82 相談できない
――神子の館の地下にある作業部屋は、薬草の貯蔵や加工、薬の開発をするために、通風口はあるが窓はなく、壁も分厚い。誰かの目や耳を気にせず、密談をするには最適な部屋だ。
デルミーラは遠征を控えて、クロードをそこへ呼び出し、自身の考えと待ち構えている運命を打ち明け、あることを懇願した。
「それを、私に受け入れろと言うつもりですか?」
「こんなこと、誰も頷かないだろう。この先も守り続けて――」
「あの子は、すでに私にとって娘です。頼まれなくても、すべての脅威から守りますよ」
問題はそこではないと、クロードの栗色の瞳は険しいものに変わる。愛しい人を見つめる目ではない。
「あなたの死を回避してください」
「これは決まった運命だ。回避できる夢じゃない」
神子になって二十年あまり、多くのお告げを見てきた。そして、年を重ねるごとに、なぜ世界樹が夢でお告げを与えるのか理解した。
神子に選ばれたときに初めて見た臨場感あふれる夢。何度も見る、あの悪夢はまだ訪れていない――世界樹は、あの悪夢を回避するために足掻いている。
夢のお告げは、一月後だったり十年後だったりと、年月にばらつきはあるが、つながっていた――夢で救出したエルーシアの思いつきでクロードは地質を学び、そのお陰でウィノラを救え、ウィノラがいたから、エルーシアは入学を早めて知識を深めることにつながり、カティと出会い、サイフの災害を防ぐのにも一役買った。
恋心まで世界樹が関わっているのかは不明だが、ジェイは惚れた心で決意を固めた。
些細だと気にかけていなかった風邪をひく夢で、クロードは土魔法の腕も磨き、護衛騎士として頼もしく成長し、多くの危機を乗り越えられた。
知らずに取りこぼした危機もあるが、訪れなかった危機もある。運命を変えてきたからだろう――変えられた運命は、蜘蛛の糸のように多岐につながっているのだ。
世界樹の知らせる危機は、前半と後半にある悪夢だが、エルーシアの救出の夢は前半だけ。一度だけ見た半分の夢も同じく、ただの前半で、後半ではないとデルミーラは判断した。
後半の悪夢ではない。訪れるなら、それはすでに決まった運命で、変えることはできない。
「どんな夢か聞いても?」
「聞いても、すでに決まったことだから、干渉はするなよ」
デルミーラは、壁に掛けた神子のローブに視線を向ける――昨年、エルーシアのローブが破れ、新調する際についでだとデルミーラの分も用意させ、その新しいローブが掛かっている。
先日届けられたが、今朝起きるとローブに手が加えられていて、時がきたと覚悟を決めた――新しいお告げを見ることが減り、死が近づいているのは感じていた。
「それを羽織ったエルーシアが、春の花を墓に手向けて泣き喚いていた。髪の長さもちょうど合う。後半がないのは、私は死んだあとだからだ。心を決めて準備しろと、世界樹が知らせた夢だろう」
後ろ姿だったからワンピースだと思っていたが、あの夢はローブだったのだ――白地に金の縁取りがあり、緑色の蔦模様が鮮やかに刺繍されている。
使い魔は普段、デルミーラの私物には刺繍をしないが、エルーシアのローブに刺繍をして興が乗ったか、女性らしい柄じゃなければと判断したか、世界樹のマナの影響で何かを感じとったか、一晩で刺繍を仕上げていた。
「サイフもベラトリも、悪夢とは異なる国になった。残された最悪の悪夢は、命と引き換えで乗り越えるだろう。今度の遠征で、前半と同じ場面に遭遇するはずだ。夕焼けの夜空からエルーシアを守れるのなら、本望だ」
