明るい。スマホの明かりを頼りに煙草に火をつけて、一服した。
クソみたいな人生なんて悲観はない。こんだけ働いても税金で持ってかれるが、嫌なら国外へ行くなり転職なりするしかないが、多くの人間はそれが出来ない。きっしょい世の中。
「高卒で大企業のグループ企業に入れただけでもありがたい話、か……あ?」
俺はスマホの画面を、凝視した。疲れ目か? 疲労が全て目に来たのか? 何かの見間違いか? おかしいな、この文字は、何だ?
俺のスマホには、おかしな文字列が並んでいた
『サービス終了のお知らせ』
ざけんなよ、マジでさ。俺はこれから、何を……何を信じて、楽しみにして、生きて行けばいいんだ……。
「神は死んだ、私たちが殺したのだ」
ニーチェの言葉を頭で反芻した。俺は彼のことを知らない。晩年に梅毒で亡くなったこと位しか知らない。ニーチェでもない俺はじゃあ、一体、どうしろって言うんだ――
「は?」
ガコン、と音を立てて、手すりの一部が崩れて落ちた。完全に手すりに体を預けていた俺は、そのまま16階から、落ちていく。
最後に見た文字は、これこそ本当に疲れ目で見逃していた、修理中、立ち入り禁止の看板ではなく、「ラストガチャ、SSR大放出」の文字だった。
ああ、回して、殺してくれよ、せめて――
暗転……そして、明転。
目を閉じていた俺は、悪夢から目を覚ますようにハッと瞳だけ開いた。
え、あ、うわ、最悪だ……
「洗濯もの、入れてねぇ」
「心配するところ……そこじゃ、ないと、思います……」
開いているだけで何も見ていなかった目を、声の方へ向けた。
馬鹿みたいに何もない真っ白な空間。輪郭すら失った天井へ高々と伸びるのは、時計の振り子? 伊豆の踊子じゃないことは確かだ。
「あの、お名前、よろしいですか?」
振り子の前には執務机があって、小さな紫髪の女の子が座っていた。
やる気と自信のない垂れ目。机の下位にまで平気で着くほど長い。見たことないな。
「川端康成です」
「かわ……、え、あ、その……」
「冗談です。芦屋空人、34歳。彼女無しです畜生」
「ああ、自己紹介中に思いが吐露しちゃってます……お名前、間違いないです。えと、誠に残念ですが、あなたは、亡くなりました」
「そりゃそうでしょうね。意外と覚えてるもんでね、ああこれ、死んだって思いましたもん」
「お話、速くて助かります。あなたはある程度の条件の元、私が担当になりました。すみません、私みたいな、若輩者で」
「俺は、あなたが新人かどうか知らないんで、別に胸張ってりゃいいと思うっすよ? 営業とか採用は度胸。はい、度胸で偉そうに」
「そこになおりやがれ、です」
「ああーーーーいい感じです。それで? 俺はこれからどうなるんですか?」
「あなたがいた世界とは別の世界で生まれ直してもらうか……今の感じで転出していただく形になりますが、どちらがよろしいですか?」
「んじゃ、後者で」
「はい。私の管轄世界がいくつかありますが、どんな世界がいいとかありますか?」
「食べ物がおいしい世界で」
「珍しいですね。もっと、ファンタジーがいいとか、ドラゴンがいるとか、そういうの、いらないですか?」
「いや、ドラゴン食べれるんすか?」
「ええと……あなたの世界基準でいうと、カンガルーの味がします」
「ええー……まあ、食えたらいいか。ドラゴンいてもいいですよ」
「では最後に、こちらに欲しいスキルを書いていただいても、いいです、か」
テーブルの上には書類。しかも転写用のシートがかましてあった。なにこれ。
「前、裏書で、別のスキルを作ってこの部屋を、勢いよく、出て行った、人がいたそうで……担当した方は、今も、戻ってない、ので」
「ああ、酷い悪人もいたもんっすね。なんでもいいんすか?」
「審査基準に基づいていただければ。例えば、空気を操る、氷結の能力、攻撃の無効化。即死させる呪い。分かりやすく言うと、楽に生きるための超能力。二度目の人生位、楽に生きて、ほしい、ので、サービスで、体も、10代に戻してあげます」
「あざっす。てか、能力? 何でもいいな……決めてもらえないっすか?」
「決めれないのです、その、すみま、せん」
「あー……どうしよ」
「では、あなたの夢は何ですか? アストさん。あなたは若くして亡くなりました。何か夢があるのでは、ないですか?」
「……ああ、まあ、あるっすけど……ああそうだ、んじゃ、これで」
俺は紙にたった一つの単語だけ書いた。
「ガチャ……抽象的、なので、こちらでいくつか加筆します、ね」
「おなしゃっす!」
「では、この扉を潜って、行ってください」
ガコン、と音を立てて、白い何もない空間が開いて行く。
「あの、最後に名前聞いてもいいですか?」
「フロティア。女神、と呼ばれて、います」
女神フロティアはちょこんと椅子から降りると、扉に俺を導いた。
「それでは、あなたの人生が、寄り寄り者であることを」
トン、と控えめにされる。また、落ちていくのか……まあいい。後は、上がるだけだ。
人生、挙がって逝こうぜ
「お祈りしています」