50 悪夢の連鎖
いつ現れるかと兄を警戒しながらも遠征は進み、翌々日には南西の街に到着したが、サイフ公国に立ち寄ったので予定ルートは大きく変わり、この地を治める侯爵家の館に到着したのは、宵になってから。
本来なら到着日の夜は侯爵家が晩餐でもてなすが、到着時間は遅く、滞在も一日減って予定が詰まっているので、今回の晩餐は前もって断りを入れていた。それで一行は、侯爵夫妻からの挨拶だけを受けて別館に入った。
治療院への手紙を何通か侯爵家の使用人に託し、エルーシアは浴室に足を向け、廊下から見えなくなるまで背中を見送ったあと、クロードは娯楽室に落ち着いた。
この別館への滞在は毎年決まっていることなので、荷物や手紙があちこちから届き、娯楽室に保管されているのだ。騎士個人の届け物は個々が確認して持っていくが、それでも山のような荷や手紙が残る。
知の副隊長からの細長い木箱もあり、中を確認したクロードは満足げに頷き、連絡板で定時連絡するとともに、無事に届いたとの報告も書き込んだ。
その後は、残った荷や手紙を検めていくが、神子に近づきたくて届けられた物は多く――エルーシアに渡す物、処分する物、返却する物、釘を刺すための対処が必要な物と仕分けていく。
入浴後に身支度を整えたエルーシアも娯楽室に入り、渡される手紙に次々と目を通す。
近くの町の癒し手からの報告の手紙や、昨年寄った村の教会からの手紙などと一緒に、風読みの村のハンナからの手紙もあり、懐かしい筆跡に頬を緩める。
「神子様、隊長。焼き上がりましたよ」
テラス窓をあけてロズが入室し、焼き立ての熊肉の串がのった皿をサイドテーブルに置き、香ばしい匂いが立ちのぼった。
血抜きや柔らかくするための処理を終えた紅葉の熊を、マコンがさっそく調理しているのだ。これを食べたいマコンの希望で、侯爵にテラス前でバーベキューをする許可ももらっている。
晩餐や侯爵家の料理を断り、テラス前で調理することに執事は難色を示したが、これから先の遠征に持っていけない分の熊肉を侯爵家に贈るとクロードが提案すると、笑顔で承諾した。
大きな熊だったので、騎士たちだけで食べ切れる量でもなく、マコンも悲しげな顔をしながらも納得してくれた。
「恐ろしい熊が、美味しそうに化けましたね」
「クロード隊長。美味しそうではなく、美味しいんです。タレに漬け込んだので味もしみて、柔らかくなっていますよ」
マコンも顔を覗かせ、湯気がのぼる皿を差し出す。漬けダレが違うのか、こちらの皿はスパイシーな香りになっている。
「大切な命、美味しく頂きます。クロード、温かいうちに食べましょ」
「おや、まだ食欲は落ちてないみたいですね、喜ばしいことです。マコン、じゃんじゃん焼いてください」
「クロード隊長。騎士服を着ているときは、気軽に名呼びしないでください。私は副料理長です」
「ああ、そうですね。副料理長、気をつけますよ」
マコンは満足だと笑みを見せ、大きなお腹を揺らしてテラス前に戻っていった。やり取りを見ていたロズは、串を届けただけではなく一緒に食べるようで、あいたソファをずらして腰を下ろした。
「隊長も、副料理長を名呼びしたら注意されるんですね」
「逆に、神子の館では名呼びしないと注意されますよ。彼のこだわりでしょうね」
「王城の料理人は、神子の館にも出入りしてるんですね。知りませんでした」
「マコンだけです。私が入学した年の、秋ごろから定期的に通ってるんですよ。翌年からは希望を出して遠征の料理人もしてくれてるので、色々と助かっています」
会話を交わしつつ串を手に取り、少しクセのある熊肉を堪能する。果物の甘味を残したタレと、あふれる肉汁が口の中に広がり、別の串をかじると、ぴりりとした辛味のあるスパイシーなタレに、香ばしさが鼻に抜けて旨味が増す。
二枚の皿から串が消えるころ、ジェイが追加の皿を持って加わった。今度は二種類の串だけではなく焼き野菜もある――肉を食べて、焼きトマトを頬張る。肉を食べて、そら豆をつまむ。肉を食べて、小芋をかじる。
「エルーシア……様も、紅葉の熊の魅力に落ちたか。春でこんなに美味いんだ、秋に狩りにいこうぜ」
「でも、秋も色々と忙しいし――」
「神子を狩りに誘うんじゃありません」
「でもエルーシア様がいれば、安全に狩りができますよ。なんたって魔物以外には無敵だからな」
「その、魔物が現れる可能性が高いんですよ。頭を使って考えなさい」
「そうですね、すみません」
