81 叫ばない夜
ベナットが戻ったからと、ジェイは部隊長とガリーナを連れて辺境伯のこもる小屋に向かった。
この地を治めている人だから、報告しておけば、すべての処理をしてくれるだろう。
不在時に何かあったらしいとベナットは異変に気づくが、それを尋ねるより先に、エルーシアから知の副隊長への伝言を頼まれて通信を始め、連絡板を持って治療院本部に向かうよう書き込む。
出先にいたようで、そのまま馬車で移動する副隊長と、クロードからの報告のやり取りもする。
まだ院本部と直接やり取りをする連絡板はないから、仲介を知の副隊長に頼んだのだ。報告は急いだほうがいいと判断して。
報告はガリーナの処分だけではない。雑な治療で、被害者になった騎士が多くいる可能性があるのだ――王都に帰還するまで待てない。
知の副隊長の移動中に、途中で放り出した外傷回復薬の調合を終わらせ、ベナットから到着したと声をかけられ、缶に詰める作業をロズや騎士たちにお願いし、エルーシアは渡された連絡板を持って馬車へと引きこもった。
※ ※ ※ ※
ルークとクロードが連れ立って小屋に戻ると、ジェイは不在で、休息をカードゲームや雑談で過ごすことの多い騎士たちが静かに魔物図鑑を開き、マコンと雑務員は会話することもなく夕食の準備を進め――隅の方で、木箱に腰掛けるベナットの、大きく膨らんだ尻尾が床を叩く、ばしばしとの音だけが響いていた。
「不在の間に何かありましたか?珍しいですね、ベナットがそんなに尻尾を――」
「クロード、報告がある。こっちに来い」
この騎士隊が編成される前は、後輩騎士として呼び捨てにされていたが、今は隊長として言葉を改めてもらっている。それを忘れるほどの怒りをベナットが抱いている。
クロードは顔を真剣なものへと変え、ベナットの前に置かれた木箱に歩を進めた。
小屋の中は異様な雰囲気で、エルーシアは馬車の中か姿はなく、何があったのか尋ねるため、ルークは騎士たちの輪に入った。
ベナットがクロードに報告を始めたのを見て、騎士たちも口を開く――怒りで黙り込む前では、雑談もできなかったのだ。つい先ほど、ベナットに報告したのと同じ内容をルークにも伝え、雑談へ移る。
「エルーシア様が声を荒らげるなんて珍しいよな」
「それは、カトリーナ様とジェイが侮辱されたからだろ」
「癒し手が治療に手を抜くなんて聞いたことないぞ」
「エルーシア様とあの癒し手の間に、何があったのかな」
「あっ、あれか。俺が初めて遠征に参加した年に、学校で事件があったぞ。遠征後の報告でバタバタしてる時期に――」
一人の騎士が、当時あった事件のあらましを伝え、騎士たちの顔が険しいものに変わる。もちろんルークもだ。
「で、何でその子爵家の奴は罪に問われたのに、あの女は野放しなんだよ。伯爵家の権力か?」
「遠征で使い走りするだけの補充隊員だったし、そこまでは聞いてないぞ。通常任務でも部署が違う。誰か知ってるか?」
「知っていますよ。聞きますか?」
ベナットからの報告が終わったのか、クロードが側に立ち、怒りからの冷たい空気をまとっている――これ以上この話題は避けたほうがいいと、騎士たちは揃って首を振る。
だがクロードは、聞いてくださいと話し始めた。
「簡単に説明すると、一学生への悪意で癒し手の未来を潰したくなくて、エルーシアが処罰を望まなかったのですよ。結果、ロズにはつらい思いをさせましたが、エルーシアを責めますか?」
話をふられて、ロズは首を振る。悪いのは手を抜いて雑な治療をした癒し手で、神子様も被害者であると。
「ありがとうございます。彼女は自身の責任だと思っているので、今後、隊でこの話題は避けてください。あと、私たちは互いに報告があるので、小屋の表にいます。何かあれば声をかけてください」
そう告げると、クロードはベナットを連れて外に出たが、背中を見送りながら、ルークは考えを巡らせた――先ほど屋根で、気にかけてほしいと聞かされた話と、たった今、騎士たちから聞いた話。
心を乱されることが続く中、どんな心境で馬車にこもり、一人で過ごしているのか。眉間にシワを深め、ある提案を思いついて、小屋の表へと歩き出す。
※ ※ ※ ※
夜更けと呼ぶにはまだ早い、日付が変わるよりも前に、ルークは魔力切れの昏睡から目を覚ました。
