04 序幕・救出
仕上がった書類を手にしてデルミーラが村に戻ると、アインの傍らには騒いでいた男女が地べたに座り込み、火傷の男性も寝かされたままだった。
集まっていた村人たちは家にでも帰ったようで人混みはない。
取りあえず火傷の治療は必要かとデルミーラが触れてみるが、明日の朝を待たずに完治するほど、すでに癒しの魔力が体に満たされている。
流した魔力で回復力を上げ、治癒のために体が睡眠を強いているのかと独り合点し、この村に癒し手がいるのかアインに尋ねるが、否定された。
「村長代理は亡くなり、先代村長の息子が私欲で村の采配をとっていた。ベナットを近くの町の第三騎士団の詰め所に向かわせたが、領主にも確認が必要だろうな。村人に聞き込みをしているところだ」
アインは苦々しそうにオアマンドを睨んで報告し、オアマンドも睨み返している。
「あいつがすべて悪いんだ。親父も母さんも殺して、俺から奪ったんだ……婆さんも、あいつにかかりっきりで死んだんだ。あいつがすべてを邪魔する……だから俺は、村長の資格も取れなかった。でも、先代の息子が村長になるのは当然だろ、なんで責められるんだ!」
アインは眉間を少し揉み、冷静を保つ――苛ついている時のクセだ。
「すべて言いがかりで、自己中心的だな。国の定めで資格が要る、資格もない自称村長が勝手し放題か。村人たちは聞き込みに協力的だ、次々と罪が報告されてるぞ。風読みの民の死亡を国に報告してないが、後継者はどこにいる、支援金はどうした、研究の妨げは罪だぞ」
「婆さんの後継者は母さんだ。母さんのあとも、あいつには継がせないぞ。すべて俺と妻のものだ!」
「その母さんは出産で死亡している。あの子では幼すぎる。そもそも、お前たちは風読みを学んでいないだろう、何一つお前たちのものじゃない!」
風読みの民とは、専門の知識を学び、日々の風の流れを記録して研究する者たちのことだ。風の流れは世界樹のマナの拡散、瘴気の濃度、魔物の発生に大きく関わるので、国から研究支援金が出る。
王国の東西南北に風読みの村はあるが、特産もない辺ぴな場所でも暮らしに不自由しないのは、村存続のための支援金や配給があるからだ。そのため、風読みの民が後継者なく死亡した場合は、国へ報告し、新任者の移住が必要となる。
一人の騎士がアインに書類を渡し、オアマンドをじろりと睨んでから立ち去った。小さな村なのに、経験ある騎士ですら苛つかせるような情報が、次々とあふれ出てくるのだ。睨まずにはいられない。
アインはその書類を一読し、険しい顔をして、また眉間を揉んだ。
「配給を盾にとって村人も脅したか、とんだクズだな……なぜ妹を孤児扱いした。子供への虐待も罪だ、子は未来を担うと聞いたこともないのか?邪魔なら孤児院に送れば――」
「記録に残るのに、邪魔だからって、村長が孤児院になんか送れるわけないだろ!」
身勝手で理解できない主張ばかり聞かされて怒りが湧き上がるが、確認したいことのあるデルミーラは、蹴り飛ばしたい衝動を抑えながら尋ねる。
「空に消えた火炎はなんだ。何が起こった」
それに応じたのはオアマンドではなく、喚き疲れ、うなだれている妻だった。
「あの子が、弟を燃やしたのよ……魔力が暴走したのよ。篝火の炎が一気にあの子に吸い寄せられて、弟を燃やして炎は空に弾けたわ」
「魔法抑制の腕輪を着けていたぞ。それに燃えたのはエルーシアの腕だろ。火炎は弾けてもいない、本当のことを話せ」
魔力の扱いを学ぶ前の子は、魔法の発動を抑える魔道具の腕輪を着ける義務があるが、エルーシアの左腕にも治療前からあり、今も着けたままだ。銀鼠色の腕輪は、破損していなかった。
「でもあの子がやったのよ、篝火が消えるのを見たもの。弟は倒れているし、ふふふっ……ただ、邪魔な子を弟に頼んで、売ろうとしただけじゃない。ふふふっ……いつになったら弟を治療するのかしら!」
壊れたように笑い、小さなムチをブーツから抜き取ってデルミーラに向けて振るった。が、アインが瞬時に叩き落とす。
怪我をせずに済んだが、ムチを目にしてデルミーラは怒りで顔を歪めた。
「エルーシアの背中は、貴様の仕業か!」
手にした書類を握りしめて振りかぶるが、即座にアインに押さえられ、オアマンドは妻の前で盾となり、庇いながら叫ぶ。
「妊娠してるんだ、暴力はやめろ。生まれてくる子のために邪魔な子を遠くに売ろうとしただけだ!」
デルミーラはぎりっと音が聞こえるほど奥歯を噛むと、先ほどからの怒りにさらなる爆弾を落としたオアマンドを勢いよく蹴り上げる。
「どの口が暴力やめろだ、ふざけるな!」
蹴り足りなくてデルミーラは足をばたつかせるが、アインに抱きかかえられ――これ以上は収拾がつかないと判断したアインは、近くにいた騎士たちを呼ぶ。
「神子への傷害未遂だ、重罪人二人を拘束しろ。第三騎士団の到着まで見張りをたて、ほかの者は聞き込み継続を頼む」
「アイン!下ろせ。ゴミをゴミらしい姿に変えるだけだ」
喚き暴れるデルミーラは抱きかかえられたまま馬車へと送られ、古参騎士の一人がこぼす――三十も近いのに落ち着かないと。
近くにいてやり取りの聞こえた騎士たちは、無言で同意した。
※ ※ ※ ※
馬車の中にある向かい合わせの二つの横座席は、座面の半分を覆うように簡易寝台が置かれ、エルーシアが昏々と寝ているが、座る広さはまだ十分にあり、シワだらけの書類を読むアインの前で、デルミーラは幼い子に視線を向けながら考えを巡らせた。
