280 魔法抑制の腕輪と手錠
ラーレの贈り物はどのような能力なのか。エルーシアを目的に定め、村の外壁を挟んで二度現れたのを考えると、正確性は少し下がる。
思い込みもあるラーレの発言は、すべてを鵜呑みにはできず、移動距離や発動条件など不明瞭な点も多いが――睡眠中に移動できると確定した。
「そうよね。デルミーラのお告げは夢だし、前世の記憶も夢だもの……全部魔法なら、寝てても発動するわよね」
魔力で寝かしつけたまま姿を消したラーレは気になるが、今の皆に捜索は無理だ。しかし、移動先に選ぶのがエルーシアでないのなら、取りあえずは無事である。
ラーレの気を引けるのは、エルーシア以外は神子の館にいるか、亡き者。夢に見るほど行きたいと思う場所も、世界樹だけ。
「館か森で寝ているはずよ。魔物には遭遇しないし、館の周辺なら、きっと使い魔が保護してくれるわ」
それでも不安はあるが、神子の連絡板が使用不可では側近とやり取りもできない。どうにもできない。
側近や護衛たちは、この能力をどれほど知っているのか、ラーレは気ままに森に入るので、散策中と捉えて知らずにいる可能性も高い。しかし情報の共有も忠告も難しい。誰の言葉なら元老院は耳を貸すのか。
アルニラムは敵意を持たれ、ベラトリのディートリッヒは若いうえに政権が浅く、舐められる可能性がある。となれば、一択だ。
「サイフから連絡を入れさせてもらえるかしら。大公からの知らせで、素材の輸出をちらつかせたら、元老院も牙は剥かないんじゃないかな」
エルーシアの案に、アクセルは頷くが、もう夜も遅い。王太子にはすぐに連絡するが、兄公爵を介して情報が大公に届くのは、早くても朝になってからだ。
できることは今のうちに済ませるが、ほかの対処は明日になってからと締めて解散する。遠征中だ、休息をとらないと身はもたない。
しかし休息前に、ルークには行いたいことがある。エルーシアは殆ど食べなかったから、夕食を改めてとってほしい。
カティが入ったゲルの入り口まで手を引いて、木箱に座らせると、残していた夕食を膝に置く。
「食欲がないなら菓子も食べさせるが、その前に、せめて半分だ」
断りを受けつけない力強い瞳を向けられ、エルーシアはもそりもそりと食べる。気は重くて食欲はないが、心配する気持ちも分かる。
「夢を見るのも魔法なら、エルも腕輪を着けてから寝たら、悪夢は見なくて済むんじゃないのか」
会話から気づいたことをルークは指摘し、魔法だと判明してから機会はなかったが、試してみようかとエルーシアは頬を緩める。守ろうと心を砕いてくれるのは、素直に嬉しい。
「ラーレがいつ現れるか分からないから、明日のお昼は馬車から降りて食べるわ。そのときにでも実験してみる?」
「ああ、明日の昼……実験?起きているときに何を試す気だ」
睡眠中の話をしていたはずなのに、また危険なことに足を突っ込むのかとルークは顔を険しくするが、エルーシアはふるふる首を振る――危険な思いつきではない。
「だって、手錠を幾つ嵌めれば抑えられるか調べないと」
「……ああ、そういうことか」
魔力が少ないから、腕輪一つでルークは発動を抑えられるが、エルーシアはそうではない。二つをつないだ手錠ですら無理、魔石でも魔力切れの経験がないほどの量だ。
夜番のベナットを呼び、予備の手錠の用意と、一つを分解してほしいとエルーシアは頼む。
「鎖だけ取り外してくれる?抑制の腕輪だって分からないように、ラーレのためにつくり直すから」
「つくり直しに、刃物の使用は?」
守ろうと心砕く者はルークだけではない、ベナットにも危険はないと説明する。
鎖を壊す道具は、馬車の不具合に備えた道具でいけるだろう。ベナットは荷馬車に向かい、エルーシアはため息をつく。
「私は、こんなにも親身になってくれる人に囲まれているのよね……だけど、ラーレは……」
「あの会話の内容では、付き合うのは簡単じゃないな」
ゲルから聞こえていたラーレの発言は、とりとめなく、現実から目を背けたものだった。
エルーシアを子供扱いするかと思えば、神子だとも認識しているようで、世界樹の花の加工はどうだったかとか話が飛ぶ。それに、死別を忘れ、最近のことのように伴侶の話もしていた。
「だが、昔は側近の弟夫妻も無視してたんだろ?エルのお陰で会話できるほど回復したって聞いたぞ。あとは本当の身内がなんとかするだろ」
「回復……なのかな。私は、悪化させたのかも知れない」
心苦しさから瞳を伏せたエルーシアは、一度ゲルに戻り、ラーレが残した布包みを持ってきてルークに見せる。