ドングリの飾りが熱くなったからではない。夕刻に火炎を六発放ったからだ――討伐で魔力を使って剣を振ったあとだったのもあり、六発目は頼りないものであったが。
合同作戦中だから、咄嗟のときのため、ランタンの明かりは完全には消さず、うっすらと小屋内が確認できる。
洗濯後に干してあるシャツや騎士服、重ねて積んだ木箱、脇に寄せて片付けたテーブル、一角にある馬車へと視線を巡らせるが異変はなく、拾える音も皆の寝息と外からの雑多な音だけ。
異変がないことで空腹感を覚え、腹をさする――マコンに軽食を用意してもらい、それを食べてから魔力上げを行ったが足りなかったか。いや、いつも昏睡から目覚めたときは空腹である。
今夜は夕食をトレイで分けてあるはずだと立ち上がり、高くなった視界の端に、いつも探す長い髪の姿が相棒の側にいることに気づく。
「眠れないのか?」
不意に声をかけられたエルーシアが振り返り、首を撫でられる相棒が低い囲い塀に頭を預け、気持ちよさそうにしているのがルークの目にとまる。
不可解である。気性が荒くて懐かないのが鎧馬の特性なのに。
「なぜ、相棒が懐いているんだ?」
「隊の馬たちと一緒に、何度か癒しの魔力を流しているからだと思います」
確かに、何度かクルルと一緒に馬の近くにいるのを目撃している――クルルに懐いているのは知っていたが、エルーシアにも懐いているとは、ルークは知らなかった。癒していたとも。
「ルークの馬なのに、勝手に撫でてすみません」
相棒が威嚇したり蹴らないのなら別に構わないとルークが告げると、エルーシアは微笑んで、もう少し撫でたいと許可を求める。クルルは寝ているからと。
ルークはテーブルからトレイを持って移動し、エルーシアの側に腰を下ろした。
「生き物と触れ合うのは、心が癒されるって聞いた。あんたの説だともな。つらいなら吐き出せばいい。別に誓約で縛られてなくても他言はしない」
「昼にあったことを聞きましたか?大丈夫ですよ。毅然と立っていれば解決できることですから。ただ、ロズにもつらい思いをさせたので、謝罪は必要ですね」
冷たく微笑むのは、何かの感情を隠しているからだ。だが深追いすれば、前回のように、するりと去ってしまうだろう。
ルークは隣に座るように促し、何か話してほしい、食事に付き合ってほしいと頼む。
「何かの話、ですか?」
「なんでもいい、護衛しているんだ。あんたの身を守る術でも、王都で普段何をしているのかでも……地球の話でも。オレは知らないことが多いからな」
エルーシアは腰を下ろすと、説明するように話し始めた。王都での生活を――これから王都で魔力の研究や奴隷紋の解読をするなら、普段何をしているのかも必要な情報である。
世界樹を癒しながら素材を採取し、加工して治療院とやり取りし、転生者として王城に知識を提供し、エルフの魔法文字の研究や魔道具の開発をする。それと、世界樹のマナや瘴気の解明をするために、情報を集めていること。
「マナと瘴気の解明?なんのために」
「解明できれば、魔物の大暴走の再発防止や、魔物の脅威を減らせると思いませんか?魔石は生活に必要なので根絶は望んでませんが、狩り場のように管理できれば安心できますから……まだ、何も掴んでないので先は長いですけどね」
「どこにでも魔物はいるのに、全部管理する気か?なぜそんな発想が出るんだ。あんたも思考回路が飛んでるんだな」
その思考回路が誰のことなのか知っているエルーシアは、小さく笑う――騎士たちが口にするのを、何度か聞いたことがあるのだ。
「ジェイとは異なります。ジェイは考えるより先に、思いついたら勝手に体が動くタイプですからね。ウィノラと出会ったときの話を聞いたら、驚きますよ」
「あんたは、どう違うんだ」
「どうでしょうか、自分自身のことは気づきにくいですからね。体が動くタイプではないですが……ぽろりと失言はありますね」
国境に着く前夜にクロードが口にしたことだが、指摘は嫌なものではなかったのだろう。自覚はあると話しながら、また頬を緩め、表情は柔らかいものへと変わる。
わずかでも感情に触れることができたのが嬉しくて、ルークも口角が上がる。
「私のことをよく知っていますから、心配ばかりかけてるんです……クロードに、何か頼まれましたか?抜け出さないように見張ってほしいとか」
