やきもち猫じゃらし
猫じゃらし回です!
黒猫視点で始まり、終盤でリゼット視点に変わりますのでご注意下さい。
夜更けの公爵邸。屋敷の主であるアルベールは、今日も今日とて愛する妻の膝の上で丸くなっていた。黒猫の姿で。
「うふふふふ、一週間ぶりのアルの手触り……」
「にゃ……」
優しくブラッシングされ、黒猫の口からふやけた声が漏れる。
(ああ癒される……今日もリゼットのブラッシングは最高だな……)
すっかりリラックスした黒猫の体はふんにゃりと伸び、尻尾が機嫌良くゆらんゆらんと揺れる。
猫好きの妻リゼットのため、アルベールは時々こうして、あえて解呪せず黒猫姿のままリゼットと過ごす時間を設けているのだ。
リゼットのため……と言いつつ、実はアルベールもリゼットに触れられるのが嫌ではない。正直に言うとかなり好きだ。恥ずかしいのでリゼットには秘密にしているけれど。
(ただ、猫の姿でいると猫としての感覚が強くなるのが少々厄介だが……)
呪いを受けて黒猫の姿でいる間も、アルベールが人としての意識を失うことはない。
だが同時に、猫としての本能も持ち合わせてしまうらしい。そのことに気づいたのは、リゼットが嫁いできてからのことだった。
「アル、お顔の周り、マッサージするわね」
「にゃん……」
例えばこれ。
リゼットに耳の付け根や顎の下あたりを優しく撫でられると、とてつもなく気持ちが良い。人間の体のときには持ちえない感覚だ。
「尻尾の付け根も、気持ちいいのよね?」
「にゃ……ぅ……ゃ……」
それからこれ。
尻尾の付け根をわしゃわしゃされると全身に抗いがたい快感が走り、ぐいっとお尻を高く上げるというあられもない格好になってしまう。これもまた、人間の体であれば決してありえないことだ。
(くっ……は、恥ずかしい……)
そう思いつつも、「やめてくれ」とは言わないアルベールである。
(仕方ないんだ。猫のときは猫の本能が表に出てきてしまうんだから……)
快感に尻尾を震わせながら、アルベールはもう一つの黒歴史を思い返していた。
それはリゼットに黒猫の正体を明かす少し前のこと。
夜、部屋を訪ねて行くと、いつにも増して楽しそうなリゼットに出迎えられた。
「アル、見て! 旦那様がプレゼントして下さったのよ!」
リゼットの手にある物に目をやり、黒猫は「ニャ……」と気のない返事をした。
それは細長い棒の先に、束ねた鳥の羽を取り付けた道具。いわゆる猫じゃらしだった。
セバスチャンから「奥様が欲しがっておられます」という情報を得て、アルベールが取り寄せたものである。
その日の昼食の時に手渡したところ、リゼットは頬を染めて喜んでくれた。その笑顔を見られただけでも贈った甲斐があったというものだが……。
「どう? アルはこういうの好きかしら? 子猫ではないし、もう遊ばないかしら……?」
「ニャ……」
(正直に言うと全く興味はないな……)
「成猫でも好きな猫は好きなようですよ」とセバスチャンは言っていたが、そういう問題ではないとアルベールは思う。黒猫は本当は、いい歳をした人間の男なのだ。
「ねえ、試しにちょっと遊んでみない?」
そう言ってリゼットは、誘うように黒猫の顔の前で猫じゃらしを振って見せた。その目は期待でキラキラと輝いている。
(……仕方ない、少しお付き合いするか。リゼットをがっかりさせたくないしな……)
内心で溜息をつきながら、前脚で猫じゃらしにチョイと触れた。みょん、と羽根が揺れる。
顔を上げてリゼットの様子を窺う。「どうかしら?」と言いながら笑顔でさらに猫じゃらしを振ったので、もう一度前脚で、今度はもう少し勢いよく叩いてみた。みょんみょん、と羽根が揺れる。
(……ふむ。意外と楽しいかも……?)
チョイ。
みょん。
チョイチョイ。
みょんみょん。
チョイチョイチョイ。
みょんみょんみょん。
気づけば夢中になっていた。
右に左に、上に下に。
リゼットの操る猫じゃらしを追って、猫パンチを繰り出し、床を転がり、飛びつく。
ついに両方の前脚で羽根を捕まえてカプッと噛みつき、得意げにリゼットの顔を見上げたところでハッと我に返った。
(お、俺はいったい何をしてるんだ……)
リゼットは楽しそうに頬を染めていたが、黒猫はしょんぼりと落ち込んだ。
こうしてアルベールはまた一つ、新たな黒歴史を作ったのだった。
猫じゃらしで遊ぶのが楽しくなかったわけではない。
むしろ異様なほどに興奮した。
獲物を狩る、猫の本能なのだろう。
楽しくはあるのだが、人間の理性が猫の本能に負けた気がしてしまう。
幸い、黒猫の正体を明かしてからは、リゼットが猫じゃらしで遊ぼうと誘ってくることはなくなった。
本当はアルベールだと分かった以上、猫扱いしては失礼だと思っているのだろう。
それでも黒猫をもふもふする誘惑には勝てないようだが、それはアルベールも密かに望むところなので問題はないのである。
使われなくなった猫じゃらしは、夫婦の寝室の飾り棚に、オブジェのように飾られている。
「そういえば、明日のエレノーラ様とのお茶会なのだけど……」
黒猫の背をゆったりと撫でながらリゼットが言う。
リゼットはすっかりエレノーラ王妃に気に入られたらしく、こうして時々お茶会に招かれているのだ。
妻と義姉の仲が良いのは喜ばしいことなので、アルベールとしても歓迎している。
ただ一点を除いて。
「あの猫じゃらしを持って行っても構わないかしら?」
(……猫じゃらしだと?)