「ラーレの娘よ。そう、思い込ませたの」
布包みは赤子のおくるみで、めくると、淡い蜂蜜色の髪に淡藤色の目をした、古いが手入れのされた人形が顔を出す。
「十年前に会ったとき、ラーレは私を離そうとしなかったの。だから、同じ色の人形を用意させて……娘はこっちだから、こっちを連れて帰ってって……説得したの」
非道なことをしたとエルーシアは涙を落とす――しかし、当時は子供で、それしか思いつかなかった。デルミーラから離れてリゲルに越す気はなく、同じ色の子を探して身代わりにする発想もない。
親を失った孤児の中から探せば、引き取りを望む子はいたかも知れないが、ラーレたちの出立は迫り、策を巡らせる時間もなかった。だから代わりにと人形を押しつけ、興味を無理に移した。
「クロードが出発前に急がせた人形の服は、こいつのか」
「様子を探るために、クロードは毎年ラーレに贈っているの。今年の分はお土産ね」
出会ってから、ラーレはあのまま、前に進まず、後ろにも戻らず、空想に留まっている。
もし出会ったときに別の発想や時間があれば、もっと適切に対処して、回復に導けたか――しかし現実に向き合わせるのも苦痛を生む。自らを中心に起こった権力争いで、二人も伴侶が殺されたから。
「この子は、大事にされてるけど、まだ呼びかける名がないの。旦那さんに考えてもらうんだって……何が正解なのか、今も、私には、分からない」
もう泣いてほしくないと、ルークは胸に引き寄せる。ラーレはこのまま、夢の中を歩かせるのが幸せかと考えるが、口にはできない。
自惚れではない。この命を失えば、エルーシアも同じく悲嘆するだろう。
予定日までサイフの洞窟で異変がなければ、この国を発つ前に、また危険な瘴気の実験を行う。
こちらの警告を無視して管理がずさんで、新種が複数発生していたと報告されたリゲルの瘴気溜まりだ。
そのあとにも計画はある。ほかの洞窟と異なり、崖にあって対策が難しいうえに、飛ぶ大型も群れで発生させた東街道。
策を張り巡らせても、どうなるのか読めないことばかり。無事で済むとは限らない。
生気のない人形を抱くエルーシア。同じ色でも同じように物言わぬ人形にはしたくない、同じく画策にまみれた神子でも、同じ目にはあわせたくない。
抱きしめる腕に力を込め、久しぶりに目にした色の、月夜に輝いて揺れる髪に、祈るようなキスをする――日々積み重なる幸せは、憂慮な思いも引き連れてくる。
※ ※ ※ ※
朝を迎えた野営地にラーレの気配はなく、不思議には包まれるが気持ちを切り替え、皆がそれぞれの務めで出立準備をする中、エルーシアはレイに呼ばれ、二人でこそこそと解体前のゲルに隠れた。
「お嬢さん、頼む。魔力をもらって寝ても治まらないんだ、もう今日は我慢できそうにない」
「直接触りたいから、シャツを脱いで、腰を出してくれる?」
「尻はいいのか?」
「そんなに下げなくても十分よ」
何やら怪しげにも聞こえるやり取りを拾い、木箱を荷馬車に積んでいたルークは、動きをぴたりと止めた。
同じく会話を聞いていたのだろう、ベナットが隣にきて治療だと教える。レイは整備のない悪路に慣れていないので、疾走する馬車の振動を連日受け、背中や腰が悲鳴をあげているだけ。
「つらくても、特製箱馬車には乗せられない。我慢させるしかない」
エルーシアの鼻歌もかすかに聞こえ始め、鎮痛か何かをしていると理解し、荷運びを再開させたルークは、安堵のため息をつく。
二人の仲は疑ってないし、エルーシアの恋心も疑ってはいないのだ。軽いが、レイのことも信用している。短慮に飛び込まなくてよかった。
予定どおりに前乗り隊と別れて出立し、馬たちを疾走させて進んだのちの昼休憩は、ラーレが移動してきても発見できるよう見晴らしのいい丘に決めた。
首都よりも南側で、想定するルートからも完全に逸れたからだろう、監視や追いかける者の姿もない。
そしてこれも予定どおりに、ベナットは予備の手錠を収めたカゴを御者台に残して離れた。
エルーシアはさりげなく皆の輪から離れ、風景を楽しむかのように御者台に乗って昼食をとり、食べ終わってから、一つ二つと手首に通していく。
魔力は多めと説明し、桁外れに膨大であるとまでは隊の皆にも教えていない。行っている検証を見られないよう、ルークは隣に座って隠し、少しずつ顔から表情を消した。
右腕に六つの手錠。鎖をじゃらじゃら鳴らす十二個の腕輪を装着しても、エルーシアはまだ風を操れた。
「ベナットが用意した予備はこれだけなのね。ルークのも嵌めてくれる?」
