97 散策と視察
広場沿いの通りでは、街路樹であるコデマリが花の時期を迎え、心地よい風に甘い香りを乗せている。
飯屋をあとにした三人と一匹は、予定どおりに店先や屋台を覗きながら散策を楽しみ――果物を売る屋台で、ルークはリンゴ数個とマスカットを二房買い求めた。
「相棒のおやつでしょうか?」
ロズの問いに、そうだと答えながらも、ルークはマスカットを紙袋から一房取り出して粒をもぎ、エルーシアの口もとへ近づけた。
戸惑いから足を止めたエルーシアが見上げると、同じく止まったルークの心配げな視線とぶつかる。
「これはエルの分だ。魔力切れから目覚めたら食欲はあるはずなのに、飯屋での食事は少なかったんだ。あれだけじゃ足りないだろ」
これまでの経験と周囲を観察した結果、導き出されたことである。ジェイも、食欲旺盛だった――ロズは昏睡から目覚めたときスープしか飲んでいないが、あれは魔力切れではなく、治療で昏睡していたから別だと。
食が細くなる理由はクロードから聞いてはいるが、長い昏睡から起きたばかりなのに少ないから、また気を失うんじゃないかと心配しているのだ。
「あっ、追加で何か頼むべきでしたか?口に合いませんでしたか?すいません」
「いえ。あの……味も量も十分で――!」
ロズも食欲に思い当たる節があるのか、気づかなかったことを謝り始め、エルーシアが訂正するように答えていると、程よい甘味と酸味のマスカットが口内に転がった。甘い香りが広がる中で見上げれば、ルークは口角を上げている。
「食欲がないときでも食べられるくらい、果物は好物だろ。それとも、リンゴを切ったほうがいいか?」
「お気持ちは嬉しいですし、マスカットは好きですが、人目もありますので――!」
人混みはないが往来はある。そんな場での突然のことに、エルーシアは耳を赤らめて断りを入れるが、二つ目が口に入り、ルークの手は三つ目の粒もつまむ。
果汁で手が汚れるから、気にしないで食べてほしいと。
頬まで赤くなるエルーシアと、体調のために食べてほしいルークに、どう声をかけていいか分からなくなったロズは、近くにある店先を興味がある風を装って眺め――クルルが黒い仮面をぐいっとルークに近づけた。
威嚇でも、焼き餅でもない。ピルルルと小さく鳴き、ねだっている。飲めなかったワインの代わりか。
ルークはロズにも食べるか声をかけ、無言で首を振る返事をもらうと、五つほどをもいで、残りをクルルに渡す――それは、素早くマントの中へと消えた。
もいで手のひらに乗る粒が、歩みを再開してもエルーシアの口に入るが、跳ねて騒ぐ鼓動に断り文句なんて探せるはずもなく、なすがままに受け入れた。
※ ※ ※ ※
気になる品をちょこちょこ眺めながら暫く歩き、広場沿いから逸れた歩道を進むと、暖かみのある赤や黄色、茶色など色とりどりのレンガを積んだ、三階建ての頑丈な造りの孤児院の横手に出た。
大きな建物と、低い生け垣に囲まれた裏庭が見渡せる場所であり、エルーシアは辺りを観察し、ルークとロズも続いた。
庭の芝では数人の子が輪になって座り、数え歌を口ずさみながらボールを転がして遊んでいる。人の子も獣人の子も、抑制の腕輪を着けている子も着けていない子も一緒だ。
エルーシアは生け垣に歩を進めると、遊んでいる子たちへ声をかけた――学校での話を尋ねたいと呼ぶ。初等学校へ通っている年ごろに見えるからだろう。
皆が近寄ると生け垣越しに、学校で何を学んでいるか、学生たちは皆が仲良しか、通学は楽しいかなど、当たり障りのない質問をし、返される言葉に優しく微笑む。
最後に、孤児院へ寄付を考えているが、何か足りないものはあるかと尋ね――その質問に、子供たちは満面の笑みで、学校にあるような遊具が欲しいと希望を口にする。
「あら、大きな物を欲しがるのね」
「だって、ここには小さなブランコしかないのよ」
「僕は滑り台のほうが好き」
「私も滑り台がいい」
「そう、希望は滑り台ね。考えておくわ」
話に付き合ってくれた礼を伝えて、エルーシアはルークとロズへと振り返り、広場に戻ろうと告げる。
お忍びなので、もとから建物に入る予定はないが、孤児院の視察はこれで終わりのようである。
「あのやり取りだけで、何か分かるのか?」
不思議でルークが問い、ロズも同じくと頷き、エルーシアは判断したことを説明する。
