221 月夜に眺める花
まず始めに、自身は弱いからと申告して、エルーシアはカティとリバーシの勝負をして早々に負け、カティとガリーナの戦いへと移った。
二人に何か飲むかと確認し、ブランデーのグラスを並べる。
「そうだ、ガリーナにも話しておきたいことがあったんだわ。研究所の雇用契約を交わす日なんだけど――」
「それ、その研究の協力者、私が引き受けるから追い出してよ」
「ちょっと、先に職の相談をされたのは私よ。あとから横取りしないでよ」
グラスに手を伸ばしつついがみ合う二人に、エルーシアは協力者はガリーナに決定だとカティを諌める。
リゲルから追い出されたとはいえ、神子だ。アルニラムの領域にも入れると信じる者が多い中で、研究のために日々郊外に通うのは問題になる。と、この説明にガリーナは驚く。
「えっ……リゲルの神子は、アルニラムの世界樹の領域に入れないの?」
「神子の秘密だから口外禁止の情報よ。それでカティの待遇は暫く療養でとおすから、ゆっくり休んで」
「馬車に乗れないのに、どうやって郊外に通うのよ。私のほうが適任よ」
「残念ね、自転車には乗れるのよ」
北西の地で移動するために身につけたとガリーナは得意げに笑い、カティは頬を膨らませて、それなら郊外に引っ越すほうが効率的だと指摘する。だが、これもエルーシアは否定する。
「ベナットが王城で獣人騎士の訓練も始めるのよ。その指南にも立ち会う必要があるから、ガリーナが館に住むのは決定です」
魔力研究所は引き受けたが、これはガリーナも初耳。いつ決まったのかと詰め寄り、身体強化魔法の指南前に魔力を掴む必要があり、獣人の記録をとるのに最適な環境だと説かれる。どちらも国の政策だから、研究所の務めの一環に取り込まれた。
これまで獣人を避けていたが、今は館で一緒に住んでいる。ベナットに粗暴さはなく、ハリエットやバーニーに寄り添う姿はよき夫でよき父である。なんとかガリーナも飲み込む。
「そうよね……手を合わせるのは騎士……粗暴じゃないはずよね」
「その偏見があって、よく引き受ける気になったね。治療院に戻ったほうがいいんじゃない」
療養期間が明ければ協力者の座につけると考えたカティが口を挟み――ガリーナはちらりとエルーシアを盗み見る。職を失った経緯は話してないのかと不思議。
エルーシアは小さく首を振り、胸の内で何を考えようと職場には持ち込まないとだけカティに答え、真剣な眼差しをガリーナにも向ける。
「二人とも館に住むの、大人なんだから、共同生活の場で荒波は立てないでよ。ハリエットの負担になるし、幼い子の目もあるの」
リバーシ勝負で譲れない条件を互いにあげ、あとは折り合いをつけて穏やかにと話し合う。
勝者であるガリーナは噛みつくなと不満を口にし、カティは関わりは最小限にと希望し、エルーシアは挨拶くらいは笑顔で交わせと指摘し、ほどほどのところで条件を出し合い――カティは二階の浴室を使用することが決まったところで、夜遅くなのにノックの音が響いた。
これより少し前、シャワーを済ませたルークは、髪を拭きながらベッドに腰を下ろし、不可解だと眉間にシワを寄せた。いつもならレモンのリースにいる妖精が、窓に張りついているのだ。
一箇所に留まるわけでなく、ガラスのあちこちを移動している。まるで出口を探すように。
「なんだ、外に何かあるのか」
声をかけながらルークが窓を開くと、ぴゅいっと一目散に逃げ出して見えなくなった。何かの危機か、不安に駆られて神経を研ぎ澄ます。
王都の中央だが、大暴走のときは魔物が接近しているのだ。それに今は、東街道でのお告げにも警戒をしている。
窓から身を乗り出すが気配は何もなく、館にも異変があるようには見えない。空かと見上げても、わずかに欠けた青い月が昇り、あとは流れる雲だけ。
急いで単眼鏡を手に取り、クロードやベナットに注意すべきかと考えつつ、あちらこちらと確認して、あるものを発見する。
