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世界樹の神子は微笑む〜花咲くまでの春夏秋冬  作者: 宮城の小鳥


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47 雑な治療が残した痕

 公爵家別館の娯楽室で、弾力のあるソファに深く腰掛け、ルークは手にする魔物図鑑を()でた――エルーシアの蔵書から借りた本である。

 魔物図鑑は国ごとに分かれて五冊あり、亡国ベテルの図鑑は情報の更新が少なくなって十年ごとの発行だが、ほかは神子の国巡りと同じ順番で、毎年どこかの国の図鑑がリゲルから発行される。昨年の秋に発行され、真新しく出回っているのはサイフの図鑑であり、半年後の秋に発行されるのは、ベラトリの図鑑となる。


 ルークが開くアルニラムの図鑑は、発行から二年半が経ち、この間に多くの書き込みがされていた。

 解毒の手順が余白にぎっしり書かれたページや、ただ一文、五匹の群れで現れたとか、神子になって確認されてないなどの書き込みもあり、わずかに斜めに傾いた筆跡は整っていて読みやすい――この図鑑を渡すとき、書き込みが多いと恥ずかしそうに瞳を伏せたが、この書き込みの多さは、真剣に国を守り、背負っている証だ。


 図鑑から視線を上げると、同じく本を手にして、眉を(ゆが)めて難しい顔で読書するロズが正面に座っているが、その奥、壁際のソファで、エルーシアが文献に目を通している。

 隣のカウチではクロードが眠り、体調の確認か、時折(ときおり)顔を動かして視線を向けている。


 昨夜のきらびやかなドレスは、華奢(きゃしゃ)で可憐な魅力を引き出すために仕立てられたのか、よく似合い、うるさく騒ぐ胸を隠すのに苦労した。

 写真撮影のライトの中で微笑む姿は(まぶ)しくて、手を伸ばしてはいけない存在だと突きつけられた気がして、息が詰まった苦しさから直視できずに目を()らしたが――今の町娘風の姿も苦しくなる。


 町中(まちなか)にいそうな娘。この姿なら手を伸ばしていいのかと錯覚を起こさせるが、伸ばしてはいけない。

 なんでもない様子で町中で買い物してても、興味を引かれる物を手に取って、自然な仕草で見上げながら微笑んだとしても、それは普段の姿ではない。町中を探してもいない。


 神子のローブ姿やドレス姿、髪色まで変えた今日のワンピース姿、変貌(へんぼう)するたびに心乱されるが、どんな姿であろうと、決して手を伸ばしてはいけない。

 蓋をするのにあふれるように増す想い、足掻いて深みを増し続けるこの想いは、この先どうなるのか。


 何かあれば頼れとは告げられたが、簡単に訪ねられる人じゃない。

 依頼が終われば指南も終わり、関わりはなくなるだろう。二度と関わることがなければ、この想いは忘れられるのか、消えてなくなるのか、そのときは楽になるのか。


 魔物図鑑に視線を落として、書き込みの文字に触れる。痕跡にすら、胸がざわつく。

 出会って半月を過ぎただけなのに、世界が変わった。すべてを諦めて生きてきたのに、諦めることがつらい。想いの蓋を取り払って、指南以外でも手を取りたいのに、諦めなくてはいけない。


 髪色なんか関係ない。柔らかそうな髪に手を伸ばして触れてみたい。微笑んだ頬に触れて、重責を背負う背中に触れて、あの瞳を見つめたい。

 側に寄り添い、支えとなり、抱きしめて守りたいのに、それはできない――許されることではない。


 伸ばしたくなる手を必死に抑え込んで、ただの護衛としての務めを果たさなければならない。

 他国の荒くれ者の冒険者だ。身分も立場も違う、すべてが違う、半獣人の身がもどかしい。何も持たない身が悔しくなる。


「――なんですか?」


 不意に聞こえた声にルークが顔を上げると、ロズが不安そうな顔を向けているので、何を(たず)ねたのか問う。


「いいえ。難しい顔で図鑑を凝視してるから、そんなに恐ろしい魔物が載ってるのかと思って……討伐が難しそうなんでしょうか?」

「いや、別のことを考えていた。勘違いさせて悪かったな」


 ロズは安心したように息を吐くと、半身をひねって振り返り、エルーシアに声をかける。


「神子様。この地質学の本は、自分には難解すぎます。もう少し、分かりやすい本はありますか?」


 読んでいた文献から顔を上げたエルーシアは、首をふるふると振り、窓から差し込む、傾きかけた陽光が栗色の髪を艶やかに光らせた。


「地質学の本は、クロードのそれしか持ってきてないんです。魔法の指南書は積んでないですし、地形図は……発動と関係ないですね。あと土魔法に関係した本は……あっ、風魔法でよければ、私が口頭で指南できますよ」