この場で静けさを破るように先に口を開いたのは、デルミーラ。
「火傷を負った皮膚は治療したが、その下の組織は自然治癒させるしかない。癒しの魔力を体に満たし続けて、十日前後でよくなるはずだ」
「後遺症は?」
「暫く筋肉の痛みはあるが薬で抑えられる……今夜の推測を話してもいいか?」
アインが書類からデルミーラに視線を移して頷くと、デルミーラは辿り着いたばかりの結論を伝える。
「火炎のもとはエルーシア、この子の魔力暴走だ。風魔法で篝火から炎を引き寄せ、燃えるのと同時に治療した」
「この子は癒しの魔力を持っているのか?だが、あり得ないぞ、抑制の腕輪があるじゃないか」
デルミーラは眉をひそめて首を横に振り、指摘を否定する――あり得ないことが起こっているが、不可解な現象の答えは、これしか残っていない。
「万全じゃない、抑えきれないほどの魔力があふれた発動は機能しなくなる。大人を対象とした、破損を防ぐ仕組みだ。腕輪を開発したのは神子だ、仕組みは熟知している……抑えきれない魔力を持った幼い子が、想定外なんだ」
「そう、か……それで、風魔法の根拠は?」
「火の魔法が使えるなら篝火の炎ではなく、発火させればいい。それに、発動させた魔法の火なら本人に熱の影響はないが、二人とも火傷を負っているから火の魔法は除外」
アインが無言で促すので、デルミーラは一呼吸置いて続ける。
「水魔法も土魔法も除外できる。でも風魔法なら、煽って引き寄せることが可能だ。引き寄せた炎で燃えて、二人は火傷を……いや、炎を引き寄せて熱風を巻き起こして、空に弾いたのか。だからエルーシアの腕だけが重傷になるほど燃えたんだ」
「理屈は通るか……治療したにも根拠があるのか?」
「性悪女の弟の体は癒しの魔力で満たされていた。それと大気にも残っていたぞ。風魔法を暴走させるのと同時に癒しの魔力も放った結果、大量に流れ込んで魔力酔いで倒れて、このまま朝には回復だ」
説明された内容を理解しようとアインは少し考えるが、不可解だとデルミーラの顔を覗き込む。
「そんなこと、学んでいない子供ができるのか」
「学んでいないから、理解も制御もなく、想像だけで魔力暴走が起こるんだ……エルーシアが想定外の魔力保持者だっただけだ」
二人はその後、暫し無言のままエルーシアを見つめ、この間に第三騎士団が到着し、騎士隊の皆は引き継ぎをして休息に入った。管轄が異なるので、お役御免となるのだ。
翌日からも続く遠征を考えると短い休息だが、馬車から降りたデルミーラが薬湯を振る舞い、疲労を軽減させた。
村人たちから差し入れされた宴席の料理で腹を満たし、十分な広さがあるからと家畜小屋に寝袋を並べて就寝――毛刈り前の、もこもこした羊たちに癒された。
※ ※ ※ ※
翌朝、デルミーラが食事もとらずに馬車のタラップに座って書類を作成していると、駆けつけた領主や第三騎士団の支部隊長との話し合いを終えたアインが、二つのカップを手にしてやってきた。
コーヒーを渡しながらエルーシアの様子を尋ね、無言で首を振る返事をもらう――まだ目覚める気配はない。
「罪人の王都護送が決まったぞ」
「王都に?」
デルミーラは書きかけの書類から視線をはずし、続くであろう説明を求めてアインを見上げた。
「二人は罪を重ねすぎた。この領地で裁くには手に負えん。それと、さらに一人増えるな」
「性悪女の弟か?」
「そうだ。さっき目を覚まして第三が取り調べを始めたが、罪状の関連もあるから決まりだろう。それであの子なんだが、領主がいるから預けて町の孤児院に――」
「引き取る」
話を最後まで聞かずに書きかけの書類を突き出し、デルミーラは決意を口にした。
渡された養育に関する書類にざっと目を通し、無理だとアインは断って書類を押し返すが、力強い目で睨まれる。
「無理を通せ。魔力暴走の危険がある子だぞ、どこが引き受ける?私なら対処できる」
「そうじゃない。いや、それも問題だが、お前に子供相手は無理だと言っている。急に母性でも芽生えたか」
従兄妹で親友同士、幼いころから常に一緒の二人の間に遠慮はない。
「母性はない、女もとうに捨てた。子供が欲しいわけじゃない……でも、エルーシアには導く大人が必要だ。私ならできる、必要なら子守を雇う」
「それでも、暴走の危険がある子供を神子の側には置けない。孤児院が不満ならほかを探せばいい」
アインに譲る気はないが、デルミーラも同じだ。
「魔力の扱いを覚えれば暴走は抑えられる。学校じゃなくても、私なら風と癒しの両方を指南できる」
「それなら、学校の教師に育てさせればいい。もう第三の書類に魔力暴走の事実は記載されてるんだぞ、無理だ」
デルミーラは爆弾を落とす。
「昨日は譲らずに謝る羽目になったのに、今日も譲る気はないのか?」
「………」
一気に畳みかける。
「夢のお告げが六度も救出を願った子だ、手放す選択肢はない。エルーシアは世界樹の神子になるぞ」
アインは書類の残りの記入を引き受けた。あと、第三に嘘の報告も必要かと考える――抑制の腕輪は破損していたと。
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泣きながら書いた書類がしわくちゃになったことを……
クロードは知らない
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