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12 誓いのキスをもう一度

「……つまり、黒猫のアルは旦那様で、旦那様が黒猫のアルだったというわけですか……?」


 アルベールの説明を一通り聞き終えたリゼットは、いまだ混乱した頭で尋ねた。


「そういうことに、なる……」


 リゼットから少しだけ視線を逸らし、アルベールがうなずく。




 あの後、悲鳴を聞いて駆けつけたセバスチャン達使用人は、シーツを体に巻き付けたアルベールの姿に目を瞠った。


「旦那様、そ、そのお姿は!?」

「もしや呪いが解けたのでございますか!?」


 セバスチャンもマーサもアルベールに駆け寄り、涙を流して喜んだ。

 やがて、ぽかんと呆けて成り行きを見守るリゼットに気付いたセバスチャンが、裸にシーツ姿のアルベールを大慌てで部屋から連れ出した。


 まもなく呼びに来たマーサの案内でアルベールの部屋にやって来たリゼットは、きちんと身なりを整えたアルベールと、ソファで向かい合っていた。

 二人の間のローテーブルでは、温かいハーブティーが湯気を立てている。


 打ち明け話によれば、アルベールは生まれつき、夜の間だけ猫になってしまう呪いにかかっていたのだという。


「王家の男子に時折現れるんだ。大昔に受けた魔女の呪いと伝えられているが、呪いを解く方法は分かっていなくて……」


 それはごく限られた者だけが知る王家の秘密。

 公爵家の使用人には、秘密を守ることのできる忠義者だけが集められている。彼らはアルベールが幼い頃から、その秘密ごとアルベールを守ってきたのだという。


「では、旦那様が夜会に参加されなかったのは……」

「夜は猫になってしまうからな」

「昼間、仕事でお忙しくされていたのも、人でいられる時間が限られていたからなんですね?」

「そういうことだ」

「なるほど……」


 いろいろなことが腑に落ち、リゼットはうなずいた。

 日が暮れてからアルベールの姿を見ることがなかった理由。

 屋敷の中にいる、と言ったセバスチャンの言葉も真実だったのだ。

 ただ、分からないことが一つあった。


「なぜ突然、人の姿に戻れたのでしょう?」

「それは俺にもさっぱり……」


 二人して首を傾げていると、「僭越ながら」とセバスチャンが口を挟んだ。


「旦那様が奥様の唇をお舐めになったからではないでしょうか。古来より、呪いを解くのは愛する者のキスと相場が決まっておりますゆえ」

「あ、愛する者のキス……!?」

「あとはお二人でよくお話になられて下さいませ。それでは私どもはこれで」


 そう言うと、セバスチャンは使用人達を引き連れて部屋を出ていく。

 あとには、頬を染めて顔を見合わせるリゼットとアルベールだけが残された。


「その……」


 しばしの沈黙の後、先に口を開いたのはアルベールだった。


「本当にすまなかった。はじめから君に本当のことを話していれば……。こんな呪われた身で他人とちゃんとした関係を築くことなど、できるはずがないと思っていたんだ」

「それで、『愛することはできない』と?」


 アルベールがうなずく。


「だが君の様子が気になって、こっそり猫の姿で……」


 初夜の晩、黒猫がバルコニーにいたのはそういうわけだったらしい。

 本当はリゼットに見つかる前に引き揚げるつもりだったのだという。


「君のそばにいるのが心地良くて、結局毎晩君の部屋に通ってしまった……」


 アルベールはリゼットの傍らに跪き、恭しくその右手を取った。


「リゼット、もし許されるなら、あの最低な言葉を撤回させてほしい。君を愛することを許してもらえないだろうか……」


 美しい金色の瞳に切なく見つめられ、リゼットは魅入られたように言葉を失ってしまう。

 無言のままでいるリゼットに、アルベールが寂しげな微笑みを浮かべた。


「……すまない、忘れてくれ。こんな呪われた身で、君に愛されたいなどと……」

「いえ!」


 リゼットは慌てて首を横に振る。


「違うんです。驚いてしまって……。愛するだなんて、誰にも言われたことがなかったから……」


 リゼットは微笑んだ。


「とても……とても嬉しいです」

「本当に?」


 アルベールの整った顔が喜びに輝く。


「猫になってしまうような男でも?」

「ふふ、私がどれだけ黒猫のアルを愛していたか、旦那様はご存知でしょう?」

「そうだな、それはもう身をもって……」


 言いかけて、アルベールは口を噤んだ。その顔がじわじわと朱に染まっていく。

 リゼットもまた、黒猫のアルとのあれこれを思い出して顔色を変えた。

 薄い夜着姿で膝に乗せ、全身を撫でまわし、頬ずりし、お腹に顔を埋めてスーハーし……。


「あ、あの、私、旦那様にとんでもないことを……」

「いや……」


 アルベールが真っ赤な顔を両手で覆う。


「死ぬほど恥ずかしかったが、君が喜ぶなら、と……。それに、その、嫌ではなかったというか……」


 その上、ここ数日は夜も抱いて眠って……。

 そこまで考えて、リゼットはハッとした。


「えっ。もしかして、あれは夢ではなかったのですか!?」


 初めて黒猫を抱いて眠った夜に見た、黒猫がアルベールそっくりの姿になり、リゼットの頭を撫で、愛を囁く夢。

 思い出しただけで頬に熱が集まっていく。


「……君の寝顔があまりにも可愛くて……離れがたくてぐずぐずしているうちに夜が明けてしまって……。君が目を開けたときには本当に焦った。……あっ、だが誓って頭を撫でただけだし、あの日以外は猫のうちに自分の部屋に戻ったから!」


 アルベールが真っ赤な顔で弁解する。

 リゼットは小さく微笑んだ。


「ここ数日、旦那様が寝不足だったのはそういうわけだったんですね……。これからは朝までゆっくり休んで下さいませ。もう、夜明けまでにこっそり戻る必要などないのですから」


 そう言うと、アルベールが目を瞠った。


「……それは、これからも一緒に寝てもいいということ?」

「えっ、あっ、それは、その……」


 つい黒猫を抱いて寝るつもりで言ってしまったが、もうアルベールは猫ではないのだ。

 アルベールが期待に満ちた目でリゼットを見上げてくる。その表情は黒猫のアルにそっくりで、リゼットに抗えるはずもなく……。


「……はい」

「ありがとう、リゼット!」


 アルベールが目を輝かせ、リゼットの隣に腰掛けた。

 真っ赤な顔でうつむくリゼットの両手を、アルベールの大きな手が包み込む。


「リゼット、ずっと君だけを愛すると誓うよ。俺と、本当の夫婦になってほしい」


 アルベールを見上げると、愛おしげに細められた金の瞳と視線が絡んだ。


「はい、私もずっと旦那様を愛すると誓います」

「……誓いのキスをやり直してもいい?」


 微笑んでうなずくと、頬にアルベールの手が添えられた。美しい顔が近づいてくる。

 リゼットはそっと目を閉じ、幸せな気持ちでアルベールの唇を受け入れた。

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