62 春の陽光
窓から陽光が暖かく入る朝、昏睡から目を覚ましたロズが最初に見たのは、覗き込むジェイの笑顔で、驚きから顔を引きつらせた。
「食堂で、皆と一緒に朝食が食えるぜ」
「なんで起きる時間が分かるんですか」
「ロズは二十一時間だからな。俺は十五時間だぜ」
「意味が分かりませんよ」
「今の説明では、情報が足りませんよ。癒しの魔力を体に満たした昏睡は、個人で時間が決まっています。治療する癒し手で変わりますが、エルーシアが治療した場合、ロズは二十一時間昏睡することになります。だから、起きる時間が予測できます」
部屋の入り口に寄り掛かっているクロードが補足し、それなら納得できるとロズは素直に枕の上で頷く。眠りすぎたからか、痛くはないが、すぐに体を起こすことはできない。さらに、覗き込むジェイがいて無理か。
「まだエルーシアが休んでいますので、治療経過の確認はあとにして、先に食事をとってください。ジェイ、あとは任せますよ」
「おう、下で待ってます」
クロードが廊下の奥へ姿を消すと、ジェイは抱えるために腰を屈め、再びロズは顔を引きつらせた。
「今日は、ばっちり目も覚めましたし、自分で歩けますよ」
「歩く体力も治癒にまわすんだよ。ほれ、お姫様抱っこだ、喜べ」
「……ジェイさん、楽しんでますよね」
治療で殆どの時間を睡眠で過ごしているロズへと、騎士たちは食事をしながらオアマンドの来襲と捕縛を詳しく聞かせ、話題は視界に入る壊れた扉にも移った。
「攻撃魔法じゃなくて、勢いよく回し蹴りで壊したんだ」
「あれは、失った片腕を補うのに、あちこち鍛え直してるな」
「騎士を辞めても鍛えるものなんでしょうか?爵位を継いだ領主なんですよね」
「書類仕事は元子爵の兄貴に任せて、第三騎士団の連中と鍛えてるんだろ」
手に分厚いミトンを着けたままのロズは、またもやジェイの介護でスープを飲み、スプーンを動かし会話に耳を傾けるジェイは、器用に自身の口にもパンやチーズを放り込んでいる。
「先代は元気なのに爵位を譲ったんですか、辺境伯みたいですね」
「デルミーラ様の隊を編成したときに武の副隊長で入隊して、そのあと隊長になって長く在籍してたから、兄貴よりあちこちで顔が利くし、領地にとって都合がいいんだろ」
「譲られた爵位は一代限りで、後継者は兄貴の息子だけど、アイン隊長は娘しかいないし、問題にもならないだろうからな」
「初めて隊長になった武の副隊長なんだよ。ジェイ、若いんだ、お前も目指して頑張れよ」
話をふられ、厚切りハムをよく噛んで飲み込んだジェイは、首を振る。
「無理無理。遠征ルートの手配とか王城での会議とか、俺にできるはずがない。この前の街で魔核を渡しに冒険者ギルドにいったときだって、やたら立派な応接室に通されて居心地悪かったんだぜ。俺には無理だ、次の隊長は知の副隊長で決まりだろ」
「魔核の受け渡しは武の副隊長の任務ですよ、慣れなさい。それから、私はまだ引退するつもりも、エルーシアを残して死ぬつもりもないです。次が、育ってないですからね」
肩を叩かれると同時によく通る声が背後から聞こえ、ジェイは唇を震わせ、まわりの騎士に助けを求めるように視線を向けるが、皆が顔を逸らした。
「ところで、ルークの姿がありませんが、どこですかね?」
「食べそこねた夜食を持って散策に出ていますが、何か指示がありましたか?」
「おや、そうでしたか。ここにいないので気になっただけで、とくに指示はないですよ。村や町中では自由にと依頼にありますからね、散策も自由です」
クロードも席について食事を始めるが、皆は違和感を拭えなかった。いつも側にいる姿が見えないからだ。
「エルーシア様は、昨日のことで何か気に病んでいますか」
「あんなんでも兄ですから、捕縛される現場はつらかったんでしょうか」
「もしかして、昨夜も悪夢を見たから隊長の部屋でお休みに?」
「えっ?隊長の部屋で、神子様はお休みなんですか」
ロズの起床より先に、馬に飼い葉を与えたクロードは、宿から出る際、部屋でエルーシアが休んでいるから入室するなと告げていた。
