229 まるで人形のよう
警備室から駆けつけた騎士の手でハーゲンは拘束され、同じく医務室から駆けた者たちが怪我人を治療したが、殆どが浅い切り傷だった。実戦経験のない元高位貴族、回転する刃以外は威力も少なかったようだ。
一番の重傷はウィノラだったが、エルーシアの必死な治療で一命を取りとめることができた。しかし予断は許さない、臓器を傷つけ、血を流しすぎた。
エルーシアは次に怪我をした三人の傷もふさいだが、ハーゲンには近寄ろうともしなかった。
魔力酔いさせたのだ、火傷の引きつりは残るかも知れないが、放っておいても起きるころには治る程度だから、視界に入れたくない。刺さった石串は騎士か医師が抜くだろう。
その後は、安静できるように辺境伯家の館へと移ったが、なぜハーゲンが教会に潜入できたのか調べるために総団長は残り、クロードもそれに続いた。
母親のぬくもりを求めて泣きやむことのないマックスは、エルーシアが抱いてあやし、ルークも寄り添って皆で同じ馬車に揺られた。異変があればすぐに対処できるようにだ。
宴会は中止され、解散のために大勢の者が出入りする館の奥の一室で、エルーシアは昏睡するウィノラの状態を診ながら、わずかでも引っかかりに気づくたびに治癒魔法をかけた。
まだ母の手を離れるには早い赤子は、ジェイがあやして別室へと連れ、ルークは使用人からシャツを渡されて着替えた。怪我をしたのは背中だけだったが、攻撃がかすったようで袖や脇にも穴があいている。
夕刻に現れたクロードは、地方在住者の本人確認カードを使用して、ハーゲンは清掃会社に雇われていたと報告した。
髪や瞳の色などの特徴記載がある名付け時に配布されるカードは、偽造ではないのにハーゲンの魔力が記録された完璧な証明で、教会が派遣を許可するのに問題はなかったと目を鋭くさせる。
「身をひそめたまま教会に出入りできたので、立入禁止の通知からマックスの儀式の情報を得ることができ、待ち伏せも簡単だったんですよ」
教会をも欺くカードなんて誰もが用意できるものではないが、第二王子なら、人を使って条件の合う者のカードを再発行して、細工するのも可能。あと元総団長代理もだ。時間外だが、これから取り調べに向かう。
このカードを用意したのなら、教会の事件に直接の加担がなくても援護したことになり、重い罪がさらに加わる。
報告はクロードに任せ、一足遅く入室した総団長は、一番にウィノラの状態を心配して駆け寄り、顔色の悪さに苦痛だと口もとを下げた。
普段からリハビリなども頼んでいる主治医も呼んだとのことで――重傷の知らせで勤務後の癒し手も連れてきた医師は、神子が付き添っていることに驚きつつ診察を始めた。
「私にできることは何もありません」
そう告げて聴診器を片付ける医師に、死を待つのみかと皆で表情を崩したが、考えられるすべての処置が済んでいると付け加えられる。
医師教室にも通っていた癒し手が、膨大な魔力を惜しみなく注いで治癒にあたったのだ。これを超える治療は誰にもできない。
「頭を打っていないのなら時間がきたら目覚めると思います。ですが……流した血液を補うために食事には気をつけてください」
医師は問題がなくても暫くは授乳を控えるよう希望につながる注意を足すが、癒し手と一緒に退室する際、扉前で見送る総団長に、意識を戻さない可能性もあると言い残した。
戻った総団長は、医師の見立ての言葉は隠し、献身的な治療の感謝をエルーシアに伝える――が、エルーシアは首を振った。ハーゲンが自暴自棄の犯行に出たのは、捕まえる前に追い詰めすぎたと考えて。
「エルーシア、責める相手を間違えないでください。罪人は彼で、あなたではありません」
クロードはよくやったとエルーシアの肩を叩き、ルークにも労いの言葉をかけ、館に帰るまで付き添うように頼んでから、総団長と裁判所へと出かけた。
あと、雇用した清掃会社にも聞き取りが必要で、ハーゲンの隠れ家も調べる予定。
館への帰りはいつになるのか、エルーシアがベッド脇に座ってウィノラの手を握るので、ルークはソファセットから一台を運び、寝る姿を見下ろした。
