89 自国と他国とお嬢
戻ってこない母親を待ち、箱小屋の裏の林になっている果実を摘んで腹を満たし、日が暮れたら、小屋の片隅にできた枯れ葉の山に埋もれて休む。
三日か四日経ったころ、通りかかった行商の男性に保護されて、この行商人の目的地である町へ連れられ、そこの孤児院に預けられた。所持品は何もなかったが、町に着いたときに食べさせてもらったパイとミルクのスープが美味かった。
夕食の席で、五歳で保護されたときの詳細をクロードに尋ねられ、当時を思い出しながらルークが答えると、場にいる皆の手が止まった。聞き耳を立てていたらしい。
配慮が足りなかったとクロードが謝罪するので、とくに隠していることじゃないと返す。
「知の副隊長が、その保護した行商人の情報を掴みました。それで確認を頼まれましたが、互いの言い分に違いはないようなので本人でしょう」
「見つかったのか。会えるなら礼を伝えたいな」
「サイフ公国の者で、今は行商を辞めて、国で干物の店を構えているそうですよ。あとで所在地をメモにして渡します」
孤児院の書類管理がずさんで時間がかかったとこぼし、クロードはフォークを握る手を動かす。
夕食は昼に食べたメニューに加え、エビのキッシュやビーフスープなど新たな品もあり、ルークも飽きることなく食を進め、同じテーブルにいるロズも、一度止めた手を再び動かし始めた。
「このキッシュのエビは美味いな」
「街の名物なんですよ。食堂や屋台でもこのエビのメニューは多くて、よく食べてました」
「この近郊にある湖に生息しているエビです。エルーシアが好きなので、このキッシュは毎年出してもらって……起きたら、またつくってもらいましょう」
昏睡するエルーシアから離れないと告げていたクロードが食堂に現れ、ルークはすぐさま疑問を投げた。一人残してきたのか、クルルが目を覚ましたのか。
しかし、返ってきた説明は、どちらでもなかった。女性雑務員とウィノラの侍女が、寝衣を替えていると――たぶん体も拭いているのだろう。父親のように接していても、さすがに部屋に残るわけにはいかない。
「さっきの話ですが、五つで所持品がなくて、誕生日は不確かなのに、秋生まれって分かっているのはなんでですか?」
「誕生日を祝う料理のソースのために、森でリンゴンベリーを摘んだんだ。秋に実る果実だから秋生まれってのは知っているが、月日までは覚えていない」
キッシュのおかわりを皿に取りながら交わすルークとロズの会話に、クロードは息をのみ、また手を止めた。
「ルークは、ベラトリの生まれではないですね」
「あ?生まれじゃないのに、捨てるためにわざわざベラトリを選んだってことか」
「ベラトリは一番差別が激しい国ですよ」
「他国の差別への知識が足りなかったとしたら?小さな村育ちならあり得ますよ。単純に、獣人や半獣人の多い国だからと選んだ可能性はあります」
「何を根拠に、他国の出身だと言い出すんだ」
クロードは真剣な顔で、リンゴンベリーだと指摘する。アルニラムの王都より南の気候でしか育たない果樹だから、大陸北東に位置する、ベラトリの森に自生しているはずがない。
母親に捨てられる前にルークが住んでいたのは、アルニラムの南側か、サイフかリゲルだ。
「待て。ベラトリでも、リンゴンベリーは食べていたぞ」
「アルニラムから毎年輸出していますからね。当然、店に並びますよ」
「それを調べたら、出身国を変えることは可能なんでしょうか?」
前のめりで尋ねるロズに対してクロードは頷き、ルークに顔を向け、すべて上手くいくと笑みを見せる。
そのあとは急いで夕食をとりながら、正規隊員になる前の確認事項があるからとロズを明日の昼食に誘い、宿舎の決め事も伝えるからとルークも同席するよう告げ、冒険者ギルドへ寄る予定のベナットにメモを渡して買い物の代行を頼み、隊の皆には、いつもどおりに休暇を楽しむよう伝えて食堂をあとにした。
「やっぱり、いつも何かを同時にしているな」