デルミーラは心の底から満足しているようで、自然と口角を上げたが、クロードは絶望から首を振った。愛しい人を失いたくないと――危険な任務をこなしているのだ、先に命を落とすのは自身だと、長年信じて疑っていなかった。
エルーシアの新調されたローブは一面に赤い刺繍があるから、このローブを羽織って葬儀に参列したのだろうとデルミーラは締める。
「あなたが望んだから、騎士隊も異動したのに。背中を守る権利を手放したうえで、まだ手放せと?呼び捨てをする権利ももらってないのに、私の前から消えるつもりですか!」
「それを与える気はない。諦めて、自由に恋愛しろ」
「無理ですよ。私の愛の深さは、伝わってませんか?」
樺色の瞳を向けながらも黙り込むデルミーラを、クロードは睨みつける――伝わっていないはずがない。
火の魔法の腕を上げたのは愛を伝えるためで、土魔法の腕を上げたのは、愛する者たちを守るためだ。学びも、薬や毒の耐性づくりも、そのほかの行動も、すべてデルミーラが望んだから受け入れてきたのだ。
「私が、神子の座から引きずり下ろすとは、考えませんでしたか?その運命から守るために、あなたの手を――」
「私の手を傷つけても、神子を辞めることはない。それだけの知識を得たから、エルーシアは治療できるぞ」
「それでしたら、斬り落とします」
ぎらりと瞳を光らせ、クロードは震える手を腰に伸ばすが、柄を握るより先に、デルミーラは首を振って否定した。
「それで、エルーシアに全部押しつけて、重責を増やすのか?」
クロードは奥歯を噛みしめ、顔を歪める――そんなこと望むはずがない。デルミーラを愛しく想うのと同じく、エルーシアも愛しい娘なのだ。
手にしたい選択肢は残っていない、それを理解しながら歪めた顔を涙で濡らし、望みを口にする。
一度くらい、わがままを聞いてくださいと――
※ ※ ※ ※
鼻歌を口ずさみ、胸の高さで両手のひらを空に向け、左手の指輪がきらりと光り、視線も空へ向ける。
デルミーラに報告したいことや相談したいことが、たくさんある。
世界は理解できないことばかりで、読めないことばかり、すべてを見通せるわけじゃない。だから、いつもデルミーラに相談していた。聞いてもらうだけで心が軽くなることや、話しているうちに答えが見つかることもある。
意見を交換して悩み始めたら、返ってくる言葉は決まっている。好きに選べか、やりたいようにやれ。
尋ねたことはないけど、なんとなく理解している――転生者の知識や発想、選んだ選択先は、世界樹の意志と同じだと思っていた節がある。干渉できない存在だから、夢にも現れないと。
でも、そんな大層な存在ではない。揺れる土台で悩むことが多く、毅然と立つために踏ん張って、強さを求めるただの弱い人。
昨夜気づいたことに対して、デルミーラなら、なんて返すだろうか。考えるだけでは、答えに辿り着けない。
男性が背後に近寄るだけで、悪寒が走って恐怖感に襲われるのに、背中に触れられても悲鳴はあがらず、平気だった――抱きしめられて、胸が高鳴った。
前世で迎えた死に際の恐怖と、今世での悪夢の恐怖。これが心の傷になって誰も近づけなかったのに、恐怖感はなかった。
覚えていないけど、クロードとベナットは長い時間をかけて安心感へと変えてくれた。二人以外は、どんなに優しくても、信頼をしてても無理だったのに――なぜ?いつから?不思議な粒の力?恋に落ちたから?
