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31 発想と価値観

 ――神子の館の居間で、デルミーラはソファに勢いよく倒れた。


「上出来だ」


 一言の(つぶや)きと一緒に、満足げな笑みもこぼれる。



 癒しの魔力と同じように、自然治癒力を上げる飲み薬である回復薬だが、従来の回復薬はお粗末なものだった。

 材料の一つである世界樹の素材を、加工しないままに扱えるのが神子だけなので、回復薬の研究も同様に、神子にしかできないことである。誰も、試作で貴重な素材を無駄に消費できないから。

 

 学生のころから自身の魔力量に不安があったデルミーラは、それを補うために薬草学を熱心に学んでいたので、神子になってからは、時間を見つけては回復薬の改良を研究していた。

 しかし、薬草を変え、調合を変え、手順を変え、色々と試し続けたが、お粗末な回復薬を超えるものはできなかった。(まれ)に良品もできたが、薬草エキスの質が一定にならず、量産できるものではなかった――それが、エルーシアの発想で乗り越えられた。


「薬草のエキスを濃縮還元したら?」


 意味を問うと、青白い顔をほころばせながら説明する。出会ったころより、ずいぶんと前世のことを伝えるのが上手くなった。


「ファミレスのジュースであったの。たくさんの果汁を絞って、濃縮したのを水で割ると美味しいジュースに戻るのよ。遠くに運ぶのも楽になって、どこでも同じジュースが飲めるの」


 人々は、暮らしに精一杯である。魔法があり、武器を扱える者が多いとはいえ、魔物があふれ、豊かで平和な環境とはほど遠く、研究や開発に没頭できる者は少ない。

 ゆえに、地球で生きた前世の記憶という知識に、助けられることが多かった。この世界で生まれた知識や魔道具もあるが、多くの発想は、地球からもたらされたものだろう。


 馬に荷車をつないだだけの馬車は、彼らの知識で、箱馬車や幌付きの荷馬車へと変わり、王都内には馬車鉄道も走っている。

 生活排水をそのまま川に流し、川や湖から魚が減ったときは、排水浄化の発想から、ろ過施設があちこちに建設され、下水道も発達して街道が整備され始めた。それに伴って運送ギルドができ、町や村、国同士の交流も盛んになった。


 冒険者ギルドができて、魔物におびえることが減り、ほかにも多くのギルドが生まれ、豊かで暮らしやすく変わり始め――飛竜(ドラゴン)の災害が起こり、世界樹のマナの均衡(きんこう)が崩れ、前世の夢を見る者は減り、地球の夢を見る者は途絶えた。

 百年以上も途絶えていた、地球から新たにもたらされる知識や発想は、目を見張るものが多かった。


「ファミレス……は、分からないな。だが、濃縮したうえで希釈(きしゃく)する発想は面白い。意味がなさそうだが、大量に行えば質のばらつきを一定にできるか……まだ顔色が悪い、もう少し寝ていろ」


 幼いエルーシアの頭を()でたあと、デルミーラは癒しの魔力を少し流した。昨夜飲んだ(しび)れ毒がまだ残っている様子で、ふらふらした足取りだったが、使い魔が抱き上げて寝室へと運ぶ。

 同量の痺れ毒を飲んだクロードはまだ館を訪れていないが、宿舎から動くことも困難な状態か。お粗末な回復薬しかないがあとで誰かに届けさせるか。そんな考えを頭の片隅に、使い魔の黒い大きな後ろ姿を見送って、デルミーラは地下の作業部屋に向かった。


 それから数日、濃縮方法はどれを試すか、水溶液はどれにするかと悩みながら、六十本の回復薬を試作した。濃縮した薬草エキスは、まだビンに半分以上も残っている――この方法で完成できたら、運搬もずいぶんと容易になりそうだ。

 二十本ずつ、三つの治療院に届けさせ、さらに数日経ち、配達された治療経過の書類を一読して、呟きとともに、デルミーラは笑顔でソファに倒れたのだ。


「デルミーラ、どこか痛いの?」


 ラグマットの上で薬草図鑑を(なが)めていたエルーシアは、青白い顔でソファに駆け寄り、手を広げて迎えたデルミーラは、優しく抱きしめる。


「違うぞ、エルーシアのお陰だ。回復薬が完成するんだ」

「いいこと?」


 首を傾けるエルーシアは不思議そうな顔になる。治療にはデルミーラが全力であたるから、お粗末な回復薬なんて飲んだことないのだ。望まれている薬だと、どれほど理解しているのか不明。

 それで、青い顔でソファに丸くなっていたクロードが、子供でも分かりやすいように説明したくて、口を開く。

 


