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呪いが解けるまで⑥

 打ち明ける勇気を持てないまま、さらに半月が経った頃、リゼットの様子がおかしくなった。

 黒猫を撫でながらも、憂鬱そうに溜息をついている。いつものやわらかな微笑みも影を潜めていた。


 きっかけは、リゼットの妹のミシェルから手紙が届いたことだった。

 公爵家に嫁いで来る前のリゼットの婚約解消騒動については、アルベールも知っていた。

 ……本当のことを言うと、結婚した当時はリゼットにも社交界の噂にも興味がなく、ろくに事情を知らなかったのだが、後にセバスチャンに命じて情報を集めたのだ。


 ルシアンとの婚約。ルシアンとミシェルの浮気。そして婚約の解消。

 元婚約者と妹の身勝手さに腹が立ったが、そのおかげでリゼットは今こうしてアルベールの妻になっているのだと思うと、なんとも複雑な気持ちになった。


 そのルシアンとミシェルの恋の盛り上がりは、婚約者を交替した頃に最高潮を迎えたものの、すでに雲行きが怪しくなっているらしい。

 どうやらミシェルは惚れっぽい性格らしく、夜会などで見目の良い若い男性を見ると、ルシアンがいるのも構わず気軽に話しかけに行ってしまう。

 やめるようにルシアンが言えば、


「わたしは色んな人と仲良くなりたいだけなのに、ルシアンたら心が狭いのね」


 と口を尖らせる。その態度にまたルシアンが不満を募らせる。 

 そんなことが繰り返され、二人の関係は早くも冷えかけていると、社交界で噂になっているそうだ。


 妹と元婚約者の関係がどうなろうと、アルベールの知ったことではない。ただ、リゼットにいらぬちょっかいをかけてくることさえなければ。

 そう思っていた矢先に届いた、ミシェルからの手紙だった。


「憂鬱になってしまうのは私自身の問題。それは分かっているのだけど……」


 独り言のようなリゼットの話に、静かに耳を傾ける。

 聞きながら改めて、リゼットを傷つけたルシアンとミシェルに怒りが込み上げた。

 それだけではない。リゼットの両親や兄に対しても、苛立ちを覚えずにはいられなかった。


(なぜ、家族の誰も妹の愚行を咎めなかったんだ。なぜ、リゼットに寄り添ってやらなかったんだ……)


 怒りに全身の毛が逆立つ。「シャーッ!」とやり場のない感情を吐き出してから、アルベールは、すり、とリゼットの手の甲に頭を擦りつけた。こんな慰め方しかできない自分を不甲斐なく思いながら、何度も、何度も。


 リゼットの瞳から、涙がこぼれ落ちる。


「ありがとう、アル……。私のために怒ってくれて。慰めてくれて……」


(……いや……本当は、俺に彼らを責める資格なんかない。リゼットに寄り添おうとしなかったのは俺も同じだ。夫婦になったのに、自分のことばかりで……)


 それなのにリゼットは、「今日はありがとう」と微笑み、黒猫の額にキスをしてくれた。

 その感触は、温かいのに切なくて。

 このままリゼットを一人にしたくなくて。

 何よりもアルベール自身がリゼットと離れたくなくて。

 その晩、黒猫は初めてリゼットと同衾したのだった。





 リゼットのしなやかな腕に抱きしめられて、一つのベッドに潜り込む。

 それは本当に幸せで、同時に苦行でもあった。


 薄い夜着越しに感じる、やわらかな体温と穏やかな鼓動。

 ドキドキと心臓が忙しなくて、とても眠るどころではない。

 いや、眠るわけにはいかないのだ。夜が明ける前に、黒猫の姿でいるうちに、自分の部屋に戻らなければならないのだから。


 リゼットが寝息をたて始めたのを確認し、そろりと腕の中から抜け出した。

 すると眠っているはずのリゼットの手が、黒猫を探してシーツの上を彷徨う。

 触れる位置まで戻り、すり、と頭を擦りつけると、リゼットの手は黒猫の背をひと撫でする。それから安心したようにまた動かなくなった。


 眠る口元には、ふわりと微笑みが浮かんでいる。

 その寝顔から目が離せなくて、そばを離れがたくて。

 リゼットの匂いと温もりに浸りながら、アルベールはただひたすらに愛しい人の寝顔を見つめ続けた。


 どのくらいの時間が経ったのか。

 窓の外が白みかけていることに気づいたときにはもう手遅れだった。

 にわかに黒猫の体が鈍い光に包まれ、輪郭が歪む。その次の瞬間には人間の体に戻っていた。


(やってしまった……)


 落ち込んだのはほんの一瞬。


(少しだけ、君に触れることを許してほしい……)


 そろそろと手をのばし、薄茶の髪に触れる。

 柔らかな手触りに、胸の奥が震えた。

 起こしてしまわないよう、アルベールはそっとリゼットの頭を撫でる。


(リゼット、可愛い、リゼット……)


 その温かな頭を撫でるごとに、愛おしさがこみ上げる。黒猫を撫でるときのリゼットもこんな気持ちだったのだろうかと、ふと思った。


 リゼットを愛している。

 アルベールはいまやはっきりと自分の気持ちを自覚していた。

 そしてリゼットに愛されたい、とも。

 黒猫のときだけでなく、人の姿でいるときも。妻と夫として――。


「ん……。だんなさま……?」


 不意にリゼットが薄目を開け、アルベールは固まった。

 どう誤魔化したものかと焦るが、頭が真っ白で何も考えが浮かばない。


 そうこうしている間にリゼットは「黒猫のアルが、アルベールそっくりの人間に姿を変えた夢」を見ていると思い込んだようだった。

 ほっと胸を撫でおろすと同時に、少しだけ気持ちが萎んだ。


(夢、か……そう思うのも無理はない。猫が人の姿になるなんて、荒唐無稽な話なのだから。その逆だって……)


 頭を撫でると、リゼットはうっとりと目を閉じた。

 愛おしさに涙が出そうになる。


「すまない、リゼット。君の夫は腰抜けだ……」


 早く本当のことを打ち明けなければ。

 気持ちは焦るのに、どうしても臆病な心が前に出てきてしまう。

 愛してしまったからこそ、拒絶が恐ろしくてたまらない。


「どうかもう少しだけ待っていてほしい……」


 その弱気な判断を、後にアルベールは心の底から悔やむことになる。

たぶんあと1話で終わります。最後は甘々の予定なので、引き続きお付き合い頂けると嬉しいです!

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