隣から見上げる瞳に、ルークは息をのむ。もう嘘はつきたくない。信頼を失いたくない。隠し事はできそうにない――だが、傷つけたくもない。何をどう伝えればいいのか、分からなくなる。
「……いや、オレから提案をした」
「ルークが?なぜ」
「すまない」
「前の晩で私の悩みを知ってるから、あの話も、クロードから相談されましたか?大丈夫ですよ、もう叫ぶために抜け出したりはしませんから。北西の国境で抜け出すなんて、無茶なことはしません」
寂しげに微笑んで否定するが、前科がある――ルークの胸の内で、心配や不安、守りたいとの思いがつらさを伴って駆け巡る。
「平気ではないだろ。衝撃を受けるはずだ」
「本当に、平気なんです。感謝はしていますが、会ったことのない人と、覚えていない人だから……思いっきり叫んだあとだから、受け止めることもできるようになりました――」
クロードから気にかけてほしいと告げられたのは、聞かせたくなかったが望まれて、エルーシアの耳に入れた話。
それは、また悪夢を見るかも知れない話で、叫ぶために抜け出しかねない話だった。
風読みの民は、自身の研究する村から離れることは滅多にない。小さな村を訪れる写真家もいない。だから、両親の写真も残ってない。
両親の話を聞かせたくて、再会したハンナに面影を尋ね、怒りを覚えたとクロードは語った――性格は異なるが、母親の面影は兄嫁に似ていた。緋色の髪で濃茶色の瞳だった。
失った母親に執着したのか、似た女性がいれば幸せだったころを思い出せたのか。心境は理解できないが、オアマンドは母親に外見のよく似た女性を嫁に迎えたのだ。
クロードは顔を歪めて、その兄嫁のことを性悪女だと罵った。母親を恋しがれなくなるとも――人買いに売り払う計画以外にも何かあったのだろうが、問えるような雰囲気ではなかった。
「――前世でも、母とは縁がよくなかったんです。だから、諦めもつきやすいのかも知れません。つらくないですよ……心配してくれたんですよね。前回も今夜も、付き合ってくれてありがとうございます。そろそろ馬車に戻ります」
「なら、なぜ相棒に癒しを求める?ほかに、何があるんだ」
悲しげで、寂しそうで、冷たく微笑むのは何を隠しているのか。温かさを与えられながら、こんな表情のまま眠りにつかせたくないと手を取り、瞳を覗き込む。
一人で苦しく押し潰され、悲痛に叫んでほしくない。
もう耳を赤らめてはくれないが、そんなことは関係ない。淡い好意が消えたとしても、手を伸ばすことは諦められない。
想いが実らないとは気づいたときから理解している。殻を破るのが難しいとも――してあげられることは少ないが、ただ寄り添って、守りたいだけ。魔物からも、悪意からも、つらいことからも。
息をのんで、エルーシアは手を引き抜こうとするが、逃したくないとルークはわずかに力を込める。
真っすぐに見つめ返す淡い瞳に、ほのかなランタンの明かりが映り、涙がにじむのが分かる。痛みを与えたかと不安で手を緩めるが、小さな口が震えて言葉がこぼれる。
「エルーシアは、どこにも、いない……」
「……ここにいるだろ、あんただろ」
「前の晩だって、両親が恋しくて、兄が羨ましかったけど……デルミーラへの気持ちのほうが、大きかった」
「愛し子だって大事に育ててくれたんだろ。気持ちが大きくて何が悪い」
「純粋に母を恋しがるエルーシアは、どこにもいない。前世を思い出した私が、焼いたから……あの晩、エルーシアを殺したの……母からもらった名を、呼ばれる資格がない」
こぼれ落ちる涙の止め方なんて、まだ知らない。思わず手を伸ばして抱きしめる。
腕の中にいるのに、伝えたいことも、つらさも悩む理由も理解できない。触れる背中のか細さと胸もとが濡れて冷たくなるのが、たまらなく苦しくなる。
「十分重責を背負ってるんだ。これ以上自分を責めるな」
「……離してください。大丈夫です」
親しい仲でもないのに勝手に抱きしめたのだ。言うとおりにするしかない。
腕を緩めて離れ、顔を覗き込むと、潤んだままの瞳が見開かれる。
「なぜ、ルークは平気なの」
設定小話
魔力上げのために放った六発の火炎は、いつもの石壁ではなく、魔物を狙いました
動く魔物を討伐する訓練も必要ですからね
うじゃうじゃ集まる国境の中央は、的がいっぱい