「凄く、いいこと、ですよ。癒す、飲み薬です……うぷっ」


 しかし説明の言葉は続かず、その様子に、デルミーラが不愉快そうに、じろりと(にら)む。


「吐くなら、館から出ろ」

「いや……いきなり、嘔吐(おうと)薬、飲ませたの誰ですか」

「エルーシアの嘔吐は治まったぞ」


 クロードは片手で口を押さえ、もう片方の手で胸の下をさする。


「胃の中が……暴れているんです。僕は今、動けません……うぷっ」


 デルミーラはため息をついてクロードの側に寄り、肩に手を乗せ、癒しの魔力をその体に流した。


「ありがとう、ございます」


 酷い仕打ちにも健気に感謝を伝えると、クロードは目を閉じた。このまま、回復のための仮眠に入るのだろう。

 エルーシアは一連を眺めていたが、傾けていた首を戻し、短くて足りない説明から何かを思いついたようで、口にする――飲む薬ができたなら、次は怪我を治す塗る薬だねと。


「「!」」


 眉をひそめて目を閉じたデルミーラと、閉じていた目を見開いたクロードに、無邪気な笑顔が向けられる――


 ※ ※ ※ ※


 遠征を続けながら、ルークは指南を夜ごとに受けて昏睡するが、夜番は任されおらず、魔物に慣れている騎士隊では問題も起こらなかった。

 開始して三日目、この日も箱小屋で夕食を済ませると、魔力の指南をエルーシアから受けた。手を重ねて、体に癒しの魔力を通過させることを数分、二度続け、二度目が終わって手が離されたとき、妙な感覚がルークの右手に残った。


「癒しの魔力のほかに、変なのがあるな」


 エルーシアは立ち上がろうとしていたが、その言葉を聞き、また木箱に腰を戻す。


「何か、感じましたか?」

「どう表現すればいいか分からんが……」


 手のひらに視線を落とすルークの、眉間に寄せられたシワを見て、エルーシアは提案を口にする。


「すでに私の魔力を感知してますから、いつ自身の魔力を感じても不思議ではないですよ。今夜は、もう一度試しましょうか?感覚が残っているうちに」

「……頼む」


 エルーシアの手をちらりと見て、尻尾をゆらゆら揺らしつつ少し考えてルークは答え、再び膝を突き合わせ、互いの両手のひらを重ねる。

 エルーシアは鼻歌を口ずさみながら、右手から癒しの魔力をルークの体に流し、しなやかな魔力を誘導するように撫でて、自身の魔力だけを左手に戻していく。


 ルークの耳に旋律(メロディ)が届き、左手から温かな魔力が流れ込み、胸の奥が刺激され、体を通り抜けるそれを逃したくないと抵抗しているのか、内側に絡まって熱を帯びるものを感じとる。

 終わると、眉間のシワを深くして右手を凝視する。


「流れるってより、絡まってる……のか?」

「感じ方は個人で多少違いますよ。私には、ルークの魔力はしな……すみません。魔力の印象は話さないほうがいいですか?」


 魔力が見えるわけではないが、つられてエルーシアもルークの手を覗き込んでいる。

 ルークが右手から視線をずらすと、瞬きのたびに揺れる長いまつ毛の一本一本が分かるほど顔がすぐ近くにあり、胸をどくんと跳ねさせる。


「……いや、どんな魔力か聞いてもいいか」

「しなやかに感じます……ね」


 話しながら顔を上げたエルーシアは、その近さに驚いて立ち上がると、テーブルの向こう側で副隊長たちとやり取りをしているクロードに声をかける。


「馬車に戻ります。送りは大丈夫です」


 それだけ告げ、すぐさま背を向けて歩き出し、クロードは追うよう指示し、テーブルで食後の毛づくろいをしていたクルルは大きく跳ねて、エルーシアのもとへと走り去った。

 連絡板をぱたんと裏返しにテーブルに置き、涼しげな顔で口角を上げて、何かあったのか問い、ルークは右手のひらを振って見せる。


「いや、魔力を感じたみたいだ」

「それでは、明日からは掴む訓練ですね」


 告げ終わるのと同時に表情を真剣なものに変え、クロードは小屋の中を見まわす。夕食を先にとった騎士たちは、見張りに立つ騎士と交代すべく呼びに出ているのだろうか、小屋内は二人だけである。


「今、いいですか?」


 ルークが(うなず)くと、クロードは連絡板を表に返した。カティから土産でもらった連絡板は、二枚をエルーシアが馬車で保管し、残りの二枚を運送ギルドに託して王都に送ったが、まだ副隊長たちのもとに届いていないので、欠けた連絡板を使用している。

 それには、クロードとは異なる筆跡で、ルークの経歴が書かれていた。


 身元を明かす証明の所持はなく、捨て子として五歳で保護され、孤児院に預けられた。父、母の情報は不明なこと。

 八歳で里親に引き取られるが、鉱山で働いていたことや、未成年者の労働の規制により、十三歳で別の孤児院に送られたこと。十六歳で冒険者ギルドに登録し、リゲルの各地で討伐が目覚ましいなどと簡潔に。


