84 忠誠を誓う
土埃で視界は悪いが、深緑色の大柄な姿は目につきやすい。クルルを追ってルークは走る。
途中で第三の騎士にぶつかったり、紫の大蜥蜴の脇を通って、攻撃魔法がすぐ側で弾けたりするが気にせず、飛びかかってきた魔物は剣で払う。消滅したのかなんて確認はしない。足を止めずに、ただ追いかける。
瓦礫が広がる一角に辿り着くと、マントが落ちてはためき、仮面が重なり、槍も傍らに落ちている。
魔物が集まり続ける場をあの風貌でうろつけば、魔核の確認より先に攻撃されるはずだ。しかしマントが残されているなら、小さく身を変えたのか。
いまいち行動の読めない生き物だが、使い魔だ。意味のない行動でエルーシアに不安を与えることはないだろうと、ルークはマントを手に取り、大声で名を叫んだ。
かすかな鳴き声は届くが、討伐の音にかき消されて、どこから聞こえるのか見当がつかない。
腰を落として一面に広がる瓦礫に視線を巡らせ、ちらちら光るものを見つけて駆け寄り、剣を仕舞って瓦礫をかき分けると、わずかにできた空間で、紅栗鼠が光る何かを守るように抱えている。
「妖精を見つけたのか」
ピルピル鳴くクルルごと妖精も瓦礫の中から拾い、サイドポーチに入れる。中は念のためにと配られた外傷回復薬の缶だけだ、二匹が入ってもきつくはないだろう。
あとは仮面を拾って壁に戻ればいいと振り返り、抜刀する。
埃を被った五匹の白狼に囲まれている。雪原狼の群れだが、走りまわる騎士も壁の近くで配置につく騎士も、視界の悪さで気づいてはいない。
片膝をついて身を固定し、剣の刃を横に向けて息を深く吸い、襲いかかるのを待つ。
群れていても討伐できる戦技を手に入れたのだ、焦る必要はない。むしろ観察するように、冷静に睨む。
ロズの手を傷だらけにした魔物だ。すべてをここで、確実に仕留める。
唸る声を合図のように飛びかかった三匹を剣に炎をまとわせて横に払って斬り、その勢いのまま前に踏み込んで剣を返して一匹の首をはね、炎の消えた剣で残る一匹を突き刺す。
再び息を吸い込み、ちらちら燃えながら消滅し始めたのを確認して、ふと思いついて、マントを羽織ってフードを深く被り、転がり落ちる前に魔核を回収する。このままでは瓦礫に埋もれる。
仮面と槍も拾い、戻るために走るが、マントのお陰で使い魔と勘違いした騎士たちが避けてぶつからずに進み、途中で一人の騎士に魔核を五つ無言で渡す。
壁上に駆け上がって、手のひらに切り傷ができて血がにじんでいるのに気づく。瓦礫をかき分けるときに怪我をしたらしい。
作戦で魔力を多く使っているエルーシアの負担になりたくないと、二匹が縮こまるポーチから缶を取り出して薄く塗り、目を見開いて振り返る。
そして、缶を仕舞うためにポーチを覗き、見上げるクルルの瞳を見て、心に決める――守るだけでは足りない。
エルーシアは、ぽろりと失言している。クルルを自身の使い魔だと断言したが、使い魔になったのは八つのときだ。ならば、それより前に神子になっているはずだ。
神子に選ばれるには幼すぎるが、十四年経っても鋭利な角を残す堅固な砦を破壊する魔力と知識を持っているのだ。不思議ではない。
幼い身で、重責を背負わされたのだ――世界樹に。
出会って短いが、置かれた立場も少しずつ見えてきた。冷たく微笑んで感情を隠し、身分も年も関係なく、上に立つ者として毅然と振る舞わねばならない人。
絶対的な存在で王国の安全を背負い、多くの悩みも背負い、人目を避けて必死に耐えている。
何に悩んでいるのかは知らないが、つらいなら、悩みのもとを断てばいい。してあげられることが分からないなら、すべてを捧げればいいだけだ。
ルークは瞳に決意の光を灯すと、壁上に這い上がってきた蠍の魔物を剣で払って階段を下り、階段下にも蠍がいたので剣先で弾いて斬り、小屋へと向かい、剣を仕舞いながら深く息を吸い込んで、布をめくった。
「クルル!」
魔力の多くを使って疲れているはずなのに、馬車へこもらず待っていたようで、エルーシアは立ち上がって声をかけるが、すぐに眉をひそめて、怪訝そうに表情を曇らせた。
