75 意味がある
明け方近くの夜更け、昏睡から目を覚ましたルークは、二冊の図鑑を抱え、倉庫の一角で芋の皮むきをしている男性雑務員のもとに近寄った。
皆が就寝する中、ランタンの明かりがあるのがそこだけだからだ。
「邪魔はしない、その隅で本を読んでもいいか」
「どうぞ」
ルークが腰を下ろすと、雑務員は缶とコーヒーを差し出した。受け取った缶をあけるとクラッカーが入っている。
「夜食用に竹カゴに詰めていた料理が誰かに食べられたらしくて、朝食までこれで我慢してください。夜が明けたら村から朝食が届きますので」
「感謝する……そういえば、あんたの名を聞いてないな」
「すみません。遠征同行中は名を捨ててますので、雑務員と呼んでください。二人、訳ありなんです」
雑務員は濃い琥珀色の瞳をちらりと奥にあるテントに向け、肩をすぼめた。女性雑務員も同じだと伝えているのだろう。
どんな訳ありかは読めないが、正式に同行しているのなら身元は確かなはずで、よく働く姿は目にしている。
ルークは頷き、クラッカーを幾つか頬張って缶を閉めてから、図鑑を開いた。
魔物図鑑とは異なり余白が少ないからか、生態図鑑は直接書き込まず、メモがあちこちに貼られている。めくるのに汚したくないと、空腹を満たすことより気遣いを優先したのだ。
まだ借りて数日、生態図鑑を読み、生息図鑑を開く、同じ生息地にいる生き物を確認し、生態を調べると繰り返し、なかなかページは進まないが、魔物以外の生き物の情報も護衛には必要だと根を詰める。
意外と、肉食獣のほかにも、毒持ちや凶暴な生き物は多い。
木目の蛇を探して生態図鑑のページをめくっていると、紅葉の熊の字が目に飛び込み、昨夜の説明を思い出す。
どう猛な熊をあっさり横倒しにしたが、なぜ首を絞めずに窒息させることが可能なのか、まだ理解できていない。
昨日の情報共有の時間である昼休憩では、王都で試すことや調べることを説明されたが、今日は酸素について質問してみようか考えを巡らせる。
エルーシアが持つ、自らを守る術についても、護衛するうえで必要な情報のはずだ。
夜が明けるのか、マコンも起き、潰された芋で調理を始め、雑務員はピッチャーに飲み物を満たす。
カチャカチャと立てる音で目を覚ます騎士もいて、ロズも起きてルークの側にきた――いつもと同じく、馬たちの朝食に誘う。ルークの姿がないと相棒は歯を剥くからだ。
図鑑を木箱に仕舞ってから向かうと告げ、ルークが立ち上がると、眉をひそめたまま近寄ったアインに声をかけられた。
「お前が生態図鑑を借りていると聞いたが、少し確認したいことがある。朝食まで渡してほしいが……それか?」
ルークが渡すと、アインは無言で背を向け、足音を響かせながら倉庫をあとにした。
剣の指南をしているときから苛ついてるように見えるが、付き合いのない仲だ。何があったのか想像できない二人は、ただ顔を見合わせた。
※ ※ ※ ※
一行が村を出立する際、途中までルートが同じだからと、アインと第三の騎士たちも後ろに続いた。
いつもはジェイがしんがりを務めるが、話があるらしく配置を交代し、クロードはアインと最後尾を並走している。
「あちこちから第三の騎士が集まってるから、今日は討伐も少なそうだな」
ジェイは時折振り返り、ルークやエルーシアに話しかける。嬉しそうに口角が上がっているのは、道中が安全だからではなく、国境の任務が終われば、辺境伯の城に向かうからだ。
四日後には、最愛の妻子に会えるのだ。嬉しさが隠しきれずにあふれている。
打って変わり、エルーシアは不機嫌そうに朝から眉をひそめている。食事もとらずに、クルルが朝帰りしたからだ。
朝帰りには怒っていないが、膨れたお腹は何を食べてきたのかと、想像したくないが、嫌なことほど頭から離れない。
不機嫌のもとを気にしながらも、ルークはいつものように神経を尖らせ、あちらこちらと視線を動かし、拾う音に集中する――事前に騎士たちが討伐していても、危険は皆無ではないから。
