51 観察眼は警戒に偏る
胸もとのドングリの飾りが熱くなり、その異変で目を覚ますと同時に、ルークはがばりと半身を起こした。
魔力切れのあとに昏睡した身は、寝室のベッドの上にある。自然な目覚めではなかったからか、頭がぐらついて焦点も合わない。
視界はぼんやりとしているが、ドングリがどうなったのか確認したくて革紐を引っ張ったとき、別館の表、特製箱馬車を停めた方角から悲鳴があがった。
ベッド脇のサイドテーブルに立て掛けた剣を掴んで窓から飛び下り、重い体で駆け出す。が、馬車の扉前には、すでに騎士の姿があった。
「エルーシア、大丈夫ですか。ここをあけてください」
「クロード、大丈夫よ……夢見が悪かっただけよ。大丈夫だから」
「取りあえず、あけてから話しましょう」
ノックを続けるクロードは、ルークの姿を確認すると驚きで目を見開いたが、すぐに細めた。
「まだ、寄り添う資格はないですよね。別館に戻りなさい」
玄関先に吊るしたランタンの光の中、大柄なジェイの姿もあり、黒い影に手招きされてルークは別館へと戻る。
「まだ魔力切れから目覚める時間じゃないよな。なんで起きてるんだ?」
「いや……説明できそうにない。悲鳴が聞こえたぞ、何があった」
「ちょっと、娯楽室で話そうか」
促されて無人の娯楽室に入り、ソファに身を落ち着けるが、すぐにジェイは立ち上がって棚から回復薬の小ビンとグラスを取り、ルークへと手渡した。
「顔色が悪いぜ。半分飲んどけ」
「悪いな。遠慮なくもらうぞ」
頭はぐらついているのだ、抑えるために回復薬を半分飲み、残りの小ビンをサイドテーブルにのせると、ルークはソファに深く背を預けた。
そこでジェイが悲鳴について説明する。できることは何もないと。
「エルーシアは悪夢を見るんだ。それでたまに悲鳴をあげるが、ただの悪夢じゃない、自分が死ぬ瞬間だぜ。悲鳴は仕方がないんだよ」
「贈り物はまだなんだろ。なぜ、そんな夢を見るんだ」
「違う違う。エルーシアが転生者だって隊長から聞いたんだろ?前世の死ぬ瞬間だ」
気づかなかったことにルークは息をのむ――前世の夢は生前の五年内の記憶であり、当然、死に際の記憶も夢で見ることになるのだ。
どんな酷い悪夢で悲鳴をあげているのか。エルーシアの苦悩を想って、ルークは眉間にシワを深くつくる。
「どんな最期を迎えたのか、聞いてもいいか?」
「悪いな、夢の内容までは知らないんだ。気になるなら本人か隊長に聞いてくれ」
「そうか」
「それで、ルークは何者なんだ?」
「あ?どういう意味だ」
「魔力切れで、中途半端な回復で起きる奴なんて聞いたことないぜ。ほかにも、理解できないことばっかりだよな。魔力上げを始めたときは火炎も二発が精々って聞いたが、なんでこんな短期間で倍になってるんだ」
「魔力についての知識もないのに、オレに何か説明できると思うのか」
「そう、だな……悪い、ルークを疑ってるわけじゃない。ただ……エルーシアを守ってくれ」
ジェイは話を締めようと立ち上がるが、ルークはその手を掴んで留めた。
焦点の合わない目では表情まで読めないが、声の様子からは不快な感情を向けているように感じない。まだ情報が足りないのだ、聞いておきたいことがあって見上げる。
「あんたらは、今夜は悪夢を見るって、知っていたのか?」
「動揺したり、気持ちが不安定なときはよく叫ぶ。去年はデルミーラ様の死から立ち直れずに酷かったから、今年はいいほうだ」
「……悪夢を見た原因は、手紙だけじゃなくて、背後に副料理長が立ったからか?あいつ……隊長以外は、背後に近づかないよな。前の悲鳴は、あんたが抱きついたから大声に――」
「私は、名呼びするように伝えましたよね。隊長ではなく、クロードと呼んでください」