「これは……報告したほうがいいな」
ぽつりとこぼし、手早くブーツを履いて剣を掴み、窓から飛び下りる。まだ日はまたいでないから起きているだろうが、居間でリバーシをしているか、研究部屋で読書をしているか、もう自室に下がったか。
取りあえず庭を駆け抜けて、玄関扉をノックする。
※ ※ ※ ※
「凄くきれいね……こんなの初めて見たわ」
塔にのぼり、ルークから借りた単眼鏡を覗き込むエルーシアは、幻想的な光景にほうっと息を吐いた。
月の明かりを受けて広がる森の中央部、遠くにある世界樹が光り輝いているのだ。一つ一つは小さな妖精の光だが、一箇所で飛び交っているので、そう見える。
「やっぱりエルも初めてだったか……夜に塔をのぼってたのは人目を避けてだろ、だから月夜に咲くなら知らない情報だと思ったんだ」
宿舎の窓からは肉眼では分かりにくかったが、塔から見下ろすように眺めると、小さな粒ほど遠くの一箇所だが、単眼鏡なしでも確認できる光がある。それほどの妖精が集まっているのだろう。
「ねぇ、世界樹の花が咲くときは妖精が集まるってこと?」
「花が咲くなんて稀なことだから、誰も知らなかったのね」
二人と一緒にカティとガリーナもいる。ルークからの知らせに、こんなことは滅多にないからと声をかけたので、エルーシアの双眼鏡を交互に手に取って眺め合っている。
カティは不可解なことにふと気づき、驚きの表情でルークを見上げる。
「なんで、妖精が集まってるのが分かったの……」
「懐いた奴が飛び出したからだ」
妖精を目視できることは、神子のお守りの効果だとガリーナに説明している。カティにも同じように誤魔化しているだろうと考えてルークは答えたが、そうではないらしい。なぜと眉をひそめた。
慌ててエルーシアが、あとで詳しく説明すると割って入る。目配せで、ガリーナの前では話せないと教え、カティはこくこく頷いた。
これから様子を確認しに森を歩くか、真夜中の森は歩きたくない、下から見上げても確認できない場所のはず、などと会話を交わしながら暫く眺め、エルーシアはもうすぐ雨が降ると雲の流れも読む。
雨には濡れたくないから館に戻るとガリーナは言い出し、カティの袖も引っ張った。
「あなたも戻るのよ。私は入浴するから、その前に浴室にある髪染めや小物を持っていってちょうだい」
入浴前で濡れるのは気にならず、ガリーナと二人になるのも気に食わないカティは嫌がるが、少しは恋人たちに気を使えと耳打ちされ、二人を残す意図が含まれているのかと気づき、にっこりと笑顔でまたあとでと告げて階段を下りた。妖精の説明をするときに、恋の進み具合も詮索されそうだ。
ルークもエルーシアを雨に濡らしたくないと一緒に下りることを口にするが、引き止められた。
「雨が降る前に、ちょっとだけいい?」
「ああ……もしかして、リバーシの勝負で何かあったのか」
エルーシアは首を振る。リバーシには何も問題はない、二人のどっちが勝っても望む条件は似たり寄ったりのはずだからだ。干渉するなとか、関わりを減らせとか。
共同生活に問題はないが、別の問題があると教える――神子のお守りを理由に、カティを誤魔化すのは無理。
「ルークに出会ったとき、そんな魔道具があるなんて私は知らなくて、連絡板に質問を書き込んだの。カティやミランダたちも情報はなかったけど、アリッサが詳しく説明してくれたのよ」
神子のお守りは、満ちた月から次に満ちるまでの期間、世界樹のマナと神子の祈りを水晶に込め続けることで製作される。
アリッサはまず、金の月の満ち欠けに合わせてつくったが、子が転んだときの擦り傷は治らなかった。次に青い月のもとで仕上げたが、同じく転んだ痣は消えなかった。その後も水晶の質や色、祈る時間などを変えて試行錯誤したが、怪我を治療する魔道具はつくれなかった。文献のとおりに製作したのに失敗したのだ。