背から腰に傷を負ったので、うつ伏せに寝かせて頭を横に向けているが、半分見える顔は青白くて生気がなく、まるで置物の人形のようで、目覚めるはずだと希望を持ちにくい。
ウィノラの状態が状態なので、マックスへは冷凍していた母乳を飲ませたが、保管は一回分で、夜に飲ませる分はなかった。
母親を探してぐずり続け、急いで準備した山羊ミルクは飲み慣れてないからか拒否し、泣き疲れて眠り、起きてはまた泣きと繰り返し、ジェイはあっちの部屋こっちの部屋と慌ただしく行き来した。
「ようやくミルクを飲んでくれた。寝たからお袋に預けてきた」
夜も遅くに報告してぐったりとウィノラの足もとに腰掛けたジェイは、容態に変わりはないかとエルーシアに尋ね、頷く返事をもらう。
昏睡から起きるにはまだ早いが、ウィノラに魔力を満たしたのは今回が初めて。いつ目覚めるか予測はできず、ルークのように短い可能性もある――まる一日過ぎても起きない可能性もあるが、今は考えたくない。
「俺が付き添うし、馬車は用意させるから二人は帰っていいんだぜ」
ジェイは休養が必要だと気を使うが、エルーシアはサイドテーブルからメモを取って、異変に備えたいと書いて見せる。
どう返事をしたのかとルークも側に寄り、メモ書きを覗き込む。と、先に一人で戻ってもいいと書き足された。
「いや、エルの側にいたい。護衛だからじゃなくて、惚れた女が大変なときは隣にいたいと思うだろ」
何もできることはないが、ただ側にいたい。ルークの言葉に、ジェイはその通りだと身を乗り出して、血が足りずに冷たいままのウィノラの頬を撫でる。
守りたくて盾になったのに、守り抜けなかった。増幅した回復力を信じるしかできないのが、もどかしい。
「そうだな、起きたときに、痛いって騒ぐかも知れないな。エルーシア様がいてくれるのは助かるけど、魔力をずいぶん使っただろ。少し仮眠をとってくれないか」
一度はずした指輪はあるのに、なぜかエルーシアの手首にブレスレットはない。休まないと体がもたないはずだ、何か異変があったときに困るとジェイは勧める。
エルーシアがメモにペンを走らせようとし、ルークは押さえて首を振る。
「もともと今日は体調がよくないんだ。用意された夕食も口をつけてないし、起きたときに治療できなくなるぞ。頼むから少し休んでくれ」
確かに魔力は、そう多くは残っていない。三時間経ったら起こしてほしい、そのときにまた容態を確認するからと、エルーシアはそのまま丸くなり、ルークとジェイはソファセットに移り、冷めた夕食を口に運んだ。
味なんて感じない、空腹感もない、しかし怪我をしたのだ。不測の事態に備えて体力をつけなくてはいけない――もそもそと食べる中、ルークはかすかな足音を拾う。
「ジェイ、誰か部屋に近づいてくる」
「親父さんが帰ったのか?」
ウィノラの母親は、独身である辺境伯を支えるため、女主人として北西の城に残っている。夜更けに訪ねるのは娘を心配する総団長か、マックスを預けたジェイの母親か。起きてまた泣き出したのか。
ノックの音でエルーシアを起こさないようにジェイは扉をあけて待ち、考えていたのとは異なる、執事を迎えた。
「教会から車椅子が届きましたので、お持ちしました」
車椅子はいつ届いたのか、こんな夜遅くではなく数時間は前だろう。血の染みがきれいに拭き取られている。
目覚めてもすぐに使うものではないが、準備は整っている、無事に起きてほしいとの願いを込めたようだ――執事は一緒に届けられたと、置き忘れていたウィノラのバッグとエルーシアの手帳も渡して退室した。
ソファに戻ったジェイは、手帳はテーブルにのせるが、バッグが出かける前より膨らんでいるからと中を確認し、見覚えのない小箱を取り出す。
勝手に中を見ていいものか。しかし食べ物とかなら放置はできない、悩むことなく蓋をあけ――編んだ革紐を目にする。
「まさかエルーシア様のじゃないよな、この前製作した水晶をブレスレットにしたのか?なんでウィノラが持ってるんだ」
「いや、別の色も奥に見える、なんか違うみたいだぞ」
