21 膨らんだ尻尾
エルーシアが娯楽室から出ると、ロズはグラスをかかげて一口飲み、リバーシに一手を加えた。
「このまま同行ですね。よろしくです」
「ああ、これからも頼む」
リバーシの遊び方は把握したらしく、すぐさまルークも一手加えてグラスをかかげ、エルーシアの姿が見えなくなるまで扉の脇に佇んでいたクロードは、大きなため息をついて二人の間のソファに腰掛けた。
「美味しい料理で遠征の疲れがなくなり、別の疲れが押し寄せましたね。私にも一杯ください」
差し出されたグラスにロズがウイスキーを注ぎ、クロードはそれを口に運ぶ。エルーシアがワインに違和感があると知らせたから、乾杯の一口しか飲んでいない。だが、ようやく疲れを流し込むことができるのだ。
「隊長は、なんで連絡板を割ったのが彼だと分かったんでしょうか?」
口に残る酒の余韻を楽しんだあと、クロードは短く答える――消去法だと。
「消去法……ですか?」
「デルミーラ様から色々と教わりましたからね。まず、全員を疑いの目で観察し、真っ先に除外したのはルークです」
「オレがか?」
疑われ、不当な扱いを受けることに慣れているルークは、そんなことはあり得ないと眉間にシワを深く寄せた。
グラスに入ったウイスキーをゆらゆら揺らしながら、クロードは口角を上げる。
「ルークは、荷馬車には近づかないですよね」
「荷がなくなったとか、無駄に疑われたくないからな」
「自分は?」
疑われるのは気持ちのいいものではないが、推測はまだ続くのだ。クロードはロズの肩を軽く叩いた。気を落ち着けてほしくてだ。
「次に除外したのは正規隊員です。彼らはデルミーラ様が声をかけて隊に配属されたので、二人の神子を敬愛しています。後ろ暗いことがあれば笑顔で二人のことを語れません」
「そういえば、宿で盛り上がっていたな」
「裏切っていたら、あの笑顔はありませんよ」
「自分は?」
ロズの肩に手を乗せたまま、説明を続ける。
「それと、副料理長と雑務員も除外ですね。私も知らなかったことですが、王都に確認したところ、三人は厳しい誓約のもとにいるそうなので」
「破れない誓約か」
「ええ。このあと一月の同行をするなら、ルークにも誓約を願います。故意に危害を加えないなど簡単な内容です」
「いいだろう」
「……」
クロードは眉を下げて、申し訳なさそうにロズに視線を固定する。これで補充隊員二人に絞られたが、この先が難しかったから。
ロズも人懐っこい笑顔を消し、肩を落とす。
「自分は疑われてましたか」
「ロズは、人に溶け込みやすいですからね。諜報活動するなら情報を得やすいですよ。また彼は、指示に真面目に取り組むいい若者でした。二人とも修理した連絡板を見ても顔色は変わりませんし……難しい課題でしたね」
ウイスキーを喉に落とし、視線を下げ、残りの少なくなったグラスをゆらゆら揺らす。
真面目だから家の再建を考えたか、その真面目さで、狙われたときに報告してもらえたら、隊長として守れたのにと思いを過らせる――どう処罰が下るのか。若い騎士の未来が、この酒のように不安定に揺れている。
「決定打に欠けていましたが、食堂で使用人を隅に誘導しているとき、すがるように彼を見つめる者がいました。顔見知りがここにいるならと捕縛させたら、侯爵の顔色が変わりましたよ。きっと、村で接触した者でしょう」
「目ざといな」
「あのとき、怖かったです」
「教わったんですよ。エルーシアを守るために、デルミーラ様は手を尽くしましたから」
クロードは真剣な眼差しを向け、これから一月近く一緒だが知識を望むか問い、ルークも黒い眼差しを真剣なものに変えて、間を置かずに問う。
「対価は?」
「エルーシアの無事です。そのためなら力を与えます。彼女のためになるなら、なんでもしますよ」
ロズは自然な仕草で三人のグラスにウイスキーを足しながら、疑問を口にする。
