06 神子エルーシア
エルーシア視点です
北西の辺境伯の城に到着すると、亡国との国境で神子の務めがあるから城で待つように、養育の手続きをしているから一緒に王都に帰ろうとデルミーラに告げられた。
辺境伯の末娘、ふわふわ波打つレモン色の金髪に翠色の瞳を持つ、まるでお人形さんのようなウィノラを紹介されて、二つ年上の彼女と絵本を読み、庭を散策し、穏やかな時間を過ごしながら戻りを待った――
カタンと馬車が小さく揺れ、居眠りから目を覚ます。あれから十五年経ち、前世で命を落とした年齢に追いつき、デルミーラがこの世を去って、もうすぐ二年になる。
夢で懐かしい彼女に会ったことに、思わず微笑みがこぼれる。が、春の遠征中、暖かな陽気に誘わても気を抜いてはいけない、軽く頬を叩いて隣を見る。
頭から足まで覆い隠す深緑色のフード付きマントを羽織り、紗を貼った真っ黒な仮面をつけて手綱を操る御者兼護衛のクルルは、こちらを向いて首を横に振る。
居眠りをしていた間の移動に、問題はなかったらしい。礼を伝えて辺りを見渡す。
遠征はまだ開始したばかり。例年より遅れて王都を出発し、北東の国境の街に寄り、そこから東街道を南に進行中。
騎士隊や馬たちに問題はなさそうで、居眠り姿を見られてないことを願う。
右側は湿地帯が広がり、左側は芽吹き始めた森があり、少し先で土地が隆起して森は崖の上へと続いていく。
崖から離れるように右寄りになる東街道をそのまま進むと、今夜の野営地の箱小屋が見えるはずだ。
順調な進行に、今日は早めに野営地に到着するかもと考えたあと、意識を切り替えて、世界樹のマナと瘴気の流れを読む。温かい聖なるマナが肌を撫でる中、瘴気がピリピリと存在を主張する。思ったより濃い。
意識を集中させて探り、瘴気が淀んで漂っているのに気づく。崖沿いを進んだ先に瘴気溜まりができている。
馬車の前で馬を走らせているクロードを呼ぶと、肩に届き始めたクセのあるポニーテールを揺らしながら、横に移動してくる。
瘴気溜まりの発見と場所を告げると頷き、指示するために先頭を走る騎士のもとに向かった。
今回の特別護衛騎士隊の編成には、問題がある。十二人の正規隊員のうち、事情があって副隊長二人を含む五人が参加できず、第二騎士団から補充したが、すでに亀裂ができつつある。
整備された街道からはずれる進行にも不満が出そうで、隊長クロードウィッグの苦労を思い、ため息がこぼれる。
崖沿いを進み、瘴気溜まりより手前で合図を出して馬車を停める。魔物との戦闘が始まるので、ここで特製箱馬車と荷馬車二台、料理人と二人の雑務員は馬とともに待機させる。
見晴らしのいい場所だから何かあれば対処は可能か、巻き込まれる心配はないと判断する。
御者台から降りて羽織っていたショールを席に残し、ハーフアップにした髪を少し整えると、背中に下ろした腰まで届く髪が風で揺らめく。
今回の遠征は気心知れた者ばかりではない。神子としての表情を貼りつけ、装いに乱れがないかも確認する。
鮮やかな緑色の刺繍で襟と胸もとを飾った若菜色のシャツ、同じ緑色の糸で裾にたっぷり刺繍を刺した黒のワイドパンツはくるぶしまであり、ひだを多く入れたのでスカートにも見える。それと、ヒールの低い黒の編み上げブーツ。
実用的で動きやすく、神子の品位は保つようにと遠征用に仕上げてあるそれらに乱れはない。
クロードが集合をかけた騎士たちと、辺りに出る魔物の種類を確認する――湿地帯からは牙鼠、森から棘蛇、どちらも小型で毒はない。
移動してきた魔物がいる可能性と、魔物ではないが、鹿や熊の生息地でもあるため、生き物への警戒も必要と周知されるのに耳を傾ける。
魔物は第三の目のように額に魔核があるので、すぐに生き物と見分けがつき、致命傷を与えると消滅する。瘴気に戻るのか無になるのかは、まだ解明されていない。
あとに残るのは魔核のみで、魔核は魔石へと加工されて、魔道具の主要部品として人々の暮らしに利用される。
瘴気溜まりの近くまで移動し、クロードが騎士たちに配置や討伐方法を指示し始めたので、少し離れて、瘴気が一番濃く淀んでいる場所を探る。
八から九メートルくらいの高さの崖、いや、もう少し高いか。崖上がせり出しているので分かりにくい。中程よりやや上に、男性が通れる幅の穴がある。奥行きは判断できないが、そこに瘴気が濃く淀んでいる。
指示を終えたクロードに瘴気溜まりの箇所を伝え、護衛しやすく、風も流しやすい場所を相談して、土魔法で固めた二メートル四方の低い台座をつくってもらう。