「忙しそうにしているときが多いですよね」
「デルミーラ様に、長年こき使われていた。体に染み付いているから、気にするな」
隣のテーブルで料理を堪能しながらベナットが告げ、ほかの騎士たちも頷き同意する。
食堂内で、最上の神子に会ったことがないのは二人だけ。ロズは同情するように眉を下げたが、ルークは口角を上げた――愛しい人の望みなら、受け入れる。
※ ※ ※ ※
この日の魔力上げは、城の敷地にある施設、訓練場で行った。ベナットが昼にクルルと過ごしていた場所である。
ルークと連れ立って移動するのは、ベナットとロズ。クルルを片腕で担いでいたベナットなら、魔力切れを起こしたルークを担ぐのも問題ないだろうが、いつものようにロズもついてきた。
昨夜よりさらに欠けたであろう金色の月はまだ昇る気配はなく、青白い月も同じ。青い月の満ち欠けは早い、三日後には新月となって完全に姿を隠すだろう。
頼りない星の明かりしかない中、ランタンを照らして歩く三人――ベナットは無表情のまま、ロズは何かを考えて顎を撫で、ルークは下げたランタンを見ていたが、視線をベナットに向ける。
「エルをお嬢と呼ぶ理由を尋ねてもいいのか?」
ベナットは頷く――城の玄関扉を閉めたあと、質問があれば受け付けると告げたから。
連絡板のやり取りで、二人の情報はある程度知っていた。さらに、クロードから直接伝えられた情報と、この数日見てきた人となりで、多くのことを教えようと判断したのだ。
しかし、いつもなら質問が次々と飛び出すであろうロズは、まだ出会って四日目の上司であり、これから武の指南を受ける相手であるベナットへの質問は難しかったのか悩み始め、先にルークが口を開いた。
名を呼ばれることを悩んでいたエルーシア。だからエルと呼ばせてほしいと頼んだが、それよりも前から、ベナットは名を呼んでいない――長い付き合いのある副隊長が許可されてないとは考えられないのに。それはなぜか、ルークは不思議に思っていた。
「お嬢が入学する前、自分とクロード隊長は、第二騎士団の所属だった。第二は王都内の治安維持を担い、担当区域の巡回や犯罪の取り締まり、外壁の警備などを交代で行っている」
ロズは知っていることだが、ルークがどこまで知っているのかは不明であり、ベナットは第二騎士団の任務の内容から話し始め、唯一の王都勤務である獣人として、自身は第二所属だが、特別任務をしていたとも追加する。
そして説明は、騎士隊の王都での任務へと移る――遠征時のように、十二人が毎日神子の護衛をするわけではない。シフトを決めて交代で行い、護衛のない日は所属部署の任務に向かうと。
エルーシアが幼いころ、クロードはお世話係として、毎日のように神子の館に顔を出していたが、一日中いるわけではない。
だから、ベナットは休日を神子の館で過ごす日が多かった。
「幼いお嬢に懐かれて、よくデルミーラ様に呼び出された。身体強化魔法の研究を始めてからは、休日はいつも館にいた……だが、それでお嬢を傷つけた」
意味を理解できずにルークとロズが視線を向ける中、ベナットは感情を見せることなく言葉を続ける。
騎士隊はあくまで護衛騎士であり、子守ではないので、出先でデルミーラから離れることはない。治療院や街中へ赴いたとき、連れてきたエルーシアの側にいるのは、休日のクロードかベナット――それで誤解が生じた。
まだ、デルミーラが孤児を引き取ったと知らない者が多くいたころ、その子を可愛がっていると知られていないころ、獣人のベナットが連れて歩くのをよく目撃され、娘だと勘違いされた――ワンピースは、簡単に尻尾を隠せるから。
それで二人で歩いているときに、石礫が飛んできたり、火球が脇をかすって笑い声があがったりした。獣人と半獣人を差別して。
「自分は、獣人の身で隊に入り、王都勤務に異動したから、妬まれることが多かった。それで、お嬢も一緒に攻撃を受けた」
「エルも攻撃されたのか!」