「里親ではなく、人買いだ」

「了解なく調べたのですよ。不快では?」


 なんでもないことのように、一点を指差して情報の訂正をするルークに、クロードは眉をひそめた。が、ルークは表情を変えずに連絡板を眺め続ける。


「雇うときは、経歴を調べるもんだろう」

「そうですね。東街道での依頼は数日だったので省きましたが、今回は一月(ひとつき)もありますから、指示を待てずに副隊長が暴走したようです」

「なんだ、あんたの指示じゃないのか?」

「そのうち(たず)ねる予定でしたが、勝手に調べるつもりはありませんでしたよ。二人はルークに会っていないので、心配からの暴走でしょう。隊の責任者として謝罪します」


 クロードはテーブル上で、躊躇(ちゅうちょ)なく頭を下げた――半獣人だと(さげす)むのではなく、人として尊重する姿勢に、ルークはむず(がゆ)さを感じながらも、連絡板の最後に書かれた一文が気になっている。


()()()()の可能性あり……意味を知っているのか」


 このまま会話を続けるつもりだったが、二人の騎士が小屋に入ってきたので、クロードは連絡板の文字を素早く布で拭き、場所を移しましょうと短く告げて立ち上がった。

 夕食を皿に盛る騎士たちに、食後に魔力上げの手伝いを頼むと小屋を出て、ルークも無言で後を追う。


 箱小屋から少し離れた場所に石壁をつくり、二人はそれを背にして座る。ランタンは持ってこなかったが、小屋から届く明かりで十分に見える。

 人里離れた静かな場所だから、魔物が近寄れば音でも気づきやすい。逆に、話し声も響きやすいか、会話は小声で再開された。


「意味は知っています。ですが、副隊長に悪意はないと……いいえ、言い訳になりますね。すみま――」

「いや、謝ってほしいわけじゃない。意味を知ってて、側に置く気なのか」


 ルークは怪訝(けげん)だと睨むが、クロードは優しげに目を細めた。


「何も変わりませんよ」

「変な奴だな」


 クロードは、箱小屋の隣に停めた馬車に視線を向ける。


「副隊長の二人にとって、エルーシアは守るべき神子です。ですが、私には神子であるより、娘のような存在です。長く側にいて、彼女の価値観を理解し、染まった結果ですよ」

「あいつも知っているのか?」

「まだ教えていませんが、知っても何も変わりません。エルーシアは、そういう考えを持っています」


 ルークも視線の先を追う――ランタンに照らされた黒茶色の馬車、あの中にいる。窓のない馬車では姿も見えないが、柔らかな手の感触を思い出し、尻尾がぴくりと動く。長いまつ毛に縁取られた瞳で、今は何を見ているのか。


「ルークの情報を追加で確認したいのですが、耳はどの程度まで聞こえますか?」

「静かな夜なら、箱小屋の外での会話を拾える」


 具体的な説明だが、この場から箱小屋の会話を拾える、ではなく、なぜ現在の状況とは逆なのか。そのような状況があったか。

 クロードは口に手を添えて出会ってからの日々を思い返し、一つ引っかかることに気づき、眉をひそめた。


「もしかして、出会った晩、私とエルーシアの会話も聞こえていましたか?」

「全部ではないが聞こえた。すまないな」


 申し訳なさそうに片眉を下げて苦笑いするルークに、クロードも苦笑いを返す――恋仲だとの噂を聞いていたなら、あの晩の会話は誤解を加速させ、余計な警戒心も持たせただろう。

 誤解をこれ以上与えないため、対処は必要だと判断を下す。


「内緒にするのは難しそうですね。口外禁止で話してもいいですか」

「オレが聞いてもいいことなら」


 クロードは空を見上げた。雲のない黒い(とばり)には、まだ青い月は姿がなく、弧を描く金色の月も傾いて星がよく見える。


「転生者って言葉を知っていますか?」

「前世の夢を見る奴のことだろ」

「補足をしますね。地球での生活を、前世の夢で見る者です」


 ルークも空を仰ぐ。どこにあるのか分からないが、遠い遠い空の先に、地球という星がある。

 大した情報は持っていないが、これくらいなら噂として聞いたことがある。


「そいつらは、ずいぶん前から現れてないんだろ」

「かつて、多くの知識をもたらした転生者たちですが、飛竜(ドラゴン)の災害以降、確認されたのは一人だけです。それが、エルーシアです」

「あ?」


 突然の告白に、空を見上げたままのクロードを、ルークは隣から凝視する。一介の冒険者が知っていい情報か考えが追いつくより先に、説明の言葉が続く。


「だから、エルーシアは豊かな発想を持ち、独特の価値観を持っています。彼女の価値観に、理不尽な差別はありませんよ」


設定小話

耐性づくりと、自宅学習を続けるこの頃は、この世界の価値観に疎くて、子供らしく無邪気に笑います

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