46 足掻くと深くなる
眠りこけたクロードをジェイが背負って馬車まで戻ると、ルークとロズも当然のように乗り込んだ。
馬車に送ったあと、二人は町の散策を続けると思っていたエルーシアがそのことを口にすると、次のように返事がきた。
「とくに用事もないし、本を貸してもらえたら助かる」
「購入した指南書が届いたら、すぐに読みたいんです」
それで皆で座席に落ち着き、走り始めた馬車の中で、クロードの名誉のために、エルーシアは説明を始めた。本当は、こんな酔い方をする騎士ではない。
「クロードは、本来はお酒に強いんです。強くてよく飲んでいたので、お菓子や料理に入ったアルコールに気づきにくいんです」
「そういえば、昔は二日酔いもなくて酒豪だったって、補充隊員してるときに聞いたな。あれ、冗談だと思ってたぜ」
「それなら、菓子で寝るのは変じゃないか」
「乾杯以上はダメだって聞きました」
エルーシアは左肩に寄りかかって熟睡しているクロードの髪を、右手で優しく撫でた。癒しの魔力はすでに流しているので、今は回復のための睡眠中である。
「私の耐性づくりに付き合って、体を壊しては回復させてと、何度も繰り返したせいで体質が変わって、嗅覚も低下しました。本当は好きなのに、弱くなって我慢させてるんです……今日は太陽の下でアルコールを摂取したから、まわるのが早かったんだと思います」
ルークとロズは、クロードまで耐性づくりをしていたとは知らず、しかも、耐性づくりがこれほど負担なことだとも知らず、揃って眉間にシワを寄せた。
「そんなになるまで、付き合ってたんですか」
「あんたも同じだけ薬や毒を飲んだんだろ、大丈夫なのか」
「私は子供だったので免疫がつきやすかったんですが、クロードは二十代だったので……苦労させました」
重苦しい雰囲気の中だが、ジェイは笑顔をクロードに向ける。
「心底愛した女の頼みなら断れないさ。その頼みも、エルーシア様を守るためのものだ、苦労じゃない。ウィノラに出会って、デルミーラ様を追っかける隊長の気持ちが理解できたし、子が生まれて、もっと理解できるようになった。愛する人のためなら、俺も毒を飲む」
その言葉に、ロズは小さく首を振る――知らずに口にするのも怖いのに、毒と知りながら喉に落とすなんて、恐怖しかない。恐怖を感じずに自ら望む強さは、理解できない世界のものだ。
「深いですね」
「深いぜ。俺がウィノラを追うのに挫けそうになったとき、隊長に言われた言葉だが、ガキの初恋は淡くて忘れられるけど、大人の初恋は、引きずり込まれるってさ。諦めたくて足掻いたら、底なしみたいに深みがどんどん増すんだ……まあ、成就しても深みは増すけどな」
ジェイはポケットから小さな包みを取り出し、大切な宝物のように、そっと撫でた。
手芸店で購入した土産が入っているのだが、それを見つめる目は、包みではなく、受け取るウィノラの顔を思い描いているのだろうか、優しげである。
その向かいで、エルーシアは窓に顔を向けると、瞳を閉じて拳を握り、皆に気づかれないよう細く息を吐いた。出会って半月が経ったばかり、気づいた恋心は日々膨らんでいく。
ふとした瞬間に乱れる胸を抑え、跳ねる鼓動を無視して、苦しくて切ない想いを秘めて、巻き込まないように淡々と接する。
足掻いて深みを増し続けるこの想いは、遠征を終えるころには、どうなっているのか。姿の見えない日常に戻れば、出会う前のような日々に戻れるのか。秘めたままに、この想いを手放すことはできるのか。
涙を堪えて眉をひそめ、思いを巡らせる――
※ ※ ※ ※
――ちらちらと雪が降る、年末が近づいた寒い日の午後、神子の館の玄関扉がノックの音を響かせ、居間のテーブルで書き物をしていたデルミーラは、少し間を置いて顔を上げると、眉をひそめた。
騎士隊の者なら、ノックのあと出迎えを待たずに入室するが、まだ扉は閉められたままである。
家政婦のハリエットは地下の洗濯室に下りてまだ戻らず、使い魔はキッチンでガチャガチャ音を立てている。立て込んだ書類仕事を中断されるのは気に食わないが、雪の中で待たせるのも悪い。
ペンを置いて立ち上がり、客人のために扉をあけた――館に越して間もないころ、居間を広くしたくて、隣にあった玄関ホールとの壁を取り払って一間続きにしたので、手間は少ない。
開いた先の雪の中には、片膝をついて花束をかかげた、クセのある紺碧色の髪の、お調子者のバカがいた。
顔は見えないが、髪で誰か理解したデルミーラは、声をかけることもなく、そのまま扉を閉めた。だが、直後に閉めた扉が開いてバカが館に入ってくる。
「ちょっ、閉めないでくださいよ。外は寒いんですよ」
「仕事の邪魔をするな」
「五分ください。五分経ったら戻ります」
デルミーラは返事をせずに睨み、雪で濡れて冷えた片膝を再びつくと、クロードは花束を差し出して満面の笑みを浮かべた。
「愛してます、結婚してください」
「なんの真似だ」
「はっ?愛の告白ですよ」
デルミーラは口を歪め、不快感を表に出す。これまで、クロードからそんな感情を向けられた覚えはない。
「昨日は薬も毒も飲ませていないが、勝手に変なものを飲んで、頭がおかしくなったのか?」