先を進行する馬の蹄、並走する馬車の車輪、あとを続く荷馬車や、ぞろぞろとついてくる第三の騎士たちが立てる雑多な音。気にかけるような音は拾えないが、気は抜かない。
昼休憩が始まり、ルークの手を借りてエルーシアが馬車から降りているとき、クロードが近寄り、国境の任務が終わるまでは二人も皆と食べるように告げた。
「休憩終わりにはアイン隊長と離れます。次に会えるのが、いつになるのか分かりませんよ。それに第三の騎士がいますので、他者の目を少し気にしましょうか……まだ、噂になるには早いです」
最後のぽそりとした呟きはルークの耳にしか届かず、エルーシアはアインのもとに歩き出す。
皆で輪になり竹カゴをあけると、三種類のコロッケと薄く切ったバゲットがあり、アインの頬が緩んだ。好物だと――久々の再会に、マコンが気を使って用意したのだ。
牛肉、エビとチーズ、ハムとコーン。コロッケに特製のソースを絡めて、バゲットで挟んで口へと運び、皆の頬も緩む。
それから、進行しながら皆で会話をすることは無理なので、いつものように食事の場は雑談をする場に変わる。
「なんだ、本気で瞬発力と馬の扱いを買われたと信じていたのか?」
「神子の言葉ですよ、新人で聞かされたら信じます。誰も訂正してくれませんでしたよ」
「じゃあ、隊長はなんで、補充隊員をせずに正規隊員になれたんですか?」
「デルミーラのお告げだ。夢で見た騎士隊の中に姿があったらしくて引き抜いた。ベナットも同じだが、補充隊員をしないで引き抜いたのは、こいつら二人だけだな」
「その二人が、エルーシア様の騎士隊の要ですか。なんだか凄い話ですね」
クロードとアインは顔を見合わせ、眉をひそめる。なぜ、今まで気づかなかったのかと。
長い騎士生活の慌ただしい日常、溶け込みすぎたデルミーラの贈り物に、次々と舞い込む問題と、頭を抱えることが多く、深く過去を追求してこなかった。
「出会うよりも昔から、つながっていたんだな。すべて意味があると」
「そのようですね。そうなると、取りこぼした分が気になりますね」
「取りこぼした過去は、変えられません。意味があっても時は流れてるんです、忘れてください。新たなお告げはないんです」
二人が何を話題にしているのか気がついたエルーシアは口を挟むが、これ以上は言葉にしたくないと空を見上げた。上空は風が強いのか、ちぎった綿のような雲の流れが速い。
皆の話に耳を傾け、黙々と食を進めていたロズは、クロードへと顔を向けた――質問が生まれたからだ。この質問は、素直に隊長にしてもいいものだと判断した。
「つながっている意味って、なんでしょうか?」
「行動や起こることには、意味があるということですよ。朝起きて窓をあければ、風を感じて天気の確認ができます。そのあと身支度を整えれば、一日をちゃんと過ごすことにつながり、整っていれば場に受け入れてもらえ、失敗すれば、学ぶ機会になります。些細なことにも意味があり、つながった結果、事が起こるのですよ」
「起こることに、意味ですか……すべてに。自分の手の怪我は……技が足りないとの教え?学ぶ機会?」
些細との言葉で、ふと昔を思い出して、アインの口角が上がる。不機嫌のもとへ、いたずらを仕掛けるように。
「そういえば、些細な夢のお告げにも意味があると気づいたのは、お前の夢だったよな」
「は?なんですか、部下たちの前で昔の失敗談なんてやめてくださいよ」
「隊長の失敗談……アイン隊長、聞かせてもらえますか」
話は進むが、ロズは眉を下げ、悩むように傷痕の消えた手のひらを見つめ続け、隣にいた騎士が背中を叩いた。
「お陰で、エルーシア様に治療してもらえただろ。遠征での怪我じゃないのに治してもらえるなんて、滅多にないぞ」
あまり釈然としないが、確かに貴重な経験ではあるとロズは頷き、もう片側の隣に座っていたルークは顔を険しく変えた。
自身の歩んできた道や、エルーシアが虐待されて腕を焼いたのにも意味があるのかと――あるのなら、理不尽すぎる。