それで騎士たちは知っているが、年若い女性である神子が、家族同然とはいえ異性の部屋で休んでいることにロズは驚いた。
「緊急に確認したいことがあって、部屋に呼んだだけですよ。疲れが溜まっていますから、回復薬でそのまま休んでもらいましたが、私はソファで休みましたので、デルミーラ様に顔向けできないようなことは何もないですよ」
涼しい顔で嘘と真実を織り交ぜて説明するクロードに、さも当然と、騎士たちは首を振る。
「隊長、それは心配していません」
「寝室に二人きりでも、それはないな」
「えっ?そうなんですか」
「ロズはまだ、隊長の愛の深さが理解できてないな」
「お望みなら話しますよ。治療を終えてから、たっぷりとね」
「ロズ、聞くなら覚悟しろ。深すぎて引くぜ」
口に入れられるスプーンで返事のできないロズは、なんとも言えない笑顔に囲まれ、静かに食事をするクロードを見つめた。
※ ※ ※ ※
昨夜と同じく石垣の上に腰を下ろしたルークは、朝日を受ける遠くの山脈を眺めていた。
目の前には細い街道があり、奥には林が広がっている。目視できないが、林の向こう側には西街道が通り、森が広がり、人の侵入を阻むように険しい山脈が長く続く――その向こう側に何があるのかは、誰も知らない。
手には桃色のショールがある。クルルがマントを落としたときに重なって隠れたか、クロードの部屋に運んだときには見当たらなかったショール。
ベッドに横になっても眠れず、これまでのことを思い返しているうちに気づき、ここへきて蔦に掛かっているのを見つけた。風に煽られて石垣にこすれたようで、端が少しほつれている。
昨夜のクロードの言葉が胸に引っかかっている。出会うべくして出会ったと――それは、運命ともとれる言葉ではないか。
初めてエルーシアを目にしたのは、瘴気を祓うために跪く姿で、クルルは側で槍を振っていた。
次に会ったのは、クロードと一緒に箱小屋に現れたときで、わずかな時間を二人で話したが、あのときクルルは始めから姿はなく、寝ている騎士やクロードも小屋内にいた。その後は、妖精の話をするときまで二人きりにはなっていない。
眠りの毒を吸ったときしか思い当たらないが、体が重くなってからは、記憶もあやふや――あのとき、何があったのか。
目の前の街道に、三人の村娘が姿を現した。カゴを手にしているので、林で木の実か薬草でも摘むのだろう。
髪型がどうの、刺繍の腕がどうのと他愛もない会話をしながら通り過ぎていくが、ちらちらと視線を送り、一人がにこやかな顔で近寄ってきた。
「神子様のご一行の方ですよね。私、今度王都にいくんです。よかったら、そのときに案内してもらえませんか。二人でどこかお洒落な――えっ?」
石垣の向こう側に垂らしていた尻尾を上げ、見えるようにルークが揺らすと、笑顔を仕舞って蔑みの眼差しを向け、足早に離れた。
外見で寄ってくる奴は、外見で離れていく。それでも離れない奴は、何か騙すための企みがある――そんな世界しか知らなかった。
ため息をこぼして、山脈を眺める。まだ雪を被った山脈は、ベラトリの地を思い出させる――
※ ※ ※ ※
――孤児院で、職員が人の子に読み書きを教えている間に、掃除や洗濯を言いつけられるが、獣人の子の輪には入れないから、ルークは洗濯桶を持って端に移動した。
「おい、耳なし。お前はもっとあっちに行けよ」
「今日の洗い場は嫌な匂いがするよな。耳なしがいるからか?」
「なんで罪人の子が、孤児院で飯が食えるんだよ。親と一緒に捕まればいいのに」
人の子は人の子とつるみ、獣人の子は獣人の子とつるむ。半獣人の子はどちらの輪にも入れず、どちらからも蔑まれて、感情を失った目で言いつけどおりに動いて、淡々と日を過ごす。ただそれだけ。
「ルーク、院長室にきなさい……ルーク!」
色々な呼び方で呼ばれるが、名を呼ばれることは滅多にない。久々に職員から名を呼ばれて、ルークは固まる――嫌な予感しかしない。
腕を掴まれて足を踏み入れる部屋には、院長と立派な服を着た男性がいて、目が合うと男性の赤い瞳がギラギラ光った。