クロードは静かに入室すると二人の側に腰を下ろし、ルークの手に視線を向けて口角を上げる――打ち解ける、いい傾向だとでも思っているのだろう。
「ジェイの腕には手を伸ばすんですね。伸ばす相手を、間違えているのでは?」
「……」
「あの、隊長――」
「ジェイ、付き合ってくれて助かりましたよ。エルーシアは落ち着いたので、あなたも休みなさい」
ルークが掴んでいた手を離すと、ジェイは頭を下げて退室した。ジェイの立ち去る音は耳で拾えるが、クロードが娯楽室に近づく足音は拾えなかった――ぐらついていた頭のせいか、足音を消していたのか、訝しんで視線を向ける。
「それでルークは、ようやく何かに気づきましたか?」
「いつも、クルルが背中に張りついてるよな、じゃなければ、あんたが隣から守っているだろ。あいつは、背後に人が立つと悲鳴をあげるのか?」
「そうだったら、何か問題がありますか」
「だがオレは……オレもあいつの背中に近寄ったが、悲鳴はあげなかったぞ」
「ええ、なぜですかね?」
明確な答えが返ってくると思って口にした言葉に疑問を投げられ、クロードに向ける視線に困惑の色が含まれる――回復薬のお陰か、目覚めて時が経ったからか、焦点も定まってきた。
「ベナットは一年半、私は二年もかかりましたよ。それ以外の異性は無理です。なのに、ルークは五日目でしたね……たったの五日です」
「湖の……柳の下、だったな」
「ただ、護衛として側にいるように頼みましたが、あっさり背後に立って驚きましたよ。なぜ背中に近寄れるのですかね。しかも、エルーシアも気づかないくらい自然と……ね」
背後に立ったのは、ほかにもある。クロードの落とした書類を拾ったときもだ。あの日は、桑の茂みを覗き込むのに、触れるか触れないか、すぐ側まで近づいた。
「前に宿で、あいつ……ジェイに、オレに内緒の指示を出したのは、このことを口外するなってことか。それで、あいつは抗議していたのか」
「あのときは抗議ではなく、ジェイも驚いただけですよ。十年の付き合いから親しく話しても、親友の夫という立場になっても、まだ背後には立てないですからね。まあ、口をつぐむように指示はしましたが……今のところ、気がついたのはジェイだけですよ」
「オレは、背後に立つなって注意も指示も受けてないぞ」
魔物以外には無敵とされるのに、簡単に動揺を招く、いわば弱点である――攻撃することなく身を縮こませて、連れ去ることも可能だ。
部外者には、近づきすぎるなとか、それとなく注意もされるはずである。
補充隊員のロズは、どこまで聞かされているのか。しかし、ロズもルークの伸ばす手を掴んで、エルーシアの背後に近づくのを止めた。あれは意図的な行動か、ただの偶然か。
だが、ルークは何も聞かされていない。訝しむ気持ちだけが大きくなる。
「依頼を出したときから、何者なのか見極めたくて、成り行きに任せることにしました。注意して見ていましたが、妖精を見ることには気づけませんでしたね。私もまだ、学びが足りないようです」
妖精の言葉に、思わず胸もとでドングリの飾りを握る。先ほど熱を発した飾りは、いつもと変化もなく、そこにある。
「何か聞きたいことがあると、エルーシアは出会った日に話していましたが、ルークは何を隠しているのでしょうね」
一度はエルーシアに打ち明ける覚悟を決めたが、ここ数日のクロードの不可解な態度や言動から、ルークはその問いかけに目を険しく変える。だが、クロードは涼しげに受け流す。
「別に、隠していることまで暴こうとは思ってないですから、安心してください。無理を強いると、エルーシアも嫌がりますからね。ただ、背後に立てることと、それは関係ないと私は判断しています」
「あ?関係ない……なら、何が原因だ。何を判断している」
「何を隠しているのか分かりませんが、どんなものでも、クルルは騙せないですよ。使い魔は、世界樹のマナの恩恵を受けています、騙せません」