生け垣や芝がきれいに整っているから、建物の内部も手入れは行き届いている。人種に関係なく同じように遊び、笑顔で返事をしていたから、孤児院や学校で差別はなく、寄付の希望を聞いて、食事や衣服など小さな物を欲しがるのではなく、皆で遊ぶ遊具が一番に口から出るなら、日々の生活も足りているだろうと。
「ウィノラが孤児院の運営を手伝っているので、この地ではあまり心配はしていないんですが、王都に次いで孤児の多い街ですから、不安の種はありますね。今日はその確認だけです」
「ジェイさんの奥様は、辺境伯の姫君で男爵の奥様なのに、手伝いをしてるんでしょうか?」
貴族の女性が、寄付などで孤児院を訪れることはよくあるが、直接手伝うことはない。
だがウィノラは、この街が孤児であふれていたのを幼いころに見て、リバーシの利益金で改善されていくのも見ている。孤児たちが笑顔を取り戻すのを間近で見てきたのだ。
だから、足が不自由になったとき、修道女への道を選んだ。改善されていく孤児院の助けになりたくて。
多くはないが、貴族の令嬢が家を出て修道女になることはある。家が没落したり、縁談が決まらないなど不名誉な理由が多いが。
「ウィノラは足を悪くして、家に迷惑をかけないため、修道女に必要な学びを受けたんです。結婚して修道女にはなりませんでしたが、手伝いは続けていますよ。ジェイも応援してますから」
「……歩けないって伺いました。それでも手伝うなんて、凄いですね」
「リハビリを続けて、少し歩けるようになりましたよ。強さと優しさを持った、素敵な親友です」
大好きな親友の話題にエルーシアは頬を緩めるが、ルークは不可解で眉間にシワを寄せた――エルーシアの秘密を知る者たちの中に、ウィノラの名はなかったはずだ。
「幼いころからの付き合いで親友なのに、転生者なのは教えてないのか?」
「親友だからです。カティには話してしまいましたが、この秘密は……破れない誓約を交わすことになりますから」
打ち明けない理由は、カティと喧嘩をした経験があるからだが、もう一つある。デルミーラがカティに誓約を迫ったからだ――まだカティも未成年で、深く考えずに誓約を交わしたが、友人間で破れない誓約を持ち出すのは、信頼関係の亀裂のもとである。
「あいつなら、成人してても深く考えそうにないぞ」
「ルークさん、不敬になりますよ。他国の神子様です」
「カティは、難しいことや深く考えることは苦手ですが、色々と考えていますよ。だから、リゲルへ移ったんです。この先、リゲルの孤児院も……国も改善されますよ」
エルーシアは再び孤児院の裏庭へと視線を向け、芝の上で駆けっこを始め、はしゃぐ声をあげる子供たちを眺める。
支援が手厚すぎると、預けられる子が増え、妬む者も出てくる。贅沢はさせてあげられないが、満足できる環境は整えたいと――人の子も獣人の子も関係なく、この場にはいないが半獣人の子もいれば同じように、男の子も女の子も差はなく、皆が希望を持って育つことを望む。
※ ※ ※ ※
広場へ戻るのに、どうせなら孤児院の正面も確認しようと、ぐるりと外周を通り、来たのとは別の路地を三人と一匹は進み――広場へはまだ先があるのに、ルークは異音を拾って二人の足を止めた。
「この先から数人の騒ぐ声が聞こえるぞ、迂回するか?誰かが絡まれているようだ」
ルークは半獣人だ。同じく絡まれて巻き込まれる可能性があり、エルーシアに被害が及ぶ可能性も大きい。しかしロズは、急いで先に進もうと返す――騎士服を着ているのだ。騒ぎがあるなら、収束させたりと務めがある。
エルーシアも同意だと頷くと、先に向かうためロズは走り出した。今日のエルーシアはワンピース姿で速く走れないからだ。
「エルを危険にさらしたくないが、本当に行くのか?」
「武器も攻撃魔法も大丈夫です。魔法を発動するより先に、魔力酔いさせますよ」
微笑むエルーシアに、ルークは反論できない。瞬時に魔力酔いさせるのを目撃しているから。なので腕を取り、足早に進みながら確認する――魔力酔いすると魔法は扱えないのか。
酔うと魔力は掴みにくくなり、制御できずに魔法は不発するとの返答に苦笑いするが、直後に目を鋭く変えた。
「厄介だな。ロズが到着したが、絡んでいるのは騎士みたいだ」