じっとリゼットを見つめ、首を傾げて見せる。なんだか嫌な予感がした。
「レオポルトがね、猫じゃらしで遊ぶのが好きらしいの」
(やっぱりアイツと遊ぶためか……!)
黒猫の尻尾が不機嫌に揺れる。
エレノーラ王妃とのお茶会にいつも同席しているらしい雄のトラ猫、レオポルト。
一応、リゼットがアルベールに嫁ぐきっかけになった猫であり、アルベールにも感謝の気持ちがないわけではない。
けれど、黒猫にはない、長いふわふわの毛でもって愛しいリゼットを誘惑しているかと思うと、そしてリゼットがそんなトラ猫を無防備に可愛がっているかと思うと、居ても立っても居られない気持ちになるのだ。黒猫はたいへんやきもち焼きなのである。
「アルとはもう、あの猫じゃらしで遊ぶことはないのだし……」
(それは、そうかもしれないが……)
百歩……いや、一万歩譲って、リゼットがレオポルトと遊ぶのは構わない。面白くはないが、我慢する。
だがあの猫じゃらしは、リゼットが黒猫と遊ぶために、アルベールがプレゼントしたものなのだ。それを他の猫との遊びに使われるのは、どうにも納得しかねた。
(あれは、俺の、猫じゃらしだ!)
黒猫はすっくと立ち上がると、タタッと駆け出した。飾り棚に飛び乗り、オブジェと化していた猫じゃらしを口に咥える。
そのまま走って戻り、リゼットの前にぽとんと猫じゃらしを置いた。
リゼットが目を瞬いた。
「えっと……アル?」
猫じゃらしを差し出され、じっと見つめられて、リゼットは戸惑った。黒猫が前脚でさらに猫じゃらしを近づけてくる。
まるで遊びに誘うような仕草だけれど……。
「気持ちは嬉しいけれど……でも、アルは本当は猫じゃらしになんて興味はないのでしょう? そこまで付き合わせるのは悪いわ……」
リゼットは眉を下げる。
黒猫のアルの中身はアルベール。人間だ。猫じゃらしになど興味を持っているはずがない。
黒猫の正体を知らなかったときには、何度か猫じゃらしで遊んだことがあるけれど、リゼットに付き合って演技をしてくれていたのだろうとリゼットは思っている。
黒猫がアルベールだと知った以上、猫じゃらしに付き合わせるわけにはいかない。
それなのに、黒猫はさらに猫じゃらしを押しやり、真ん丸の目でじっとリゼット見上げてくる。
「……本当にいいの?」
「ニャア」
「ありがとう、アル!」
リゼットは声を弾ませた。ずっと遠慮していたけれど、本当は猫じゃらしで遊びたい気持ちを我慢していたのだ。
そうして始まった猫じゃらしでの遊び。
今日も黒猫は迫真の演技を披露してくれた。
前脚でチョイチョイと触ったかと思えば、やがて夢中な様子で猫じゃらしを追いかけ始めた。
真ん丸に見開いた目で猫じゃらしを凝視し、ごろごろと床を転がりながら何度も猫パンチを繰り出す。
そのあまりに可愛い仕草に、リゼットの胸はキュンキュンとときめきっぱなしだ。
なにより、リゼットのために黒猫がそこまで体を張ってくれたことが嬉しくて。
「ああ、もう! 大好きよ、アル!」
思わず黒猫を抱き上げ、その口にチョンとキスをした。
たちまち解呪の効果が現れ、黒猫はアルベールの姿に戻った。
けれどリゼットを見つめる美しい金の瞳は、いまだに獲物を狙うかのように熱を帯びたままで――。
「リゼット、あの猫じゃらしは俺と使おう?」
「……は、はい、お茶会には持って行かないことにします……」
金色の瞳に射貫かれ、魅入られたようにリゼットはうなずく。
アルベールが嬉しそうに目を細め、リゼットを抱き上げた。リゼットに視線を落とすアルベールは、再び獣の目に戻っている。
「リゼット、狩りの続きをしてもいい?」
「狩り、ですか……?」
「そう。獲物はリゼット」
アルベールの足はまっすぐに夫婦のベッドに向かっている。
ようやく意味を理解し、リゼットは顔を真っ赤に染め上げた。
「あの、でも、もう捕まっていると思うのですけど……」
「うん、そうだね。大丈夫。優しく食べるから」
「は、い……んっ」
承諾の返事は、噛みつくようなキスに飲み込まれた。
唇に、首筋に、胸元に。仕留めた証を残すかのように、熱い口づけが何度も落とされる。
(もしかして、猫じゃらしってちょっぴり危険なのかしら……?)
次第にくらくらと溶けていく思考の片隅で、リゼットはそんなことを思ったのだった。
お読み頂きありがとうございました!
また何か思いついたら番外編追加しようと思っています。