ルークの指摘でテーブルに向けて箱を引っくり返すと、ぐるぐるに巻いてまとめた革紐に、三色の石が付いている。ほどいて伸ばせば、ブレスレットではなく、二本のネックレスだった。
編んだ革紐に翠色と白と青の天然石の玉が一個ずつあり、一本の白い玉はうっすらと赤い筋が見える。
「いやいや、やっぱりこっちのは補充水晶だぞ」
ジェイが指差すのは赤い筋のある水晶玉。それなら、よく似せたこの二本のネックレスはなんなのか。と、二人は同時に気づく、ジェイとウィノラの瞳の色だ。それと、魔力が満たされたときの補充水晶と同じ色の石。
「二人が揃いでつけるアクセサリーに仕立てたのか、たぶんバザーで買った天然石だ」
バザーでは皆が購入する品を選び、エルーシアがどの色を手に取ったかまでは見てないが、十個の石を買ったはずだ。
ジェイの補充水晶の製作は決まっていたので、あのときから揃いのネックレスを考えていたとしても、不思議ではない。
ウィノラへの説明のやり取りが残っているはずだと手帳をめくり――これまでの付き合いを感謝する、これはウィノラへの贈り物、二人が揃いなら私と噂にならないとの文字を見つける。
大きな問題を幾つも抱えながら、こんな気遣いにまで手を出していたかと、ルークは目を細める。この心に触れたから、諦めの世界から抜け出せた。
ジェイは補充水晶のあるネックレスを首にかけ、残る一本をウィノラにかけるためベッドに向かい、触れる首もとの冷たさに顔を歪め、わずかでもいいから温めたくて手を握り、もう片方の手で頬を包む。
置いていかれるなんて考えたことなかった。土砂崩れで退けた死の運命が、再び襲っている。なんとか持ちこたえてほしいと涙を落とす。
むせび泣く声が聞こえるが、そっとしておくべきだろう。ルークは震える大きな背中から視線をはずし、手帳の文字に目をとめる。
ウィノラに何を説明していたのか、縛りつけて自由を奪いたくないとか、手先が器用だからどんな趣味でも身につくだろうとか、隠れずに楽しく過ごしてほしいとか書かれている。
「……エルはどうなんだ」
世界樹に多くの責任を押しつけられて、自由なんてない。館に閉じこもって好きなことを謳歌しているのか、そんなはずない。
サイフの広場で屋台に向けていた、楽しそうな瞳。湖に飛び込んで濡れたまま、冷たさが心地いいと見せた笑顔。バザーに誘ったときの、はしゃぐ姿――奪われているのは誰だと、拳を強く握る。
※ ※ ※ ※
肉体的にも精神的にも疲れているジェイは、ウィノラの手を握りながら寝入ったようで、ベッドにもたれて寝息を立て始めた。
懐中時計を確認し、起こす時間だとルークは腰を上げ、エルーシアの顔を覗き込む。できることならこのまま寝かせたいが、いまだ顔色の悪いウィノラの診察は必要だと、優しく肩を揺する。
「エル、時間だが起きれそうか」
眠りは浅かったのだろう、エルーシアはすぐに瞼をあけ、声かけに礼をするように肩にある手に触れる。
仮眠程度では、失った声は戻らなかったようだ。いや、心の問題、重い心痛が加わって、失声の治りは遠ざかったか。
ウィノラの状態を確認し、変わりはないと告げるように首を振る。異変はないが、改善の兆候もない、血が足りないまま維持しているだけ。
エルーシアはメモに、顔を洗うついでにマックスの様子も確認してくると書く。そろそろミルクの時間だが、閉じる目もとの赤いジェイを起こすのは、忍びない。
昔はよく泊まっていた館、案内なしでも不便はない。戻るまでウィノラの様子を見てほしい、何かあれば寝ずの番をする誰かがいるだろうから、声を張りあげて知らせてほしい。戻ってからルークも休むようにと書き込みを続け、エルーシアは静かに部屋を出た。
エルーシアが丸くなっていたソファに座ったルークは、残るぬくもりを感じながら、二つの寝息に耳を傾けた。すると、暫く経って、小さく聞こえていた寝息の調子が変わり始めた。
昏睡して十四時間になろうかという頃合い、目覚めても不思議ではないが、起きるのか、息をひそめて見守り、ぴくぴく動く瞼を確認する。
「ジェイ、起きるみたいだぞ」
