表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
世界樹の神子は微笑む〜花咲くまでの春夏秋冬  作者: 宮城の小鳥


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

40/320

40 サイフ公国の神子

 箱小屋の隣人たちは早朝の薄暗い中を出立し、夜番の騎士がそれを報告すると、警戒する相手ではなかったと皆は安堵(あんど)し、普段と変わらない野営地の朝を過ごした。


 しかし昨夜の遅い時刻、クロードは外傷回復薬の缶にメモを入れ、薄い布包みの上に重ねると、見張りの騎士が巡回している隙をついて、隣の小屋のぴたりと張ったシートの隙間に差し込んでいた。


 先日の夜、(こぶし)の怪我をエルーシアに知られないようにと、一晩に何度も塗りつけて(から)にした缶が、ここで使われたことは誰も知らない。


 ※ ※ ※ ※


 サイフ公国は、大陸の中で、海に面した唯一の国である。

 かつてこの地は、塩や海産物が豊富にあるのに、痩せた土地が広がる中に世界樹の森が存在していたため、森の近くで農業や畜産を行えず、小国と小さな集落が点在するだけで、魔物におびえて暮らしていた。


 しかし、アルニラム王国の地盤が固まりつつあった時代、当時の王弟殿下が小国の姫と縁を結び、大公となって建国した。

 そのため、アルニラム王国とサイフ公国は親交が深く、二国間だけの取り決めも多くあり、長く続いた支援によって、痩せていた土地は肥沃(ひよく)なものへと変わり、それとともに国も発展していった。


 サイフ公国の街道も、流通の利便性のために整備されており、一行は緑の鮮やかな竹林を(なが)めながら、目的の町に向かった。

 (いく)つかある町の門のうち、寂れた小さな門をくぐると、すぐに街道をはずれて田舎道から丘を登り、夕刻前には公爵家の館に到着した。門前で待っていた執事の案内で別館に通されると、秋の国巡りで何度か見たことのある侍女二人の手で、エルーシアは二階の寝室に連れられ、飾りたてられた。


 光沢のある淡藤(あわふじ)色の生地に、レースをふんだんに使ったドレスは、肩や背中も隠した肌の露出の少ない上品な仕立てで、胸の下の切り返しから、ふんわり膨らんでいる。

 いつもは簡単に結っている髪も、ハーフアップではあるが、細かく編み込まれて真珠のついた髪ピンが()され、されるがままのエルーシアは、紅茶を飲みながら侍女たちに(たず)ねた。


