7 穏やかな日々
その日以来、アルベールはほとんど毎日リゼットと昼食を共にするようになった。
リゼットも、アルベールと同じくパンで具材を挟んだものを食べる。
食べ慣れない形状に最初は少し苦戦したが、味は期待した以上に美味しかった。
シンプルに卵だけを挟んだものも美味しいが、茹でた鶏肉とチーズ、それにたっぷりの野菜やハーブを一緒に挟んだものが特にお気に入りだ。
リゼットの見たところではアルベールも同じものを好んでいるようで、ちょっぴり嬉しい気持ちになる。
相変わらず、たいして会話が弾むわけではない。リゼットが報告のように日々の出来事を話し、アルベールがそれに相槌を打つ程度。
リゼットの一番の楽しみは黒猫のアルとのふれあいなので、話す内容は自然とアルのことが中心となった。
「旦那様に頂いたブラシのおかげで、ますます艶々のふわっふわになったんですよ!」
「それはなによりだ」
猫には興味がない様子だったのに、アルの話に相槌を打つアルベールの表情はどことなく緩い。
リゼットも珍しく饒舌になる。
「顎の下を優しく撫でると、喉をゴロゴロ鳴らして可愛いんです」
「そうか、可愛いか」
「耳の付け根を撫でられるのも好きみたいですね」
「そう、か」
「尻尾の付け根をわしゃわしゃと撫でたら、お尻を高く上げてとっても気持ち良さそうで」
「そ、それは」
「昨日はついに、お腹に顔を埋めてスーハーすることができましたの! ふわふわでいい匂いで、まさに夢見心地でしたわ!」
「……」
「次は抱っこして一緒に寝たいと思ってるんですけどなかなか応じてくれなくて……あの、旦那様……?」
いつの間にかアルベールは両手で顔を覆ってしまっていて、耳が真っ赤に染まっている。
「大変! お熱があるのでは……」
「いや……大丈夫……だ……」
息も絶え絶えに「大丈夫」と繰り返すアルベールに、リゼットは首を傾げたのだった。
変化は夕食時にも訪れた。
黒猫のアルが、リゼットに相伴するようになったのだ。
リゼットは、広い食堂で一人ポツンと食べるのが落ち着かず、夕食を自室で取ることにしている。
ある日の夜、リゼットが夕食を食べ始めようとしたタイミングで、黒猫が部屋にやってきた。
そして、リゼットの向かいの椅子に、当然のように飛び乗った。
「まあ、アル。今日は早いのね。夕食はまだ?」
「ニャア」
「私と一緒に食べる?」
「にゃん」
催促するように尻尾をくねらせる黒猫に微笑みかけ、執事のセバスチャンを呼んだ。
やって来たセバスチャンは、椅子に堂々と鎮座する黒猫の姿を見て、細い目を丸くして固まったが、すぐにいつもの落ち着いた表情を取り戻し、
「可能な限り奥様のご希望に添うようにとの、旦那様のお言葉ですので」
と、アルとの相伴を許してくれた。
「当家のコックは猫の食事にも詳しゅうございますので、すぐに準備は整うでしょう」
というセバスチャンの言葉どおり、待つことなく猫用にアレンジされた食事が運び込まれ、黒猫の前に並べられた。
リゼットは、さすが公爵家の使用人は優秀だわと感心したのだった。
以来、黒猫は毎日夕食どきにリゼットの部屋にやってくるようになった。
使用人達も心得たもので、何も言わずとも黒猫の食事がテーブルに並べられる。
「ふふ、アルは食べる姿も可愛いわね。それにとってもお上品だわ」
黒猫の食事風景を見るだけでリゼットは心が癒やされる。
一人で食べるより、食事も美味しく感じられた。
夕食を終えた後は黒猫を膝に乗せてブラッシングするのが日課になった。
ブラシを当てながら、その日の出来事を話して聞かせる。
いつの頃からか、話す内容はアルベールのことが中心になっていた。
「今日の朝食のときに、刺繍したハンカチを旦那様にお渡ししたのよ」
「にゃん」
刺繍の図案については、数日悩んだ末に、使いやすさを重視して家紋とイニシャルのみのシンプルなデザインにした。
それでも少しだけこだわりたくて、イニシャルは黒と金の糸を使った飾り文字にしてみた。
「受け取って下さって良かったわ。使って下さると嬉しいのだけど……」
「にゃうにゃう」
あまり表情の変わらないアルベールだが、ありがとう、と言ってハンカチを受け取ったときにはうっすらと笑みが浮かんでいた。
(喜んで下さってた……わよね?)
アルベールの表情を思い出しては、口元を綻ばせるリゼットなのだった。
黒猫は夜更けまでリゼットの部屋に留まるのが常だった。
いっそのこと黒猫を抱いて寝たいとリゼットは思うのだが、どんなにお願いしても黒猫はベッドに入ろうとはせず、リゼットの就寝前には出て行ってしまう。
そのことが少しばかり残念だったが、毎夜黒猫と過ごす時間は幸せだった。
アルベールと共にする朝昼の食事にも慣れてきた。
そうしてリゼットが嫁いでから、二ヵ月が穏やかに過ぎていった。
そんなある日のこと、リゼットのもとに、妹のミシェルから一通の手紙が届いた。