マント姿だが、尻尾を中に隠すクルルほどマントが膨らんでいないからで、続けて入るであろうもう一人の姿もないからだ。
マントを羽織ったままだったのを思い出したルークが脱ぐと、名を呼ばれたからか、ポーチからクルルが飛び出してエルーシアのもとに駆け、心配で昼食もとらずに待っていた皆は、一人と一匹の帰還に胸を撫で下ろす。
クロードが二人とも無事か尋ね、マントや槍を渡し、問題ないと一言を答え、防御の腕輪を入り口の脇にある木箱に落とす。
小屋に入ってからただ一点、エルーシアだけを見つめていたルークは、そのまま歩を進めて片膝をついた。
何度か決意の気持ちを言葉にしているが、伝わっている気がしない。なら、忠誠を誓うために膝をつこうと、行動に出たのだ。騎士ではないが、揺るがない忠誠心と想いを伝えられるはずだ。
ポーチに取り残された妖精を手に乗せ、差し出す。クルルがなぜベテルに駆け出したのか、皆の前で説明はできないが、これを見れば気づくだろう。
自身のもとを去った不安は、これで取り除かれるのだ。安心を与えることができる喜びで、尻尾が揺れる。
「助けてくれて、ありがとう」
呟いて手が伸ばされ、指先がかすかに重なり、癒しの魔力を感じる。妖精が輝きを増してふわりと跳ね――妖精をただの光としか見れないルークは、弱って逃げられなかったのだと理解する。そして、淡い瞳を見上げて、決意の言葉を心のままに告げる。
「命も心もすべてあんたのものだ。どんな危険からも守る。魔物からも、悪意からも。不安も悩みも取り払いたい、世界樹が押しつける重責をオレに支えさせてほしい」
妖精が羽ばたく光が映ってルークの瞳もちらちらと光る。捧げられた言葉と、星が瞬くような瞳にエルーシアが息をのむと、拍手が沸き起こった。
音に驚いたのか、妖精は素早く馬車の陰へと隠れ、クルルが続く。
「エルーシア様のご婚約だ!」
「ルーク、やるじゃないか」
「いつの間にそんな間柄になってたんだ」
「夕食はご馳走を用意してくれ、今夜は祝いだ!」
騎士たちが次々と叫ぶ言葉に、何か勘違いの嵐が起こっていると、エルーシアは一言、違いますと口にしてルークの手を引き、馬車に乗り込んだ。
付き合いの長い皆から誤解を消し去るより、突然の行動を諌めて説得が先だと判断して。
「忠誠心は嬉しいですが、ルークは護衛騎士じゃありません。奴隷紋からも差別からも解放しますから、もっと自身を大切にしてください」
手を握る柔らかな手に、もう片方の手を重ね、ルークは狭い馬車の床にまた片膝をつく。これ以外、心の内を伝える術は思いつかない。
「人の心もぬくもりも、あんたが与えたんだ。自身を大切にしろと言うのなら、その心に従う。命と想いのすべてをくれてやる」
「それは想い人へ捧げてください。自由を手にして、望む道を歩んで、幸せになってほしいんです」
エルーシアの告げる言葉に、ルークは口角を上げる――望む道は目の前にある。
「想い人へ捧げている。望むのは、あんたの無事と幸せだ。想いを向けても拒まれるのは理解しているし、すでに多くを与えられてるんだ、想いを返されるとは望んでいない。ただ、守らせてほしい。してあげられることは少ないが、感情を隠さずに微笑んでいてほしいんだ」
思ってもいなかった返しにエルーシアは固まり、首を振る。恋心ある者からの告白だが、どれだけ胸が跳ねて歓喜しようとも、受け入れるわけにはいかない。胸の内は隠し、拒む言葉を選ぶ道しかない。それがどれだけ苦痛であっても、そうしなければ、さらなる苦痛が待ち構えている。
「忘れてください。諦めて――」
「諦めが支配する世界を生きてきた。戻るつもりはない、戻れるとも思わない。あんたがオレの世界を変えたんだ」
「神子の生きる世界を知らないからです。策略にまみれて危険なんです。踏み込みすぎないでください」
「知っている、命を狙われるって聞いた。だが、側にいられるなら構わない。魔物や悪意から守り、悪夢で叫ぶ前に起こしたい。まだ理解できないが悩みもなくしたい。自身を殺したと悩むなら、新しく受け入れればいい。まだ名呼びを許されているなら、オレだけでも、エル――」