もうシャツをめくった右腕に嵌める余裕はなく、差し出す左手にルーク所有の腕輪を通し――ここでようやく、エルーシアの魔法は封じられた。
「あっ、発動しない……魔力はあるのに抑えられるって、変な感じね」
初めての感覚に背中をぞわぞわさせてエルーシアは眉をひそめ、別の感覚で眉間にシワを寄せて、検証は終わったからとルークは腕輪や手錠を一つずつ抜き取る。
「人並みの魔力で、腕輪一つ……だったよな」
「そう、魔力上げをしたあとで、多めだと一つでは抑えられないから手錠型があるの」
それならエルーシアの魔力は、人並みを基準にして十二人以上か。これの濃度も変えて扱うのだ。背中から尻尾までがぞわりと冷える。
取り外しは他者の手を借りなくてはならず、普段からこの量を装着して就寝するのは難儀か。次の昏睡時はお願いねと微笑む顔に、なんでもないという顔で、もちろんと答える。
「そろそろ同意すべきかもな」
ルークのぽそりとした呟きは、検証結果を報告したあと、クロードから発せられる言葉が推測されるから――恐ろしい生き物。
※ ※ ※ ※
昼休憩を終えてもラーレの姿はなく、進行の再開で馬車に乗り込んだエルーシアは、午前の作業に続き、解体した手錠である腕輪を二つまとめ、革紐で編みながら一つにすべく包んだ。
同じく馬車の中で、カティは刺繍の練習に勤しみ、ソニアも繕い物で手を動かし続けた。
そして日暮れとともに、二本の大木を門の両脇に植えた村に到着し、一つ目の前乗り隊と合流を果たす。
目的としていた賢王最期の地であるが、夜に訪問しては警戒心を大きくさせそうなので、訪ねるのは明るくなってからだ。それに今夜は、ほかにも用事は山積み。
アクセルは早々に連絡板を広げ、王太子や部署の者たちと通信を始め、クロードも側に陣取る。
ベナットは村の外壁にのぼってラーレの気配を探り、エルーシアは前乗り隊の一人を捕まえて、テオドラを探していたときのラーレの状態を確認する。
「あのときは、テオドラに会いにきたと繰り返すだけで、ほかは大人しく言うことを聞くご婦人って感じでした。馬車の荷台でも素直に座っているだけで……ああ、そういえば、布包みを触ろうとしたときだけ、嫌がって拒んでいました」
「そうなのね。町の兵士に預けるときもそんな感じだったの?」
「ええ、大人しく兵士についていきましたよ。私たちは他国の冒険者だって伝えたので、手紙を渡したあとは、そのまま聞き取りもなく解放されました」
その兵士に連れられたあと、ラーレはどのような状態だったのか。ここが贈り物発動の鍵。
エルーシアとの再会は叶ったが、大事な人形は残しているので、目覚めたらすぐにも現れると考えていたが、まだ姿を見せない――捜索を終えたベナットが戻り、移動した様子はないと報告する。
「どこか離れた地に現れてないといいけど」
「村からの音と、魔物の気配には、気をつけておきます。お嬢たちは、先にシャワーを」
女性陣が先にシャワー室の使用を終えないと、数のいる男性陣が立ち入れない。まだ皆が馬たちの世話や荷降ろしをする中であるが、エルーシアはゲルの水場へと足を向けた。
念入りに洗髪しても、淡い蜂蜜色の下からあらわになる髪色はまだ濃灰色で、また髪染めを重ねる――カティたちに遅れてゲルから出ると、村の情報をもってルークが待機していた。
「到着してから思い出したんだが、この村は、光粉の柊が通称なんだ。クロードやアクセルたちは先に確認に向かった」
ベナットがまわったとき、まだ日は完全に落ちてなかったが、今は夜の帳が下りたから確認ができる。
ほかにも、ロズやジェイやカティも一緒についていった。
「光粉の柊って……まさか、賢王に振りかけた光る粉の正体?どんな植物なの」
「葉に付いた粉が、夜に光るらしい。近くに魔物の狩り場があるんだが、そこで問題が起こったときに依頼を請けて、この村に立ち寄ってはいないが、通称や噂はそのときに耳にした」
「どんな噂?」
案内しながらルークは噂を説明しようとするが、ぼんやり光る立木が見え始め、警戒してエルーシアの腕を引いて足を止める。
クロードたちは、間近に葉を観察していたようだが、皆も動きを止めて、村へと伸びる街道に意識を向けている――ランタンや月明かりと異なる、眩しく光る塊が落ちているが、それはもぞもぞ動き、輝く人影へと変化する。
設定小話
またあとでラーレ捜索でまわるつもりだから、光粉の柊を見に、ベナットはついていってない。皆が不在になる野営地に待機です。
レイとソニアも光る木に興味を持ったけど、雑務員として夕食準備があるから留守番です。あとで見学しようとは思ってる。