肩に手を置かれたジェイはすぐに目を覚まし、ウィノラの顔を凝視して、気怠げに開かれる瞳に安堵の表情を映した。
矢継ぎ早に、痛いところはないか、苦しくはないか、違和感や不快感はないかと質問し、落ち着いてほしいと笑みを向けられる。
「喉が渇いたわ」
「欲しいのは水分だな、飲ませていいか聞いてないぜ……って、エルーシア様はどこだ?」
寝ていたはずのソファにはルークがいる、見まわす室内にも姿はない。目覚めたウィノラを診てほしいのに、すぐに飲み食いして大丈夫か聞きたいのに、待機しているはずなのに――マックスのところだとルークが教えるのと同時に、ジェイは走り出した。
癒しの魔力を満たされてはいたが、重傷で冷えた体をウィノラは動かすことができず、手を貸していいのか判断できないルークは、長く待たされないはずだと告げ、開いたままの扉を見つめる。足音が拾いやすくなった。
「護衛としてルークさんは、デンシャーさんとの会食にも同席したのよね?」
不意にされる質問は、親しくもないのに二人で残された気まずさか。
ルークは館にいたとだけ返し、ウィノラは別の質問を続ける――いつからエルーシアが神子になった年齢を知っていたのか。
向けられる瞳は何を詮索したいのか、隠すか嘘をつくか、ルークは素直に答えると決め、北西の城でクロードから打ち明けられたと告げる。
それなら親友にも隠し続ける多くの秘密も知っているだろうと、ウィノラはくすくす笑う。が、痛みが体を走ったか、眉をひそめて笑うのをやめた。
「初めて会ったとき、エルーシアは不思議な子だったわ……私を見てね、まるでお人形さんみたいって、うっとりした目を向けたのよ」
それの何が不思議なのか、ルークは不可解だと眉間にシワを寄せる。先ほど感じた生気のない人形とは別の意味で、幼いウィノラに感じる人形との印象は、褒め言葉としてありそうだ。
ウィノラは青白い頬を緩め、エルーシアも人形のように可愛らしかったと教える――鮮やかなレモン色のウィノラ、淡い蜂蜜色のエルーシア、並ぶと姉妹のようで愛らしさは増しただろう。
「でもエルーシアは、気づいていなかったわ。一つまとめにした髪をほどいて、鏡の前に立たせたら……驚いたのよ」
これまで自らの姿を見たことがないような様子で、淡藤色の瞳にも驚いていた。それだけでなく、デルミーラを待つ数日間、驚きの連続だった。
ありふれた魔道具に驚き、開く絵本の文字に驚き、庭の植物に驚き、キノコのソテーに、毒を食べるのかと驚いていた。そんな不思議の連続の中、模様にしか見えない魔法文字は、文字であると指摘した。
「一年後に再会したときは、なぜか驚いていた記憶がなくてね……何があったかは聞いてないけど、私も驚かされたわ。エルーシアは神子様や開発者以外に、どんな顔を隠しているのかしら。支援が好きな者同士、デンシャーさんとは話が合ったでしょうね」
告げられる話に、転生者だと気づいているのかとルークは固まる。エルーシアが隠すのと同じく、ウィノラも胸に秘めているのだ。こんな話題をふるのは、身代わりを務めたことも読んでいるからか。
決定打となる詮索の言葉が飛んでくるはずだと身構えると、願う言葉が続いた。
「どんな顔をしても、胸の内は一つよ。護衛として守って、恋人としてエルーシアを支えてね」
エルーシアはミルクを飲ませたあと、庭歩きでマックスをあやすジェイの母親に付き添っていたが、探し出して急かすジェイに引っ張られて走り――足音が廊下に響き始め、二人が到着する前にと、今回はウィノラに助けられたと感謝し、これからは任せてほしいとルークは真剣な目を向ける。
護衛として拒まれたのなら、恋人の顔で拒み返せばいい。胸にある望みと恋心は同じ、両の足で立つのは、もう諦めの世界ではない。
設定小話
驚いた記憶は、なかったかのように消えたから、エルーシアは知らない
デルミーラやクロードたちも国境に出ているので知らない
唯一知っているウィノラは、このあとリバーシの恩恵を目の当たりにして気づき始め、深く詮索はしないと決める
深い関わりのあるウィノラも、胸に秘めることが多いです