そして、そのやり取りをカティは見て、質問までしている。大切に想う相手は友人でもいいのかと――伴侶や子ほどの愛情がなければ無理だとアリッサは返し、魔道具製作の知識を貸してほしいからと、サイフの別荘で落ち合うことを望んだ。
カティは、神子のお守りの効力を知り、完成品が手もとにないことも知っている。
「カティがきてから、ルークに懐いた妖精は近寄らなくなったでしょ?だからまだ何も説明してなかったんだけど、カティは誤魔化せないの」
「カトリーナ……いや、ガリーナだ。あいつがじろじろ見るから、嫌がってポーチに隠れるようになったんだ」
人目があるところでは離れ、森ではマントの中か、クルルやほかの妖精たちと遊び、館に入れば隠れる。
だからカティには張りつく現場を目撃されてなかったが、堂々とバラしてしまった。目視できるだけでなく、懐いているとまで。
「ごめんなさい。どう誤魔化すか考えていたんだけど思いつかなくて……ルークにも、もっと早くに相談すべきだったわよね」
「いや、どの道バレたはずだ。今夜の妖精の行動は秘密にはしたくないだろ」
こんな光景を目にする機会はないとルークは視線を遠くへ、まだ輝いている世界樹へと向ける。癒しの魔力を持つ者にしか見えない光だ、それゆえに、これまで誰にも知られることがなかった。
エルーシアも視線を向け、不思議な粒の秘密を打ち明けてもいいかと尋ねる。
「奴隷紋は秘密にしたままで、絶対に、触ったり取り上げたりはしないように言い聞かせるから」
「ああ、エルに任せる。奴隷紋も別に隠さなくていいぞ……ただ、オレもロズに粒を打ち明けてもいいか?」
実は一つ二つと秘密を見破られていると教え、ルークは口角を上げる。親しい者に秘密を持つ難しさが身に染みた、ぽろりと失言することもあるのだと、この塔で知った。
粒の持ち主だから好きにとエルーシアは答え、もう塔から下りようと袖を引く。妖精の光は見ていたいが、もたもたしていると宿舎に戻るルークが雨に濡れてしまう。就寝前なのに、体を冷やすことになる。
もう夜も遅いからとベナットたちの自室前の廊下を進むのを避け、庭をまわってから塔にのぼったので、戻りも同じ道。
雨が降り始めれば、エルーシアも濡れる。それは嫌だとルークはエスコートの手を重ね、階段を下り――ベラトリで冒険者を辞めるつもりだと伝える。
「ギルドカードを返却したら本人確認できるものはなくなるが、御者カードはあるんだ、なんとかなるだろ」
「そうね、アルニラムでなら、御者カードも本人確認カードになるわね。証明がなかったから、ルークは冒険者になったの?」
「まあ、ないうえに半獣人だと、冒険者が一番マシだからな。あとは早く孤児院から出たかったとか、ベラトリを出たかった、とかだな。あそこは居心地のいい場所じゃない」
冒険者を辞めても離れる気はない、依頼がなくても守り続けるからとルークは振り返り、階段の段差でいつもより近くにある顔にどきりとする。
暗がりの中だからか余計に存在を意識し、先ほどガリーナがささやいていた言葉が頭を埋め、今夜は抱きしめないと決める。歯止めが利かなくなりそうだ。
のぼるときと異なって二人だからか、目の前から届く洗いたての爽やかな香りをエルーシアも意識してしまう。ぐるぐると頭にカティのからかいの言葉なども巡り始め、頬が赤らむ。
庭の砂利道を歩む夜風でなんとか胸の鼓動を落ち着かせ、玄関で両手を重ねて就寝の挨拶を交わす。と、浴室から出たらしいガリーナに目撃される。
「あら、おやすみのキスの邪魔をしたかしら、ごめんなさいね。私は退散するから続きをどうぞ」
その言葉にエルーシアはびくりと驚き、ルークは胸を熱く跳ねさせた。今夜の魔力を通過させていたのだが、鼻歌が途切れ、左手から回収していた魔力は通り抜けずに一気に流れ込んでしまった。魔力の操作を珍しく誤ったのだ。
警戒して防御の腕輪を習慣にしていたのに、こんなことがあるとは思わず、人生三度目の魔力に酔う。