「えっ、いいんですか?お願いします」


 アリッサから渡された文献を閉じると、エルーシアは二人の側のソファに移動し、一流の使い手からの指南だと期待を込めて、きらきら目を輝かせたロズに顔を向ける。


「先に、発動のクセを知りたいので、体内魔力の流れを診てもいいですか?発動せずに、魔力を手のひらに集めてください」


 ロズは大きく(うなず)き、開いた両手を勢いよくサイドテーブルの上に乗せるが、改めて目にする古傷の多さに、エルーシアは眉をひそめて、まじまじと見る。

 話に聞いたところ怪我は四年前の実地訓練で負ったものなのに、引きつった傷痕や赤みを残して盛り上がった傷痕が(いく)つもある。


「ずいぶんと雑な治療をしてますね。怪我をした現場で、外傷回復薬だけで無理やりくっつけて治したんですか?」

「いいえ。外傷回復薬で止血はしましたが、そのあと医療部に運ばれて、癒し手にふさいでもらいました。その後は五日間入院して、回復薬を飲んで治しました」

「癒しの魔力じゃなくて、回復薬ですか?」


 医療の知識なんてないから、治療の流れは詳しく分からず、何に引っかかっているのかも分からない。ロズは素直にあったことを報告しただけで、問われたことには同意して頷き、エルーシアはため息をついた。


「技量か知識の足りない癒し手が派遣されたみたいですね。調査しますので、あとでクロードに報告をお願いします」

「あっ……でも、傷痕は残りましたが、ちゃんと治してもらいましたよ」


 治療を担当した、当時まだ若かった癒し手が責められるのかと、優しさから不安を抱いたロズは、もう顔も覚えていない彼女を(かば)った。

 しかしエルーシアは、何を懸念しているのか、静かに首を振り、ロズの両手に手のひらを重ねて鼻歌を口ずさむ。


 体内魔力を診るために癒しの魔力を通過させるのだが、いつも自身がしてもらっていることをほかの者に行うのを目の前で見て、ルークの胸がちりりと痛んで眉間にシワが寄る。だが、不純な感情は追いやりたくて首を小さく振る。

 瞳を閉じるエルーシアは、そんな変化に気づけるわけもなく、重ねた手を離すと顔を真剣なものに変えた。


「怪我のあと、魔法の発動が下手になったと言ってましたよね。多少はそういうこともありますが、治療後の訓練を続けても、結果はよくないですよね?治療が雑なせいで、手のひらの魔力の流れが悪くなってます」


 ロズは目を見開き、口を歪めた――服屋で騎士として伸びると断言され、希望を胸に抱いた矢先の、失望を招く事実である。


「ようやく前向きに……自分は、ずっとこのまま、ですか?」

「治せるんだろ?」


 軽く嫉妬心は感じたが、同行中ロズはともに過ごすことも多く、ルークも心配する気持ちから思わず声をかけ、エルーシアはロズに視線を合わせながら、安心させるために微笑む。


「少し痛いですが、治療は可能です。完治まで三日から五日ほどかかるので、クロードに相談――」

「療養休暇をあげますよ」


 三人が聞こえた声のもとに顔を向けるが、クロードはカウチに寝たままである。が、お腹の上に置いた手を小さく上げた。


「目は覚めましたが、体が重くて起き上がれないんですよ。私は、なんで寝ているんでしょうか?」


 厚い絨毯の上なのに、エルーシアはぱたぱたと足音を響かせて駆け寄り、顔を(のぞ)き込んだ。

 顔色も呼吸も異常はない、体が重いのは軽い二日酔いが残っているのか。とくに心配はなさそうである――不安げな様子を見せれば気を使わせるので、いつもと変わらない口調で声をかける。


「お菓子にラム酒が入っていたのよ。美味しいからって、食べすぎです」

「しっとりとした美味しさは、ラム酒でしたか……菓子で寝るなんて年ですかね。もう食べられないのが残念です」

「王都に帰ってから、休日に好きなだけ食べればいいんです。ジェイに頼んで、残ったババはマコンに渡したから、つくってもらってください」

「そうします……それで、途中から会話を聞いていましたが、ロズには何の治療が必要なのでしょうか」


 クロードの上半身を起こして水を飲ませながら、四年前に受けた治療と、(いびつ)になった魔力の流れをエルーシアは説明する。


「癒し手については治療院に報告するけど、ロズが治療を受けたのは国境の医療部だから、騎士団でも調査や報告が必要よね?」

「ああ、そうですね。そちらは私が引き受けますよ」

「王都に戻ったら、すぐに治療できますか?」


 話題は自らの怪我の後遺症。ロズの割り込んだ質問に、クロードはにっこり笑う。


「この治療は前に見たことがありますが、痛いですよ。なので、嫌なことはさっさと終わらせましょう。それとも、王都まで待ちますか?」


 中途半端な魔法の発動が治療でどうにかできるのだ、悩みを一つ克服できる。力強く目を輝かせて、すぐにでも受けたいとロズは即答する。


「それでしたら、南西の街で一流の癒し手に治療してもらいましょう。エルーシア、私の期待する部下です。任せてもいいですか?」

「もちろんよ。手配します」


 笑顔で承諾するエルーシアを見て、ルークは胸を撫で下ろした。治療院の仕組みは分からないが、ギルド責任者である神子が請け合ったのだ、これほどの安心はない。

 その後、日が暮れる前に購入した本が届き、ルークとロズは指南書のページをめくり続け、エルーシアは表題をメモに残しながら、馬車に積む本と王都に送る本の選別を続け――クロードは(だる)い体をカウチに預けて三人を(なが)め、どう導くかと考えを巡らせた。


設定小話

魔物図鑑は全巻、馬車に積んでます

ルークがアルニラムの図鑑を借りたのは、アルニラムの魔物は東街道のしか、知らないから

この先のためのお勉強です

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