「あいつも何かあるのか?」
「クルルは人見知りが激しく、警戒心も強いですよ。出会ってすぐに餌付けなんて無理です。どんな好物をぶら下げても、指をかじられるか、尻尾で張り飛ばされるかの二択ですよ。なぜルークは、その選択に入らなかったのですかね」
クロードは何が可笑しいのか、小さく笑う。
「それに、極度の焼き餅焼きです。私がエルーシアを抱きかかえると、いまだに邪魔をしたり、あとで爪を立てるくらいのね。出会って日の浅い者と二人きりになんて、通常ならしません」
「なるほどな。何が原因か知らんが、オレは背中に近づけて、警戒されないから当て馬に打って付けってところか」
クロードは楽しげな顔から一転し、眉をひそめ、険しい顔を続けるルークを見ながら少し考える。
「気がついたのは、ここまでですか……そうですね。ルークの生まれや経験からすると、観察眼は警戒に偏るからでしょうか」
「あ?まだ何かあるのか」
その問いには答える気はないようで、クロードは大きくため息をついて、半分入った回復薬のビンを取り、飲み干した。
「……私は敵じゃないですよ、そう睨まないでください。明日は試したいこともあるので、体調を万全にするためにルークも休んでください」
※ ※ ※ ※
翌日の朝、エルーシアが食堂に入ると、先に席にいたクロードが手を軽く上げて呼んだ。治療院から手紙が届いていると――さすがに治療院からの手紙までは検めることはせず、封の切られてない手紙を三通手渡す。
それを読みながら、エルーシアは満足げに頷いたり眉をひそめたりし、手紙を片付けると顔を上げ、食堂内を見渡した。
「ロズは、もう食事を終えたのかしら」
「いいえ、まだ食堂へはきてないですね。飼い葉を与えていると思いますよ。食事をしながら待ちましょうか」
朝食は侯爵家が用意して本館から届けられ、サンドイッチやフルーツサラダを皿によそうが、夢見が悪かったためか、エルーシアの食欲は一気に落ち、クロードは気づかれないように小さく首を振った――残念だとの思いがある。
ルークとロズが連れ立って現れ、先ほどと同じく手を上げて呼び、二人が朝食を皿に盛って同じテーブルにつくと、早々にエルーシアが用件を切り出した。
「治療院と癒し手から返事がきたので、昼食後に施術を行いたいのですが――」
「お願いします」
願っていたことであり、食い気味にロズが返事をすると、エルーシアは申し訳なさげに眉尻を下げた。
「治療方法を学ぶために、癒し手以外にも医師たちが見学を申し出ているんです。皆の前で治療をしてもいいですか?」
「見学者がいたら何か変わるんでしょうか?」
「ああ。大勢の前で治療されるのは嫌じゃないかと、エルーシアは考えているのですよ」
「とくに嫌じゃないですよ」
「ありがとうございます。今後の治療に活かすように伝えます」
会話する三人を横目に、食事を始めていたルークへと、クロードはさらりと話をふる。
「ルークは、今日の予定は決まっていますか」
「相棒のおやつを買うくらいで、あとは図鑑を読むつもりだが、何かあるのか」
「それでは、買い物は午前のうちに済ませるか、誰かに頼んで、午後はあけてください。治療の痛みで暴れる可能性もあるので、押さえる係として控えてもらえますか?いつも昏睡したあと運んでいますから、ロズのためにお願いします」
ロズより背はあるが、ジェイのように体格や筋肉があるわけではない。身体強化魔法が扱えない身で、似たような筋力で押さえ込むのは難しいか。
ルークがサンドイッチを飲み込んで、返事を口にしようとしたとき、ロズが青い顔で割り込んだ。
「えっ、そんなに痛いんですか?」
設定小話
アリッサの侍女二人の前で、クルルは体を小さく変えて遊んでいましたが、人見知りも警戒もしないのは理由があります