クルルを呼んでカウチに運んでもらい、申し訳ないとエルーシアはブランケットをかけ、いつもしてもらっているように、祈りを込めて髪にキスを落とした。
前回のように、もう目覚めないかもなんて心配はしないが、つらい過去ではなく、幸せな夢を見てほしくて――
※ ※ ※ ※
――夕刻間近、荷を背負った相棒とともに、ルークは雪道を歩いている。国境警備を請ける中だが、二日の休暇を利用して町まで足を延ばしていたのだ。
討伐で入手した魔核を売り、必要な物資を購入してからの帰路である。
国境の壁も見えてきた山の麓で、道から逸れて林へと足を向け、洞窟とは呼べないほどの窪みに辿り着く。寒さが苦手な相棒のために毛布を敷き、少しでも居心地よくと整えた寝床がある。
そこの脇に、相棒が運んできた物資を積み重ねていく。飼い葉や日持ちする果物だ。
「ここにあるからって、一気に食うなよ」
ルークは荷降ろしでずれた相棒のマントを直して、言い聞かせるように首もとを撫でる。次の休暇までの大事な食料だ。
色は茶色になっているが林の木々の根もとには下草が残り、水場へ移動しながら食べているだろうが、十分な量ではない。この国の馬ではないのだ、積もった雪下から草を探すような知恵は持っていない。
ブルルルと小さく嘶く相棒はどれほど理解しているのか、リンゴを一つかじると毛布の上に身を下ろした。
今夜はここで過ごし、明日の朝早くに持ち場の小屋に戻る気でいるルークも、雪の被る地面を蹴って土を剥き出しにすると、簡易魔物よけを燃やして隣に落ち着く。小屋のほうが暖炉もあって寒さはしのげるが、居心地の悪さも格段に上がる。外のほうがマシ。
購入した携帯食を冷えた中で食べ、マントに包まれて相棒に寄り添って眠りにつき――夜中に、遠くから届いた戦闘音で目を覚まし、すぐさま剣を握って表に飛び出す。
冬場は壁向こうの空堀を雪が埋め、亡国からの魔物が越えやすいのだが、月明かりに反射した積もった雪を見渡しても、異変はないようだ。
相棒も起きて側に寄るので、魔物の気配はないのに何を警戒しているかと視線の先を追い、林の奥で光っている一箇所を見つける。昔からたまに目撃する光だ。近づくと素早く消える。
今回も消えるだろうがと考えつつ足を向けると――やはり消えた。何か光る虫なのか。これに止まっていたと思わせる、花をつけた蔓が木に絡まっている。
相棒が食べたそうに首を伸ばすので、慌ててルークは手で押さえる。鋭い棘があるのだ。
待っていろと声をかけ、小刀で一枝切って棘を落とし、口もとに差し出す。葉をむしって食べるが、気に入らない味だったか、寝床へと体を向けた。
「……いない間に勝手に食って、怪我する心配はないか」
わざわざ用意したのにと思いつつも、食べなかった枝を下げて後を追い、また寝床に腰を下ろす。
相棒の寝息を聞きながら、初めて花を捧げたのは馬かと可笑しくて口角を上げる。名は知らないが、子供のころにも見たことのある、雪山に稀に咲く花だ。
「ベラトリで過ごすのも最後になるんだ、この花を見るのも最後になるな」
枝を雪に挿し、鮮やかな桃色の花を暫し眺めるが、特別な思い入れがあるわけでもなく、瞼を閉じる。休息をとっておかないと明日からの討伐がつらくなる。
うつらうつらとし始めたとき、ふと前髪に温かさを感じて目をあけ、辺りに雪が舞っているのに気づく。
吹き込んだ雪が前髪に触れたか、雪ですら温かく感じるほどこの身は冷たくなったか、不安になるが相棒からのぬくもりもマント越しに分かる。
ドングリの飾りを握り、まだ大丈夫だと瞼を閉じ、もう一度エルフに会いたくて姿を思い浮かべる。一言でもいい、礼を伝えたい――
設定小話
相棒は妖精の光を見ていたわけでなく、月明かりで発見した植物、この世界のブーゲンビリアを見ていました……おや、初めて見る美味しそうなものが生えてるぞと