「街中で攻撃されるなんて、巡回している騎士は何をしてるんですか」
「その騎士たちが、攻撃をしかけた。獣風情が、同じ制服を着ているのが、許せなくて」
ルークは息をのむ。マシだと思っていたアルニラムでも、こんな差別があったのかと――ロズも同じく思う。身体強化魔法が教科書を変える前は、まだ学生で、知らないことが多すぎた。
「第三騎士団では、もう少し過ごしやすかったが、王都勤務の騎士は、貴族とつながる者が多く、自尊心の高い者も多い……だから、お嬢と呼ぶように変えた。自身の子を、そう呼ぶ者はいない」
「攻撃した騎士たちはどうなったんだ、まだ野放しか」
険しい瞳で問うルークは、どうにかしたいと考えているのだろう、それでベナットは首を振る――罪にならないはずがない、貴族の子息やどんな縁があろうと関係ない。デルミーラの怒りを買ったのだ。
「デルミーラ様は、その者たちを退役処分に追い込んで、王都への出入りを禁じ、何度もそれが繰り返されて、表立った攻撃をする者は減った。それに、お嬢は自身が攻撃されたことより、獣人への差別で心を痛めた。だから、差別での攻撃を禁じるよう、陛下に圧力もかけた」
「えっ、陛下へ圧力ですか?」
王国の最たる場所に座るのは、国王陛下だ。しかし陛下には息子が三人いて、兄もいる――倒れたり、身に何かが起こっても次の世代がいる。が、アルニラムの神子は一人だけで、表向き、次世はいなかった。
アルニラムの世界樹に寄り添い、癒す神子は、気の強い男勝りなデルミーラ。
「愛する者がいると、弱くなるが、強くもなる。陛下にすら臆することがないから、最上と呼ばれたのだ」
「王に圧力をかけて、尽力か……想像するのも難しいな。いや、そういえばエルも、王が跪くって噂があったな」
「噂ではない、真実だ。自分は見てないが、クロード隊長は現場にいた」
訓練場の扉を開放しながら、さらりとベナットは告げる。いつも見せている無表情で、なんでもないことのように。
何があって跪いたのか。驚きで二人は目を見開くが、質問の時間は終わりである。
「夜間訓練を想定してないから暗いが、壁に火炎を当てるだけなら、問題ない。魔力切れまで放て」
ベナットの言葉で、ルークは左手をかかげ、訓練場の壁に向けて火炎を放つ。天井のない、ぐるりと丸く囲む三階建てほどの高さの壁へ。
火炎が当たって弾けた明かりで、一部の壁の色が異なることにロズは気がつき、思わず呟きがこぼれた。何があったんだろうと――どんな激しい訓練をした跡か、不思議で考える。
「ジェイだ。威力を抑える訓練で火炎を放ったが、逆に威力を増して、大穴をあけた。あそこだけ、クロード隊長が直した。自分は四大魔法を指南できないから、あれだけは無理だ」
呟きを拾ったらしくベナットが説明し、それをルークも拾い、目をぎらりと鋭く変える。そんな火炎を馬車に放ったのかと。
だが、ジェイに攻撃する気はすでになく、エルーシアを護衛する要の一員であり、仲間だと口にする頼もしい騎士だ。道中や国境で実力は見てきた、飛来する群れを一瞬で燃やす腕は簡単に真似できるものではない。
制御を確実に掴んでみせると、左手の魔力に集中する。魔力量は少ないが、威力は保っていると告げられているのだ。真似はできないが、操作力があれば近づけるかも知れない。
一日に放てるのは六発の火炎と小さな一発。一発一発に集中する。
昏睡状態のルークを背負い、ベナットと並んで城に戻る道で、ロズは質問を口にする――なぜ副隊長の二人は、宿舎に部屋がないのか。
知の副隊長は住まう公爵家の館が近くにあると教え、自身については、懐かしい日を思い返しつつ空を見上げて、結婚で居を移し、妻と子とともに暮らしていると答える。
設定小話
行商人の言い分→荷馬車に干物を積んで、ベラトリのあちこちの町を移動中、黒髪の半獣人の男の子を箱小屋で保護した。腹を空かせているようなので、子供の好きそうなパイとスープを食べさせたが、他国の者なので、そのまま孤児院に預けた。