「ドレスのサイズが合っているのですが、なぜでしょうか?」

「エルーシア様がお国でドレスを仕立てている工房は、支店がサイフにもございます」

「このドレスは、多少のサイズ違いなら、背中のリボンで調節できるデザインに仕立ててあります」


 侍女たちから返される言葉に、いつ用意したのかとの疑問も頭に浮かび、再び尋ねると、すぐに返答がくる。


「季節を問わず、いつでも対処できるようにと、ご用意いたしております」

「アリッサ様は、エルーシア様を大切なご友人と想われております。ドレスと真珠は、贈り物としてお受け取りください」


 大切に想われるのは嬉しいが、ドレスは決して安い物ではないし、真珠のピンも幾つ挿したのか数えていない――お返しが、絵本数冊では釣り合わない。

 あとでクロードに相談しようと、化粧された頬を少し引きつらせ、エルーシアは心に決めた。


 サイズの合ったパンプスを履くころには、日が落ちて晩餐の時間も近づき、いつもと同じ濃灰色の騎士服のクロードが迎えにきた。

 滅多にドレスに身を包まないエルーシアの変貌(へんぼう)に、侍女たちの目も気にすることなく、満面の笑みを浮かべる。


「とてもきれいですよ。エスコートできる光栄をいただき、感謝しなくてはいけませんね」

「なぜ、クロードは騎士服のままなの」

「私は護衛騎士ですからね。今夜のドレスは爪がレースに引っかかるといけませんから、クルルは私の肩か、胸ポケットに入りなさい」


 寝室に通されてから、仮面とマントを脱ぎ捨て、小さい体で部屋のあちらこちらと駆けて遊んでいたクルルは、後ろ脚で立ち上がるとキュルキュル鳴く。


「警戒しなくても、つまみませんよ」


 クロードの言葉を聞いて、クルルはジャケットに飛びかかると、そのまま駆け上がって肩に落ち着いた。

 ルークと騎士たちは先に向かったとのことで、ランタンに照らされた飛び石の散歩道から、本館へと二人だけで歩を進める。


「雑務員の二人は、こちらの馬車で()ちました。マコンは他国の料理人たちと話がしたいらしくて、晩餐の席ではなく、使用人食堂で食べるそうです」

「ルークは、今夜も騎士服に着替えたの?」

「いいえ。着替えさせましたが、いつもの服ですよ」


 無地の襟付きシャツに、ポケットの多いゆとりのあるパンツ、ごついベルトに剣まで下げている。冒険者に多く見られる服装は、公爵家の使用人にはどう受け取られるのか――眉をひそめたエルーシアを、エスコートしながらクロードが(のぞ)き込む。

 幼いときから見てきたのだ。話の流れから、何を思案するのかは読める。


「大丈夫ですよ、アリッサ様は騙せません。使用人もよく教育されていますので、客人に不快は与えませんよ」

「そうならいいけど……」


 小さくため息をついて、ルークのことを思い浮かべる。恋心を隠そうと神子の表情(かお)を貼りつけるが、上手くいかないときが増えている。

 視線を()らし、ぎこちない態度で不快感は与えてないか、不安になる。


 昼の川べりでは、二人きりになった焦りから、聞くべきではない質問までしてしまったが、重い空気を取り払うような軽口に、救われた。

 街道を走る馬車から隠すように(かば)われたときは、危機感より先に、広い背中に胸が高鳴った。


 護衛として、十分に守ってくれている。依頼とは無関係なのに、アリッサとの談話での同席も快諾してくれた。

 これ以上、不快な思いをさせないように、迷惑をかけないように、巻き込まないように、気をしっかり持たなくてはいけない。



 足を踏み入れた本館の食堂ホールは、広くて豪華であった。壁を飾る絵画は領地の海辺を描いたものが多く、細工の細かいシャンデリアがきらびやかな明かりを灯し、テラス窓からはランタンに照らされた庭が一望できる。

 長テーブルには晩餐を始める用意がされ、鮮やかな花も飾られている。しかし、誰一人と座っていない。


 先に到着していた皆は、一角にある木目のきれいなピアノの横にスツールを並べて腰を下ろし、耳を傾けていた――騎士の一人が曲を奏でている。

 二人の足音が聞こえたのか、ルークだけが顔を動かし、ピアノの音がゆっくりと終わりの旋律になり、最後の鍵盤を弾いたとき、皆の拍手が鳴り響く。クロードも拍手をしながら、その一角に近づいた。


「付き合いは長いのに、そんな特技があるとは知りませんでしたね」


 裕福であっても、庶民には楽器は高価なものであり、学ぶ機会は少ない。貴族の出であっても、男性が演奏を身につけるのは、そう多くはない――跡継ぎ以外の子息は、騎士や文官を目指し、剣技や攻撃魔法、法律など学ぶことが多いからだ。

 胸を張って自慢してもいいのに、その騎士は鍵盤を()でて肩をすくめた。


「母が音楽教師だったんですが、多忙で三曲しか習えなかったので……エルーシア様、素晴らしくお似合いです」


 振り返り、クロードの腕に手を添えたエルーシアのドレス姿を確認すると、声を大きくした。

 つられて、スツールに腰掛けていた騎士たちも振り返り、また拍手する。


「おお、王城の夜会に出るときみたいですね」

「サイフの神子様は、用意がいいですね」

「神子様はドレスも着こなすんですね」

「折角ですから、二人で踊りますか?一曲ですがワルツも弾けますよ」

「いいえ。エルーシアも成人しましたから、やめておきましょう」

「それなら、私と一曲どうかしら?」


 突然加わった透きとおるような声の主は、浅緑(あさみどり)の目を優しげに細めて、エルーシアを見つめながら、優雅な足取りで入室してきた。

 目を引く赤橙(あかだいだい)色の髪を高い位置で結い、小粒の歪な(バロック)真珠が幾つもぶら下がる髪飾りを挿し、肩を大きくあけたマーメイドラインのドレスを身にまとう、やや背の高い(あで)やかな女性。サイフ公国の神子、アリッサである。