台座に立ち、クルルが左側で槍を構えるのを確認し、次に右後方にいるクロードを見るが、少し離れた場所を移動する騎士たちに注目している。が、暫くして振り向き、皆が配置についたことを告げて、笑顔を見せる。
笑顔なのは、心配するなという意味だろう。五つで出会い、お世話係で護衛係として、長く支えてくれている。
四年前に神子だと公表したときは、デルミーラの騎士隊から離れ、新しく編成する隊の隊長となり、側にいる選択をしてくれた。昔から、安心して背中を預けられる人――不安はないと、微笑みながら頷く。
台座中央で腰を下ろし、いつものように胸の高さで両手のひらを上に向けると、左の人差し指にある金の指輪が背後からの陽光を受けてきらりと光る。
鼻歌を口ずさみ、癒しの魔力を溶かしながら、風魔法も発動させる。魔力は溶けるわけではない。でも、デルミーラから教わった魔力の扱い、理解と制御と想像――放つと表現するより、溶かして流すほうが想像にぴったりきた。だから、魔力を大気に溶かし、風に乗せて流す。
癒しの魔力が崖穴に届き、少しずつ瘴気を祓い、暫くして、離れた場所で戦う音が聞こえてきた。湿地帯側なので牙鼠だろうか、小型だけど鋭い牙を持ち、群れる魔物。
火の魔法が弾ける音や、武器を突き刺す音がして気になるけど、視線を崖の穴からはずせない。瘴気はまだ淀んでいる。
瘴気溜まりを消す作業は中断できない。癒しの魔力を止めてしまうと、瘴気溜まりが最後の足掻きのように新種の魔物を発生させる。
新種の魔物は毒の有無も攻撃手段も分からない。それとの出会いは、危険でしかない。
先ほどとは異なる場所からも戦闘の音が届き始めた。瘴気溜まりができたことで、牙鼠が多く発生したのかも知れない――穴の入り口の淀みは薄くなったが、奥に濃い淀みの気配があり、祓うのにまだかかる。
小型ゆえに騎士たちの攻撃を回避して接近したらしく、視界の端でクルルが槍を大きく薙ぎ払う。
崖穴の奥行きが深いのか、奥で広くなっているのか、魔力を流し続けても瘴気が薄まる気配がない。
突然クロードが視界に飛び込んできた。崖上の森から棘蛇が落ちてきたのか、剣を振っている。
溶かしている魔力の濃度を少しずつ上げる。周囲で戦う騎士たちを魔力酔いさせないように、慎重に風魔法も操作する。と、崖穴から成人男性くらいの大きさの何かが飛び出した。
翼を持って旋回しているのが、ぼんやりと視界に入る。
癒しの魔力は途切れさせていない。魔物が発生する気配もなかったから、どこかから移動して隠れていたのか、すでに新種が発生していたのか、瘴気溜まりと何か関係があるのか。視線を移して確認したいけど、今はできない。
ここで意識を逸らしたら濃度を上げた癒しの魔力と風魔法が乱れて、新種の魔物が発生する。騎士たちを信じて、魔力を操る。
旋回する魔物に向かい、崖から飛びかかる人影がちらりと見えるが視界からはずれ、背後の離れた場所で落ちる音がする。
戦う音に紛れてクロードの大声も聞こえるが、魔力操作に集中して言葉は理解できない。何が起こっているのか不安が過る。でも、奥の瘴気が薄まった手応えはある。
流し続け、もう少しで祓い終えるかと思った瞬間、先ほどと同じ魔物が二匹続けて羽ばたき出てきた。
騎士たちも、状況も、魔物も、崖から落ちた人も気になる。だけど、戦う音は続いている、皆が任務を遂行している――神子として、瘴気を祓うことに意識を集中させる。
「――喉を攻撃するな。眠りの毒――」
誰かの叫ぶ声が耳に届き、離れた場所でまた落ちる音がして、色々な音が入り混じって焦りが募る。
瘴気を祓い終えて意識を周囲に向けると、騎士服ではない黒髪の男性が、翼を持った魔物と絡み合いながら台座近くまで勢いよく転がり、クルルが大柄な体で受けて留める。
一瞬、吸い込まれそうな黒い瞳と視線が交わるが、瞼がすぐに閉じられ、男性は意識を手放した。
翼を広げて倒れている魔物は、斑大蝙蝠。頭を剣で突き刺され、喉に傷を負い、消滅し始めている。
クルルは男性を横たえるとマントの合わせを整えて、離れた場所に歩を進めた。向かう先には落ちた槍がある。
クロードは剣を下げたまま騎士たちに指示を出し、こちらを向いて手を上げた。問題ないとの合図か、急いでいる様子はないから、重傷者はなく、魔物討伐も終盤なのだろうと胸を撫で下ろす。あとは、怪我の確認と治療である。
冒険者風の服に身を包み、目の前で倒れている男性の具合を診るために触れて――驚く。
「なんで、こんなことが?」
設定小話
デルミーラは去りましたが、これからも回想などで登場します