雑談をしながらも、いつもより食の進むエルーシアと、美味しさで伸ばす手が止まらずに、ばくばくと食べ続ける騎士三人――皿はすぐ空になり、それを持ってエルーシアが立ち上がった。
「あっ、神子様。おかわりには自分がいきます」
「いえ、その串を食べててください」
給仕のためにいたのだろうが、ロズの手には食べかけの串があり、クロードもジェイも同じである。
「これくらいなら怪我をすることもないからいいでしょ?マコンに味の感想を伝えてくるわ」
クロードが反対の声をあげるより前にエルーシアは顔を覗いて告げ、さっさとテラス窓から出た。
外はそよそよ心地のよい風が吹き、淡い蜂蜜色に戻りかけの髪が背中でふわりと流れる。
テラス前に即席のかまどをつくり、上にのせた網でマコンが串を焼き、焼き上がると、テラスに座り込んだ騎士たちが手を伸ばしている。
熊肉の礼として執事が用意したらしいエールの樽もあり、飲み食いで遠征の疲れを癒す輪の中には、ルークの姿もある。
半獣人で冒険者でもある身だが、騎士たちと馴染み楽しんでいる様子に、エルーシアは安堵するのと同時に、視界に入った姿で、胸をどくんと跳ねさせる。
騒ぎ出す鼓動に、淡々としなくてはと言い聞かせ、皆の脇を通ってマコンのすぐ横に寄る。
「熊料理を食べるのは初めてだと思うけど、とても美味しいのね。今夜は余暇になるはずなのにありがとう」
「いいえ。紅葉の熊の美味しさは、これだけじゃありません。明日はベーコンとジャーキーを仕上げますので、まだまだ楽しみは続きますよ。おかわりですね、そのお皿をくださいな」
「ありがとう、楽しみにするわね」
小さく笑い、エルーシアとマコンがやり取りを交わす近くでは、騎士たちもジェイと同じで、秋の紅葉の熊に思いを馳せている。
「脂がのった秋の紅葉の熊も食べたいよな」
「山の奥に生息して滅多に出てこないから難しいぞ」
「生息地は広いんだけど遭遇率は低いよな。探し歩くだけで、何匹の魔物を討伐する羽目になるんだろうな」
おかわりの皿も用意でき、マコンは一枚をエルーシアに渡し、もう一枚を持って、飲んでいる騎士たちのもとに移動しながら声をかけた。
「誰か、エルーシア様が運ぶのを手伝って――」
「きゃっ」
何気ないマコンの動作に、エルーシアが小さく悲鳴をあげて肩をすくめ、皿から手を離し――咄嗟にルークが身を乗り出して手を伸ばし、テラスの床に落ちる前に受け止め、そのまま立ち上がった。
「今のは、なんの悲鳴だ?」
「エルーシア様、すみません」
「私こそ、ごめんなさい。ルークも、お皿をありがとう。あの……少し、驚いただけです」
「エルーシア様、顔が真っ青です。すぐにクロード隊長の側に戻ってくださいな。ルークさん、すみませんが串を運ぶのを頼めますか」
胸を押さえて娯楽室へと戻るエルーシアの背中を目で追いかけ、新たに渡された串が山盛りの皿も持って、ルークもテラス窓から娯楽室に入った。
「驚かせたのは誰ですか。クルルはどこにいるんですか」
「別館に入るときに馬についていったから、まだ厩舎かも……別のことにも気を取られていた、私の不注意よ。大丈夫、少し驚いただけよ」
「副料理長は太ってるから、まわり込むときに腹でもぶつかったのか?」
驚いただけだと告げる割に青白い顔を強張らせているエルーシアと、背中を撫でるクロードに、ルークは悲鳴を口にしたときの状況から、マコンの体が当たり、不意のことに驚いたのかと尋ねた。すると、クロードが眉をひそめて険しいままの顔を向ける。
「なるほど、そのような状況だったのですね」
「マコンはぶつかってないし、触れてません。私が少し驚いただけで、誰も悪くありません」
エルーシアは細く息を吐き、レモン水の入ったカップに手を伸ばす。が、クロードがその手を押さえた。
「ジェイ、ブランデーをグラスに――」
「飲まないわよ。まだルークの指南を終えてないのに」
「その状態で指南は無理ですよ。少し口をつけて、気を落ち着けてください。ジェイ、持ってきなさい」
ジェイは短く返事をすると、棚からグラスとブランデーを取って戻り、グラスに注いで差し出した。もう断れそうにはなく、エルーシアは小さくため息をつき、震える手で受け取る。
素直な様子に、クロードは安堵したかのように頷くと、ルークから皿を受け取ってサイドテーブルに置き、あいたソファに座るよう促す――このまま、魔力の指南まで待機するように。
その後、飲んだブランデーで気が落ち着いたか、まだ食事の途中ではあるが、エルーシアはルークの向かいに移動して指南を始めた。