「素敵なドレスと髪飾りをありがとう。感謝します」

「ドレスは、急な声かけに応じてくれたお礼よ、よく似合っているわ。そうでしょ、クロードウィッグ」

「はい、久しぶりにドレス姿を目に入れることができました。お心遣いに感謝いたします。アリッサ様も、エルーシアと同じく、今夜のドレスがよくお似合いです」


 浅緑色のレースを重ねた琥珀(こはく)色のドレスは、彼女と彼女の夫の瞳の色。仲の睦まじさを知っている者なら、いくら艶やかであっても、下手に誤解を招くような声はかけない。


「夫に教えていたから、男性パートも踊れるのよ。私のほうが背もあるし、リードするわ」


 差し出される手は、断られることを予測していない。が、エルーシアは迷うことなく、感謝の気持ちで手を重ね、再び指を鍵盤に乗せた騎士が尋ねる。


「お二人の神子様、ワルツでよろしいですか?」


 二人の神子が(うなず)き、曲がゆっくり流れ始める――アリッサがステップを踏むと、ドレスの裾がひらりひらりと揺れ、エルーシアがターンをすると淡い蜂蜜色の髪が揺れ、裾がふわりと舞う。光沢のある生地がシャンデリアの光を受けてちらちらと輝き、旋律にあわせて真珠がきらきらと輝きを放つ。

 女性同士のダンスは華やかで、皆は息をのんで目を奪われる。


「あなたの騎士たちに、質問をしてもいいかしら?」

「断っても質問するでしょ。でも、皆を信頼しているから大丈夫よ」


 踊りながらアリッサがささやき、エルーシアも微笑みながら、ささやき返す。

 曲が終わり、最後のターンを大きく踏んでまわると、騎士たちから拍手の嵐が送られ――ルークは拍手をしながら、いつの間にか止まっていた呼吸を再開させた。


 川べりで見せたような、無邪気さを含んだ笑みから一転し、神子として微笑む、国が敬う絶対的な姿が目に焼きつく。

 美しく着飾り、堂々とした存在は、手を伸ばしてはいけないと知らしめるが、次々とあふれてくる魅力から目を()らすことが(かな)わず、蓋をする想いは深さを増していく。


 ダンスが終わっても、まだ手を重ね合っているアリッサに、クロードは近寄ると頭を下げた。


「食事の前に、願いたいことがあります。エルーシアに癒しをいただけませんか?」

「どこか悪いのかしら」

「どこも悪くないわよ」


 アリッサは淑女らしい笑みを浮かべて隣に視線を向け、エルーシアも微笑んで即答するが、クロードは首を横に振る。


「食がずいぶんと細くなっています。これから先の遠征のために、体調を整えたいのです」

「相変わらずの過保護っぷりね」


 くすくすと笑い、重ねている手へと癒しの魔力を流し、エルーシアは体に流れ込む温かな魔力に、ほうっと小さく息を吐く。


「ありがとう。アリッサにも必要かしら」

「私は大丈夫よ、癒し手の侍女がいるから。あなたも、一人くらい癒し手を雇ったら?」

「癒し手は貴重だもの、治療院に必要な存在よ」


 アリッサは胸の内で貴重の重さが神子とは違うと思いながらも、否定することなく目を伏せた。


「デルミーラも、癒し手を側に置かなかったものね」


 晩餐の時間か、使用人たちがワゴンを押して入室し、それを横目に見て、アリッサは騎士たちに声をかける。


「私も、食事の前にお願いがあるのよ。エルーシアを裏切らずに守れるか、皆さんに尋ねてもいいかしら?」


 騎士たちは、他国の神子からの突然の問いかけに戸惑い、クロードに視線を寄越すが、信念を胸に抱くジェイが真っ先に口を開いた。


「誓います。身を盾に、何があろうと守り抜く」


 それを聞いて、次々とほかの騎士たちも同意の誓いを述べる。


「あなたは、どうなのかしら?」


 アリッサの視線の先は、なぜか一人だけ騎士服を着ていない、冒険者らしき男性。

 ルークはエルーシアを見つめ、問いかけに応じる。


「誓おう」


 やや低い声で返す短い言葉は力強く、エルーシアの胸が大きく跳ねる。


設定小話

アリッサは夫がいるので、親しくても、他の男性を愛称で呼びません


お読みいただき、ありがとうございます

気に入っていただけたら、ブックマーク、★評価、いいねをお願い致します

これからの、励みになります

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