「そんなに想ってるのに、恋人じゃないんですか?」
「どちらかといえば父親のような存在ですよ。あの子が五つで引き取られたときにお世話係を任命されて、それからずっと側にいますからね」
「ちょっと待ってください。隊長は何歳なんですか」
「今年三十五ですよ」
「十も上か、見えないな」
「髪型のせいか、ここ最近は若く見られるようになりましたね」
クロードは一気にグラスを飲み干し、ポニーテールを撫でた――隊を率いる者として若いわけではないが、四十代五十代の騎士もいる中、まだ舐められて無理を押しつけられることはある。体格や貫禄に恵まれているわけでもない。気を張ることは多く、伸ばし始めた髪も威厳が損なわれると口にする者もいる。だが、切りたくない理由が胸にある。
「でも神子様と十五歳差なら、父親よりも年の離れた兄のほうがしっくり――ひっ!」
「私を兄とは呼ばないように」
身を乗り出したクロードの顔を見て、ロズは青ざめてこくこくと頷く。ルークからその顔は見えないが、騎士服の下で殺気を感じとった尻尾が毛を逆立ててぶわりと膨らむ――二人は、クロードに対する禁句を一つ学んだ。
空のグラスを手から離さないクロードは、酒のせいか、背をソファに戻すと心の内をさらけ出し始めた。
「デルミーラは完璧でした。私も、あの子のためならなんでもします。薬の耐性もそうですよ。覚悟がないと、愛し子が血反吐はくまで薬や毒の調合なんて、できません。泣いても続ける、デルミーラは、完璧でした……」
グラスを手にしたままソファに深く崩れ、それを二人は固まって眺めた――先ほど、さらりと本人が説明した内容でも驚いたルークとロズを、さらに驚愕へと叩きつける言葉だった。
そんな娯楽室のありさまを、外出から戻った三人が通りがかりに目にして、ため息交じりに教える。
「隊長に乾杯以上の酒はダメ」
「エルーシア様をあの子と呼んだら飲ませるな」
「デルミーラ様を呼び捨てにし始めたら酔ってる」
慣れた様子で二人がクロードを抱え、一人が連絡板を回収し、固く握られた手からグラスを取ったロズは、先ほどの会話を思い出した。
「あっ。ルークさんがこのまま同行することになりました」
「これからも頼む」
三人の騎士はほろ酔いで赤くなった顔に笑みを浮かべ、よろしく、歓迎だ、こっちこそ頼むだの返して廊下を進み、眠る前の会話を続けたいのか、抱えられたクロードがぽろりと言葉をこぼした。
「デルミーラは完璧で……」
「はいはい。隊長は愛しのデルミーラ様の夢を見ていてください」
四人の背中を見送っているとき、言葉の意味を理解したルークの尻尾は、再びぶわりと膨らんだ――
※ ※ ※ ※
――遠征から戻って数日経ったある晩のこと、デルミーラが目の前の椅子を蹴り上げ、無人の椅子は大きく跳ねて転がり、音を響かせた。
クロードは足もとに転がってきた椅子を壊れていないか確認して、離れた場所に置いてから腰を下ろした。
「こんなに大きな音を出したら起きますよ」
デルミーラは肩を震わせ、テーブル中央に置いたカゴの中で眠る、紅栗鼠を睨んだ。
紅栗鼠は治療後の睡眠ですやすやと寝ているが、クロードの心配の先は栗鼠ではなく、上の階で寝ているエルーシアだ。
この日の昼下がり、エルーシアは館の庭で遊んでいた。前世の知識から計算を覚えるのは早かったが、こちらの世界の読み書きも、祖母から基本を教えられていたからか難なく覚え、生えている植物を図鑑と照らし合わせるのが最近お気に入りの遊びだった。
館は王城と騎士宿舎に挟まれ、表は騎士が警備していることで安心して、一人にさせたのが悪かった。
デルミーラは館の地下で世界樹の葉の加工に没頭し、クロードは第二騎士団に呼ばれて不在。一匹いる使い魔は館の外には出られず、誰も気がつかなかった。
蔓レモンを観察していたエルーシアは、鳥の鳴き声に似た甲高い叫びを聞き、一人で裏に広がる森へと足を向けたのだ。