空を見上げていたエルーシアが何かを見つけ、馬車にいくと告げて同時に腰を上げた。数メートルの距離だ、エスコートは不要だと一人で向かう。
何に気を取られたのかと皆も空を見上げ、十数羽の鳥を発見する。
「中型の魔物……じゃないな。並んでるぜ」
「遠くて種類は分からないな」
「飛び方からすると、渡り鳥か?」
魔物でないなら慌てる必要もない。皆が昼食や雑談に戻る中、馬車から出たエルーシアはそのまま御者台に乗り、持ち出した双眼鏡を覗き、観察しながら頬を緩めた。
数メートルの距離だが一人にしたくなくて、護衛としてルークも移動し、隣に腰を下ろす。
「ルークも見ますか?翡翠の鶴です」
受け取って双眼鏡を覗くと、遠くを飛ぶ鳥が、胸と翼の先が翡翠色の鶴だと確認でき、ルークは目を丸くした。
双眼鏡がどんな物かは知っているが、他者の私物には近寄らず、売っている店は入りづらくて手にしたことはなく、初めて覗いたからだ。
「春先にベテルに渡り、冬がくる前に南に飛び去る渡り鳥ですが、四年前から姿を消していたんです。時期は遅いし、数も少ないですが、戻ってきてよかった……絶滅したのかと心配していたんです」
「ベテルは魔物だらけだぞ、飛んで大丈夫なのか」
「魔力のない鳥なので、魔物には狙われないんですよ」
嬉しそうに見上げる顔からは不機嫌さは感じず、ルークも口角を上げて、双眼鏡を返した。
少しだけ離れた場所からは、騎士たちにせがまれて、暴露話をするアインの声が聞こえる。
「ハンカチが風に飛ばされて、小川の向こうに落ちたんだが、こいつは拾うのに迂回するのを横着して、土魔法で橋を架けたんだ。だが、強度が足りずに崩れて落ちた。夢では、風邪をひくはずだったよな」
「隊長が土魔法で失敗したのか?」
「風邪をひく意味って、何かあるのか?」
「ひく前に魔力を流されながら、諭されたんですよ。風邪をひきたくなかったら土魔法を学べと」
「あの子の言葉を聞いて、デルミーラの顔が青ざめたんだ。些細な夢も意味を持つと知って――」
昼休憩も終わり、久々の再会に幕を下ろす時がきた。別れの挨拶を交わし、立ち去るアインや第三の騎士たちを見送る――向かう先で、ほかの騎士たちと合流し、明日から暫く、国境へと走る魔物を討伐するのだ。
エルーシアは無事を祈る言葉とともに、ぽつりと胸の内をクロードにこぼす。
「大人になったのに、あの子のままなのね。久しぶりだから、不思議な感じよ」
「心の折り合いがついたら名を呼びますよ」
「アインは、何を後悔しているの?」
「誓約ではなく、男同士の約束で話せません」
アインは救出した晩、夜間進行を渋ったことを後悔している。もっと速く馬を走らせていれば、魔力暴走の前に救出できた可能性があるのではと。
だが、デルミーラは否定した。あの進行速度だから火炎を目撃でき、異変に気づけたから救出できたのだ。お告げでも知ることはできなかった、暴走前の救出は不可能でしかない。
そもそも寄る予定のない小さな村だから、あの日の行動が一つでも違っていれば、救出は無理だった。進行が速ければ、丘や木々に隠れて火炎にも気づけなかったはずだ。
頭では理解している、通り過ぎたかも知れないと。音もなく吸い込まれるように消えた火炎では、背後で上がっても気づけない。
だが、心苦しさは生まれる。幼い子の手を焼いてしまったと後悔している中、その手は、尊い神子の手になった。デルミーラを遥かに超える魔力で瘴気を祓い、王国に安全をもたらす手だ。
世界樹の知らせる危機を渋ったのだ――名を呼ぶ資格はないと、一度も呼べないまま時が流れた。
見送る姿が小さくなり、放されていた馬たちも整列し、エルーシアは差し出されたクロードの手を取り、馬車に歩を進めた。
多くの者が、遠くからも背中を守っている。神子としての務めを果たすため、北西の地の国境へと向かう。
設定小話
あの子、この子、神子、愛し子……
アインが、デルミーラの愛し子と呼ぶから、最上の神子の寵愛を受けていると噂が広まった
そして、愛し子との呼び方が一部で定着する