ジェイとロズは串を食べつつ、水魔法を発動するときの注意点を互いに確認するが、威力を抑えられないジェイと、威力を出し切れないロズでは、話が噛み合わない。まだ確認してない手紙を数通残していたクロードは、それらを読みながら、基本である指南書をよく理解するよう二人に助言する。
ルークの体内に魔力を通すこと二度、重ねた手をエルーシアが離し、もといたソファに移動する際、背中にかかる髪が歩みに合わせて小さく揺れ――今夜は指南に集中できずにいたルークは、離れる背中を名残惜しそうに眺め、何かに気づいて目を見開き、その瞬間、クロードが手紙をぐしゃりと潰して、握りながら魔法を発動させた。
「燃えて消えろ」
呟きと同時に拳の中で手紙が燃え上がり、エルーシアが急いで叩き落とし、落ちたあとも火をちらちら揺らす手紙は、ジェイが消火のために踏みつける。
「ちょっ、クロード!何してるのよ、手を見せて」
「これくらい、外傷回復薬で治りますよ」
「いいから見せなさい!」
険しい顔をするクロードの手を無理やり引っ張ると、手のひらが赤くただれている――自身の魔法の火だけなら火傷はしなかったが、燃える手紙を握っていたので、その炎で火傷を負ったのだ。
治療のため、エルーシアが治癒魔法を即座にかける。
「なんて書いてあったの」
「不愉快な内容なので、口にしたくありませんね」
燃えて黒い紙片になった手紙をちらりと見たあと、エルーシアも険しい顔をする。
「クロードをこんなに怒らせるなんて、どうせ兄でしょ。なんて書いて――」
「口にしたくありません!今夜はブランデーを飲んで、何も考えずに休んでください」
「……分かりました。馬車に戻ります」
「送りますよ」
クロードはブランデーのビンを無理やりポケットに入れると、エルーシアの背中に手をまわしてエスコートし、二人は娯楽室をあとにした――
※ ※ ※ ※
――デルミーラの会合が長引いているからとベナットに手を引かれ、広場通りにあるクレープの屋台に向かう。
クリームたっぷりのクレープを注文して出来上がるのを待っているとき、濃灰色の制服を着た三人が石礫を投げてきた。
攻撃から守るために覆い被さるベナットは、深碧色の髪と同色の帽子に赤いしみが浮かんで、紫色の目をつらそうに細める。
強いのに、なぜ立ち向かわないのか。優しいのに、なぜ攻撃されるのか。なぜこんなことが起こるのか、攻撃される恐怖よりも苦しさで涙がにじむ――
――母が大学の願書用紙を叩きつけて喚き始めたから、志望を近くの大学に変えると伝えて、涙がにじんだ顔を下げる。
遠い大学は心配で許可できないと言うけど、最近は彼氏と上手くいってないから、一人になりたくないだけだろう。いつもは放置するのに、彼氏と別れると一緒にいたがる。
振りまわす母から離れたい。だけど、未成年だから自由になれない。このまま離れることができずに、あと何年これが続くのか。
苦しさや胸の内を隠して、引きつる顔を隠して、母をなだめる――
――秋の国巡りのリゲルで、神子の談話からの帰り道、別行動をとっていたカティが馬車に駆け寄って、顔が引きつる。
抱えたショールの包みは、赤いしみが幾つも広がり、だらりと下がった小さな足がはみ出ている。
「私じゃ無理なの、お願い助けて!」
急いでショールをめくって、小さな子が負った怪我の酷さに思わず涙があふれる――
――駅に逃げ込むけど人影は見当たらず、期待が粉々になって涙があふれる。どこに逃げればいいのか思い浮かばない。
追いかけてきた足音の主に後ろから絡めとられて、恐怖感で全身がざわりと冷える。
夢中で抵抗して右足の靴が脱げたけど気にしていられない。肩からずれた鞄を武器のように振りまわして当てる。
跳ね返った重い鞄に引っ張られてバランスを崩し、どこかへ勢いよく転がり落ちる――
――震える手で窓の扉を勢いよく押しあけて、そのまま窓から転がり落ち、体を打ちつけて痛みが走る。
でも、大人たちに助けを求めなきゃいけない。急いで走り出したいのに、体が思うように動かない。靴を履いていないから小石が刺さる。
黒い人影に後ろから絡めとられ、また恐怖感で全身がざわりと冷え、無我夢中で両手を前に突き出して、出せる限りの悲鳴をあげる――
設定小話
自分が発動した火は熱く感じませんが、他の物体に燃え移ると、それはもう発動した火ではないので火傷します
他の物体が燃えている火を、ちょいちょいと操作することは、理解・制御・想像があれば可能です
50話になりました
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