地下にいるデルミーラには聞こえなかった。仕事の邪魔をしたくなかったエルーシアは、声をかけなかった。
騎士団への報告から戻ったクロードが不在に気づき、庭の隅から隅まで、館内のあらゆるところを探したが、図鑑を残して消えていた。だが、日が暮れかかるころ、傷だらけの瀕死の紅栗鼠を抱えて森から出てきた。
「きれいな白い木に囲まれたところにいたの。助かる?」
無事な姿に胸を撫で下ろした直後の言葉は、意味を理解することを頭が拒み、デルミーラは固まった。
小さな手に抱えられた紅栗鼠は、グギャとかクルルッとか甲高く鳴いている。クロードがタオルの上に寝かせるよう言い聞かせ、顔から表情を消したままのデルミーラが治癒魔法をかけ、その後、タオルごとカゴに移したのだ。
「森に危険な生き物はいないのに、なんで怪我したのかな」
「鷲にでも捕まって、高いところから落ちたかな」
クロードがエルーシアの相手をするのを、デルミーラはぼう然と眺め、そのあと夕食をとり、就寝の挨拶をして二階に上がるのを見送ったはずなのに、記憶には残っていない。
デルミーラはソファに深く沈み込んだ。エルーシアを引き取って二年と少し。ずれていく記憶の対処方法を見つけたか、成長したのか、不安定な状態は少なくなっていた。
「ようやく落ち着いてきたところなのに……」
アルニラム王国は、読み書きと計算、それと魔力の扱いを初等学校で学ぶ。とくに入学の年も期間も決まっておらず、通学の義務もないが、十歳前には皆が通い始める。
すでに体内魔力は掴んでいる、暴走の恐れもなくなったエルーシアには必要ないが、この世界の知識を身につけるため、夏からの通学を考えていた。
その矢先に、エルーシアが神子になった。
「なぜだ、こんな年でなぜ、領域に迎え入れられるんだ」
「世界樹の神意ですし」
返された言葉に、デルミーラは床を大きく踏み鳴らす。
「二つの条件をすっ飛ばして、神子に選ばれるのか!」
神子になる条件は三つある。
一つ、癒しの魔法を扱えること。
一つ、癒しの魔力を放てること。
一つ、世界樹の領域に入れること。
三つの内、一つでも欠ければ世界樹は癒せない。だが、三つ目の条件を満たすのは容易ではない。だから、二つの条件を身につけ、癒し手になった者の中から世界樹に選ばれ、神子になるはずだった。
まだ癒し手としての学びを受けていないエルーシアが選ばれるのは、あり得ないはずなのだ。こんな前例はない。
「こんなはずじゃなかった……神子になんて、したくなかった」
「それは口にすべきではありません」
こぼした言葉を咎められ、デルミーラは膝の上で拳を握る。
人の心は複雑である。エルーシアを引き取ったとき、神子になる子だと思った。だが、神子にしたくないとも思っていた。
国は神子を保護して敬う。しかし、神子の地位や権力を取り込みたい者たちに狙われる――リゲルの神子は人の心を手放し、ベラトリの神子は心を病んだ。騎士の心で突き進むデルミーラにも、多くの画策の手が伸びては斬り落とされると繰り返している。
エルーシアは神子にならず、ただの癒し手として、穏やかで幸せにとも願っていたのだ。
「エルーシアのために、薬を調合する」
何を決意し、何を胸に秘めるのか。握った拳を震わせてデルミーラはうずくまり、クロードは不思議そうに聞き返す。
「癒しの魔力を抑える薬ですか?そんなもの、ないですよね」
「あらゆる薬だ。何を盛られても身を守れるように……毒もだ」
「毒……」
「私が側にいれば治療できる。だから学校に通う前に、耐性をつくる」
顔を上げたデルミーラの双眼から涙があふれ、ぽたりぽたりとこぼれ落ちる。
「成人するまで神子になったことは伏せ、あらゆる知識と経験を与える。幸せに導くために、クロード、お前も学ぶんだ」
設定小話
耐性づくりで泣いたのは、愛し子……ではなく、デルミーラでした
なぜ愛し子となったかは、まだ秘密