ルークの告げる言葉に、涙がこぼれる――前世の名は知らない。今世の名はエルーシア。出生証明に書かれた名付け親は母。心労で倒れた身で、考えてくれたであろう名。
腕を焼いたと知ってから、胸に生まれた悩み。前世の知識で炎を操ったなら、あのときに記憶を呼び覚ましたはずだ。
初めての昏睡から目覚めたとき、この身には前世の記憶しか残っていなかった。デルミーラたちの会話からわずかに思い出したが、数日後にあらゆる記憶を手放し、その後の二年間の記憶もない。
少しずつ重ねて増える経験と知識、夢に見て染み込んでくる知識と記憶、混ざり合った二つの世界の価値観に揺れる心は、幼いエルーシアとは異なる人格。
頭では理解している。前世の記憶があったから、危機を乗り越えられたと――しかし、揺れる土台で悩みの多い心は押し潰される。
要らない子だと虐待されたころの記憶は、殆どない。あの幼い人格を殺したんじゃないのかと悩み、殺したのに、恋しく想う気持ちも少ない母からもらった名で呼ばれていいのか、苦しくなる。
こぼれ落ちる涙を、ルークが手を伸ばして指先で優しく拭う。
「すまない。泣かせるつもりはなかったが、嫌ならやめよう」
首を振って否定する――嫌なはずがない。一目で恋に落ちた人が心を砕いてくれているのだ。惹かれることを拒めず、日々募らせた想いは、もう淡い恋心ではない。
諦めて秘めていたのに、想いを告げられている。だが、優しさと向けられる想いを受け入れることはできない、巻き込んではいけない。
エルーシアが必死に返す言葉を探して口を開いたとき、ノックの音が響き、重ねていた手を離してルークがノブを押し、クロードが笑顔を覗かせた。
手にエルーシアの分か、昼食の乗ったトレイがある。
「さすがに婚約は早すぎですよ、まだ何も準備は整っていません。貴族ではないのですから、まずは交際からお願いします」
「なんのことだ」
「婚約なんてしてません。皆で何を誤解しているの」
不可解だとクロードは眉をひそめ、交互に二人の顔を見る。狭い馬車の中でも、二人は先ほどと同じ体勢である。何が誤解なのか、理解が追いつかない。
展開は早いが、相手がルークなら歓迎であり、二つ三つの注意点だけ伝えようと思っていたのだ。
「ルークが片膝をついて、ありがとうと手を重ねたじゃないですか。命と心を捧げると愛まで告げているんです、求婚の受け入れ以外、思いつきませんよ?」
クロードの説明に、エルーシアは唇を小さく震わせる。そんなつもりはなかった。
「妖精が……皆に見えなくても、妖精がいたのよ」
「なぜ求婚になるんだ。無理やり想いを押しつけるつもりはない、守る忠誠を誓っただけだ」
「誰が見ても、忠誠ではなく、求婚です。想い合う二人ですから――」
「私は神子です。誰とも添うつもりはありません!」
潤んだ瞳で手を重ねていても、まだその段階かと、クロードはため息を小さくつき、ルークに視線を向ける。
「先ほどのが求婚ではないとしても、命と心を捧げる忠誠をするほど、ルークの想いは深いんですよね?」
想いの深さは否定できない。決意を皆の前で告げたのも、もう隠すつもりがないからだ。軽く流せる、隠せるような想いではない。
ルークが瞳に力を込めて同意すると、馬車から降りるよう頼み、一人残ったエルーシアに、昼食と回復薬が半分入ったビンの乗るトレイを押しつける。
「午後の作戦に響きますので、すべて食べて休んでください。時間になったら呼びます。それと、思い出してください、覚悟を決めた者の足掻き方を」
クロードは謎の笑みを浮かべると扉を閉め、エルーシアは息をのむ。長年、近くで見てきた。膝をついて、求婚し続けていた者を――去ったあとも、足掻き続けている。
設定小話
クルルはなぜ、妖精を連れて逃げなかったのか
怯え怖がる妖精を落ち着かせるのを優先したのか
基本的には小さな生き物です、思考は読めません