「いいえ、正常です。結婚が急すぎるなら、お付き合いからお願いします。心に正直になると決めました」
「正常なら正気に戻って、仕事に戻れ。遊びに付き合うほど暇じゃない、私は忙しいんだ」
笑顔のままデルミーラを見上げ、自身の任務について愚かな説明をする。愛を告げる高揚感で、少しおかしくなっているのかも知れない。
「今の僕は文献と書類を読むだけなので、どこででも仕事ができます」
「こんなバカな真似をさせるために異動させたんじゃないぞ」
「任務を疎かにはしませんし、これもバカな真似じゃありません。本気です。想いを受け取ってもらえるまで続けます」
「……分かった」
デルミーラは一言告げて花束を手に取り、玄関とは反対側にある壁まで歩き、暖炉に投げ入れた。
パチパチと弾ける薪の上で花束の包みに火が移り始め、その行動にクロードは目を見開き、わずかに抗議する。
「ちょっ、なんてことを……花の少ない季節なんですよ」
「受け取ったものだ、どう処分しようと構わないだろう。正気に戻って、仕事にも戻れ。エルーシアの迎えの時間は忘れるなよ」
クロードは二時間ほど前、エルーシアを辺境伯家の王都の館に滞在するウィノラのもとに送り届けている。
年明けに入学を控えた二人は、一緒に受ける選択授業を相談しながら選んでいるはずだ。夕刻前に迎えにいく予定である。
「分かりました。約束の五分になりますから、王城に戻ります」
クロードは笑顔で伝えると、素直に館をあとにした。突然の告白や酷い扱いにも笑顔を見せるなど、行動が理解できず、デルミーラは首を振ると再び眉をひそめた。
考えを巡らせても答えには辿り着けそうにないが、頭を書類仕事に切り替えるのも難しそうである。
夕刻、エルーシアを館に送り届けたクロードは、いつもと同じ態度に見え、一時の奇行かと忘れることにしたデルミーラだったが――就寝前ふと思いついて、エルーシアに尋ねてみた。
奇行の前に一緒にいたのだ、何か知っている可能性がある。いや、これまでの経験からすると、それ以上かも知れない。
「辺境伯の館に向かっているとき、クロードに何か話したか?」
「高嶺の花へ想いを伝えるには、どんなのがいいかって聞かれて、地球の古典の話を聞かせたわよ。あと、花束も贈るといいって伝えたわ」
「……そうか」
就寝の挨拶でエルーシアの頭にキスを落とし、振り返って口を歪める――子供相手に何を聞いているんだとの思いで。
翌日の朝食あと、エルーシアがノートとクルルを抱えて馬車置き場に向かい、デルミーラが書類仕事を始めようとしているとき、再び花束を抱えてクロードが訪ねた。
笑顔を浮かべ、片膝をついて前日と同じように愛の言葉を告げ、デルミーラも同じく花束を暖炉に投げる。
「どういうつもりだ、説明しろ」
「昨日、エルーシアを見送るとき、涙を我慢していたじゃないですか。入学したら、離れる時間はもっと長くなりますよ。不安を抱えて、どれだけ一人で泣く気ですか?もう無理です、愛しい人が泣くのを黙って見ていられなくなりました。抱きしめて、慰める権利をください」
自身の弱さや不安を見透かした目と、そのうえで求めるように伸ばされる手――デルミーラは口を歪めて噛みつく。
「無理だ、分かっているだろ!」
「二人のすべてを受け入れます。デルミーラ様が母のように守るなら、僕は父として守り、二人を愛します」
「私は母じゃない、ただ引き取っただけだ。問題は一つや二つじゃない、私の……私たちの世界に足を突っ込みすぎるな。諦めろ」
「諦めることができなかったから、すべてを受け入れるんです」
立ち上がって真顔になると、デルミーラを正面から見据え、栗色の瞳に意志の強さを込める。
「僕はすべてを受け入れて、すべてを覆す覚悟を決めました」
「その覚悟は隊長になるのに向けろ、私は誰とも添う気はない。自分のことを『僕』なんて呼ぶ、八つも年下のガキと付き合う気は、もっとない。諦めろ!」
怒りか不満か、顔を歪めて睨むデルミーラに、クロードは不敵な笑みを浮かべて見せる。
「でしたら、これからは『私』と改めます。年の差は、愛の深さで埋めますよ。今日は護衛の予定もないので王城へ向かいますが、また明日も告白に伺います。私は、想いを受け取ってもらえるまで続けますし、今後は誰の前でも膝をつきますので、デルミーラ様こそ諦めてください」
伝えたいことを述べたクロードは背を向け、振り返らずに館をあとにした。
その場で三度も床を踏み鳴らしたデルミーラは、深呼吸で気を落ち着けると思いついたことがあり、長い三つ編みを大きく揺らしながら馬車置き場へと急いだ。これは、確かめるべきだ。
「エルーシア。昨日、クロードに聞かせた古典はどんな話なんだ、教えろ」
「憧れの人に想いの深さを伝えるために、百日続けて通う話よ。百日目に悲しい別れで終わるけど、想いは伝わるの。クロードも伝わるまでやってみるって」
常に側にいるクロードへの応援か、恋心の相手をまだ知らないエルーシアは微笑み、デルミーラは奥歯を噛みしめて小さく唸った――
設定小話
エルーシアの語る古典→小野小町の百夜通い
ラストは色々なパターンがありますが、想いは届きます……重い愛の話ですね
エルーシアは夢で知った話なので、ふんわりとしか覚えてません