「これが、その半獣人の子ですか」
「出生証明もないので訳ありでしょう。親が引き取りに探すこともないですよ。半獣人ですが獣人並みの力はあるので、ご希望に沿えるかと思います」
「では、この子を買い取りましょう」
「書類を用意しますので、代金をこちらへ」
受け渡しする革袋が立てるじゃらじゃらとした音や、署名をするペンの音が響き、わずかな知識から人買いだと理解する。この身は売られるのだ。
胸の中で嫌な予感がどんどん大きくなって尻尾がざわりとするが、声も出さずに固まることしかできない。反抗すれば、拳が飛んでくるから。
「そう怖がらないで大丈夫。鉱山で、雑用を引き受けてほしいだけですから」
馬車で移動中、優しげに声をかけられるが、ルークの嫌な予感は治まらない。尻尾の毛がざわざわする。
人買いはまだ若く見えるが、子供の目からは大人の年齢はよく分からない。だが、時折鋭く目がギラギラ光るのは分かる。どれだけ働けるのかと品定め中か。
今夜の宿だと小さな山小屋に到着し、肉を挟んだパンを出されたとき、気を許した。まだ子供だったから、いつも空腹だったから、肉なんて久しぶりだったから――身に起こることを予測なんて、できないから。
パンと一緒に出された飲み物は苦かったが、体に必要な飲み物だからと薦められて飲み干し、全身が痺れて椅子から崩れ落ちた。
「意識や感覚を失うと効果も失うから、動かずに、気を強く保っていろよ」
火の魔法で赤くなった焼きごてに、何かの液体を振りかけて、嫌な匂いと予感が襲ってくる。
赤い瞳をギラギラ光らせて、口角を上げた人買いが近寄り、シャツがめくられて――
※ ※ ※ ※
左脇腹をさすって、石垣の下へと視線を向ける。ここで涙を流しながら、悲痛な叫びをあげていた。
寄り添えない体でどうすればいいのか分からず、ただ見下ろして聞いていた。
呪いのような傷は治せるのか、調べれば何が分かるのか、これがなくなれば生きていられるのか。
生きていられるのなら、寄り添うことは許されるのか。
何も持っていないが、魔物から守ることはできる。寄り添えるのなら、悪意からも悪夢からも守り、悲痛な叫びを止めたい。
半獣人と知ったうえで蔑まず、真っすぐ見つめてきた瞳から涙を止めたい。だが、止め方を知らない。
諦めずに足掻くとは何をすればいいのか、諦めることに慣れた身では、何も思い浮かばない。
価値のある人に何をしてあげられるのか――昨夜の神々しい姿が頭を過り、思い出す。
眠りの毒を吸って意識を手放す寸前、西から差す陽光があたる中で目が合って、神々しく輝く姿が、昔会った輝く人と重なったはずだ。
あのときは、輝く人をエルフだと信じていた。
初めて会ったときから神々しく、手を伸ばしてはいけない存在だと、拒むように胸に刻んだのか――刻まれたのに、あの淡い瞳に吸い込まれた。
姿を視界に入れ、話を聞いて苛立ったのは、想いを寄せても手に入るはずのない人で、理不尽で諦めの支配する世界にいても、諦めることが苦痛だったからか。
出会うべくして出会った。
どんな運命か分からず、足掻くことが何かも分からないが、思い出したことで理解できたことが一つ。
愛するために出会った。
だから、わずかな瞬間、あやふやな意識の中ですら、抜け出せない世界へと引きずり込まれた。
半獣人で他国の冒険者でも、頬を染めてくれた。これ以上、何かを与えてもらおうとは望まないが、殻を破れずに拒まれたとしても、命が短いとしても、諦めることも秘めることもできない。想いは深まるのだから。
振り返って石垣から下りると、ルークは鋭い冷たさを見せつける山脈に背を向け、宿へと歩を進めた。
手に握る桃色のショールは風に煽られ、ぬくもり多い陽光を受け止めながら、ひらひらとはためく。
設定小話
デルミーラの初代隊長は、彼女のわがままから逃げ
アインが2代目隊長になったのは、彼女を押さえられるのが彼だけだからで……神子なのに、剣を手放さない気の強い人ですから、周りは大変