首を振って否定する――権力を欲しがる者に狙われ、魔物に囲まれて狙われる、危険と隣り合わせの世界だ。
神子の世界に巻き込んではいけない。命をかけて盾になるとまで言葉にしてくれた、優しさに甘えてはいけない。奴隷紋から解放して、望む世界に送り出さなくてはいけない。
数人が同時に火の魔法を放って大型の魔物を討伐しているのか、亡国ベテルの地で大きな火柱が上がり、背負われて場を離れる騎士がいる。
魔力切れか、傷を負ったのかは判断できないけど、鼻歌に無事を祈る気持ちを込める。
北西から現れた白い鳥の魔物の群れに、ジェイが火炎を当てて弾けさせた。昨日より魔物の襲撃は多く、魔力もだいぶ使っているから、もう汗ばんでいるのが分かる。
早く今日の任務から解放させたいけど、癒しの魔力を広範囲に届ける風に乗せるため、濃度の調整はせず、一定量で大気に溶かすことしかできない。短縮できないのがもどかしい。
風が巻いて、後ろに立つクルルのマントがふわりと揺れて、ルークの姿がちらりと見える。
想い人がいると知って、深まる恋心は諦めで静まったはずなのに、あの瞳に見つめられると、嘘も隠し事もできなくなる――胸がまた乱されて、心の内がさらけ出される。誰にも話すつもりのなかった罪悪感を打ち明けてしまったが、恋心までさらけ出さないよう、気をつけなくてはいけない。
三匹の魔物が空を旋回し始めた。飛んでくるのは見えなかったから、アルニラム側から飛来したのか。
今度はジェイではなく、クロードが連続で火炎を放って三匹とも落とす。一匹は致命傷を与えられなかったようで、すかさず剣で払い、安心させるように笑顔を見せた。
北東の遠くの空を眺める――遠く、遠く、その先の空のもとで、デルミーラが命を落とした。命日は近い。
失っても想い続けるクロードには、恋心の相談なんてできない。背中に手を添えるまで苦労したらしいのに、相談なんてできない。負担をこれ以上増やしたくないから、相談なんて、してはいけない。
魔力切れ寸前まで癒しを溶かし、手を下ろしてブレスレットの水晶玉に触れ、治療ができるように魔力の補充を始める。
作戦二日目だ、今日は誰かが怪我をしたかも知れない。治療が必要だろう。
クロードが笛を吹いて、ジェイを背負うようルークに頼んでいる。背後でのやり取りなので姿は確認できないが、背負う指示を出すなら、ルークに怪我はない。
屋根の上で倒れたのは、魔力切れを起こしたジェイだけのようで、安堵のため息をついて、クルルに身を預けて抱えられる。
何かが堀にいるのか、ベナットは石槍を投げてから階段を下り始めた――包帯で固定しても戦闘の振動は伝わっているから、完治してない左腕は癒す必要がある。
まだ魔力の流れも骨のつながりも完全ではないが、斬り落とされた腕が回復に向かっていてよかった。
デルミーラが去って、残されたお告げは全部回避されたものだと思っていたけど、早春の嵐より前、訪ねた治療院で、ベナットの腕が斬り落とされるお告げの前半に遭遇した。
隣接する孤児院の子が差し入れで焼きたてのアップルパイを届け、職員が礼でレモネードを渡すと、礼のお返しだと覚えたてのハーモニカを間違えながら披露し、微笑ましい光景に皆が笑顔で拍手して――血の気が引いた。
衝撃的な悪夢の内容だから、忘れられずに覚えていた。急いでクルルにしがみついて抱えてもらい、建物の屋根を駆け抜けて王城へと向かった。
神子の館なら王城は隣で間に合ったはずなのに、第五治療院は距離があって、斬り落とされる前に到着はできなかった。いや、館にいたら、お告げに遭遇できなかった。呼び出されて向かっていたら、間に合わなかったかも知れない。
到着は斬り落とされた直後で、広げたショールの上で急いで処置した。
出血や衝撃で痙攣する体を押さえるために魔力で昏睡させ、水魔法で誰かに洗浄をしてもらい、斬られた腕を合わせて魔法を唱え続け――初めての処置だったけど、血が通い出して成功したと胸を撫で下ろし、愕然とした。
デルミーラに報告と相談がしたい――残された夢のお告げが訪れたこと。世界樹の回避したい悪夢がまだ生きていること。贈り物のない身では、解決策が見つからないこと。
設定小話
蔦には、たくさんの花言葉がありますが、うち一つは……永遠の愛
クロードの深い愛と、エルーシアの思いつきは、辺境伯の城で……書けるといいな