「急ぎましょ」
二人と一匹が到着したとき、ロズは背中に絡まれていた者を庇い、三人の騎士と睨み合っていた。壁とロズの間で座り込んで震えているのは、隊の女性雑務員だ。
それに気づき、エルーシアはさりげなく手のひらを騎士たちに向け、冷たく微笑む。
「治安を守る騎士が、女性に無理を強いているのですか?」
「おっ、可愛い子が増えたぞ。おい、獣くずれ。彼女を置いて、そのマント姿の奴と消えろよ」
「私たちは、無理は言ってないですよ。親切に道案内をしたから、礼を求めてるだけです。あなたも案内しますよ」
「女性好みの素敵な宿があるんです。騎士ですから、半獣人より優しいですよ。お茶を飲みませんか?」
にやりと笑う騎士たちの勝手な言い分に、ルークは顔を険しくしてエルーシアを背に庇おうとするが、袖を引かれた――大丈夫だと告げるように。
そして、三人の騎士が膝から崩れ落ちる。冒険者ギルドのときと同じだ。
「意識があるうちに忠告いたします。その騎士は、神子の騎士隊の者ですよ。そうは見えませんが、深緑のピンバッジの意味を知らないほど、新人ですか?」
座り込んだ騎士たちは、青白くなった顔でロズを見上げる。魔力酔いで、襟のピンバッジを確認できるかは不明だが。
何が起こったか理解しているロズは、もう大丈夫だと声をかけ、雑務員へ手を差し伸べて立たせると、三人の騎士をきつく睨む。
「あと、この女性も騎士隊の者です。このことは隊長に報告しますので、昏睡から目覚めたときは覚悟してください。あなたたち三人は、か弱い女性に絡んだだけでなく、神子の遠征を邪魔したんです」
三人の騎士をその場に残し、すぐそこにある広場へと皆で移動してベンチに雑務員を座らせ、エルーシアは怪我の有無を尋ね――大丈夫だと返されるが、恐怖から胸を押さえる手の、袖から覗く手首が強く掴まれたのか赤くなっている。
ロズはルークの肩に寄りかかると、大きくため息をついた。本当は怖かったと顔を青くさせる。
「あとから皆が来るのが分かってるから、なんとか頑張れました」
「威厳ある騎士だったぞ」
「ありがとうございます。自分は、近くを歩いてる騎士を呼んできます。あの三人も、このままにはできませんから」
辺りを見まわしてロズは駆け出し、ルークはエルーシアに顔を向けると、護衛として何もできなかったことを口にする。不甲斐ないと――だがエルーシアは否定する。
「いつも守ってもらってますよ。騎士の揉め事なんて、首を突っ込まなくていいんです」
「あの……私も、手をわずらわせてしまい、申し訳ありません。助けていただき、ありがとうございます」
雑務員も気が落ち着いてきたようで、エルーシアは優しく手首に触れて治癒魔法をかけ、ほかに怪我はないかと再び尋ねる――気が動転しているときは、気づかないこともあるからだ。
雑務員は礼を述べ、怪我はほかにないことと、勝手に外出したことも謝罪する。クロードには外出前に告げたらしいが、エルーシアはすでに城を出たあとで伝わっていない。
「私も外出してますし、城では雑務もないですよね?余暇をとっても咎めませんよ。でも、不慣れな街での一人歩きは控えたほうがいいですね」
「ああ。今回はロズが駆け出したから助かったが、身を守る術がないなら気をつけたほうがいい」
「いいえ。攻撃魔法は扱えますが、たこ……問題を起こすことを危惧しました。まさか案内を頼んだ騎士に絡まれるなんて思ってなかったもので……危機感が足りませんでした、すみません」
本来なら騎士を相手にそんな警戒は必要ないのに、灰色の瞳を申し訳ないと伏せるので、エルーシアは労わるように背中を撫で、ほかに問題が起こらないようにとルークとクルルが警戒する中、数人の騎士が駆けつけ、ロズを残して脇の路地へと入っていった――何があったのかは説明済みなのだろう。
戻るときに購入したようで、ロズの手には屋台で売っているハーブ水の竹筒があり、皆に配ると芝の上に腰を下ろして喉を潤し、走りまわってかいた汗を拭う。
三人も竹筒の栓をはずし、気を落ち着けてくれそうな爽やかな香りを口に含んだ。
設定小話
ルークは忠誠しましたからね。隠すつもりもないですからね
何かに気づいて、与えることができるなら、行動に移します
機会は逃しません。多くを与えられてますので……




